『古に眠る炎竜』4

2010年11月21日 (日)

古に眠る炎竜#70(長編連載小説DB)

 周囲の人の流れが途切れつつある。二人が出る前にも、宴の会場から宿の寝室に引き取った者が数名はいた。時間帯としては寝るにはまだ早いが、疲れている者ならそろそろ床についてもおかしくはない。
「それで、どうしたの? さっき何か言いたかったみたいだけど」
 言われて、少しの間ぼうっとしていた吟遊詩人は驚いたように振り返り、思い出す。
「ああ……一曲できそうだと思ってね。今回の旅は色々あったから一曲どころか何曲もできそうだけど、今はとりあえずあの炎竜のことを皆に伝えたい気分だな」
 背負っている竪琴を手に抱え込み、シリスは木の長椅子に腰を下ろす。となりに陣取ったリンファは何かを期待するように相手を見つめた。
「あら、即興でできるの? よっぽどあの竜が気に入ったみたいね」
「気に入った……そうかもしれない。最初は凶暴かと思ったけれど、いい竜だよ。だから題名は〈優しき炎竜〉とかかな」
「本人は、〈勇ましき炎竜〉なんかを好みそうね」
 それに同意して笑いながら、吟遊詩人は指先を動かした。
 ポロン、と耳に心地よい音が鳴る。
 だいぶ姿の減ってきた通行人たちは足を止め、その他の場所からの喧騒すら静まり返ったかのように思える。

 赤き翼、輝く瞳
 ひとたび舞えば光の尾をひく
 パラヴィオの頂に翼を休め
 崇め奉られ伝説の中にありし炎竜
 人知れぬまま長き約束をもて
 人の子を護り抜くまで……

 カーマルクの夜闇を、美しい音色と歌声が緩やかに震わせる。
 それが完全に途切れるまで、周囲の人々は耳を傾けて口を閉ざしていた。


                 〈了〉

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2010年11月20日 (土)

古に眠る炎竜#69(長編連載小説DB)

 今もあの山頂には赤い竜がいる。そのことを、道行く人々は知らない。村人たちや一部の者だけが知っている。
 そうと気がつくと、ふとシリスは吟遊詩人魂がうずくような感覚を覚えた。
 だが、それを口に出そうとしたとき。
「首尾は上手く行ったようだな」
 聞き覚えのある声。
 振り返ると人の流れから抜け出してくるのは、やはりどれも見覚えのある顔に見覚えのある姿だ。
 剣を帯びた青年と赤毛の女、肩にフクロウをのせた黒尽くめのローブ姿。そして、栗色の髪の少年の姿もある。
「みんなのおかげだよ。デュメル博士にも伝えて欲しい」
「オレたちは大したことはしてないさ」
 青年剣士、カナークは筋肉質な肩をすくめて、少し照れたように笑った。
「あれから思ったより経ってるんだよね。普通に過ごしてると、なかなか気がつかないもんだ」
「それだけ懸命に生きているということさ。感心、感心」
 マユラのことばに、聖獣がもったいをつけたような口調で言う。暗いせいか、その姿も今は余り目立たない。
 それ以上に、黒尽くめのシェイドは半ば夜闇に溶け込んでいるようだった。
「セレイン、何か話したいことがあるんじゃないか?」
 その魔術師は何か言いたげにしている少年に目を落とした。
 少年はやっと解放されたかのようにほっとした笑顔を見せ、吟遊詩人に頭を下げた。
「あの、シリスさん……改めて、ありがとうございました」
「どういたしまして。どうだい、その後は」
「まだまだ未熟だけど、博士や皆さんに教えていただいて少しずつ、仕事に慣れてきてます……毎日色んなことを知ることが出来ますし、本当に充実してます!」
 ことば通り、その目は青春の只中にいる者らしく明るく輝いていた。
「セレインなら、きっと一流の考古学者になれるよ」
 世辞ではない。本心からのことばに、少年はさらに嬉しそうに目を輝かせて礼を言った。
 彼らは博士のもとに戻るところらしい。シリスは宴会に誘ったが特にセレインは夜遅くまで寄り道をするわけにもいかず、リンファが懐に忍ばせていたスコーンとクッキーの詰め合わせを土産に渡して見送った。

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2010年11月19日 (金)

古に眠る炎竜#68(長編連載小説DB)

「これなら、五百カクラムはするわね」
「リンファ……それに加えて、村人たちからも依頼料をむしりとろうというんじゃ……」
 あきれた目を向ける吟遊詩人に、魔女は肩をすくめた。
「人聞きが悪いわね。拘束時間も長かったし、依頼料に見合っただけの苦労はしたと思わない?」
「確かに大変だったけどねえ。もう、充分な報酬はもらったんじゃない?」
 そのことばに一理あることはリンファもわかっていた。二人が今回の旅で手に入れた物は、竜鱗だけではないのだから。
「でも、受け取れるものは受け取る方が相手にとってもいいことはあるわ。人の好意は素直に受けるものだもの。特に、向こうからやってくる場合はね」
 シリスはようやく、背後から近づいて来る声に気がついた。
 振り向くと、見覚えのある王国の紋章を着けた制服姿がふたつ、走り寄ってくるのが視界に入った。その二人の顔には喜びと安堵の笑みが広がっている。
「とりあえず今夜の宴会は免れないわね」
 町へと戻れば村人たちにも結果は知らされ、そこで歓待を受けることになるのは目に見えている。
 逃げる術もなく、シリスは先ほどのリンファと同じように肩をすくめてみせた。

 王国の観測隊が乗ってきた馬車のひとつでカーマルクに送られたシリスとリンファは、大きな宿に迎え入れられた。伝令魔法で先に報せが行っていたらしく、主役の二人が到着したときには一番大きな部屋ですっかり宴会の準備がなされ、村人たちが集合している。
 警備隊本部からの伝令が国からの報奨金が出ると説明するが、シリスはそれを断ろうとした。龍鱗に加え村人たちからの依頼料、さらに報奨金などを受け取るのはさすがに多過ぎるため、リンファも反対はしない。しかし伝令も困り果て、報奨金を受け取って村人たちの依頼料を断るという案も『それでは気がすまない』という村人たちからの反対を受け、最終的には報奨金を村人たちの生活を守る手当てに回すということで決着がついた。
 そういった長々とした前置きをようやく終えて、宴が始まる。
 料理は宿側が用意したもので、鶏肉、ハムのチーズ巻き、肉団子やキノコの串焼きに一口サンドイッチといった軽く摘めるものから、各種パンやシチューにロールキャベッツのような家庭の味まで、種類も飲み物もさまざまだ。デザートもスコーンにフルーツケーキにプリンやゼリーと、都市の専門店に劣らぬほど鮮やかに見える。
 飲み物も各種用意されており、好物を見つけて上機嫌で食事をする旅人二人に、何人もの村人が礼を言った。一部はそれにかまわず宴そのものを楽しむ者たちもいるが、誰も気にかけはなしない。我が家、故郷の無事を喜ぶ気持ちは皆同じだ。
「感謝される仕事が出来るのって、気持ちのいいことだね」
 シチューを皿に取りながら、シリスはほほ笑みんだ。
「いつもこうだといいわね。今回は実入りも多かったもの」
 ハーブティーを見繕いながら、リンファも笑みを浮かべていた。
 酒を口にしていた者たちにだいぶ酔いが回ってきた頃になると、窓の外はすっかり夜闇に包まれている。
 ふと窓から外を眺めたシリスは、まだ騒がしい宴の会場を静かに出て宿の受付に一言残し、街に出た。
 道行く人々の半数は足を止め、ある方向を見つめている。
「何かあったの?」
 手のひら大のクッキーをトランプのように三枚持ちながら、リンファが背後へと歩み寄ってくる。
「みんな、何を見てるんだろうと思ってたんだけどね」
 行って、周囲の皆と同じように視線を上げる。
 建物と建物の間。
 そこからのぞく闇の彼方に、噴き上がる赤い火花が見えた。まるで光が形作る大きな花のようだ。
「被害がなけりゃ、火山の噴火も花火と変わらんなあ」
 通行人の誰かがそうつぶやくのが聞こえた。滅多に見れないものを目にしたせいか、人々の表情はどこか浮き浮きとしている。
 場合によっては簡単に人の命を奪いかねない高温の溶岩だが、確かに安全な場所で眺めている限りではひとつの芸術のようだ。

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2010年11月18日 (木)

古に眠る炎竜#67(長編連載小説DB)

『良くやった』
 大きな硬質の翼が風を巻き起こし、迫り来る熱と溶岩を吹き飛ばす。
 それだけではない。炎竜は山頂から少し低い位置に浮遊したまま二人の前に背中をさらしていた。
「助かる!」
 高所恐怖症の者にとって、同じ高所でもやはり足が着くのとそうでないのとでは大きな差がある。リンファに手を引かれてではあるが、シリスは自ら進んで炎竜の背中に乗った。
 彼らがしっかりと鱗の凹凸にしがみつくなり、竜は風を切って舞い上がる。それを追うように噴き上がった溶岩の噴水も、すぐに姿を捉えきれなくなる。
 明るく燃える空の中、赤い竜は様子を見るようにパラヴィオ山の周囲をぐるりと一周した。
 吹き抜ける風に、雄大な眺め。
 だがシリスにはそれを楽しむ余裕はなく、リンファは風に晒されるのを嫌い、魔法で空気の膜を張って自分の周囲を包み込んでいた。
 やがて、炎竜は山から離れた村の外れの野原へと降り立つ。
「生きた心地がしなかったよ」
 まだ浮遊感を感じているような安定しない足取りで、シリスは竜の背中から飛び降り雑草を踏みつける。
 リンファはどこか優雅さすら伴う仕草でひらりと降りた。
「任務完了、ね」
 その目が山の頂へと向く。
 山頂には火花のようにうごめくまばゆい光や、何かが燃えているような赤い炎が見えるものの、あふれ出るそれはすべて向こう側へと流れているようだ。
『長くて二週間もすれば噴火はおさまるだろう。その間にもこの村に被害が及ぶことはあるまい。とはいえ、人間たちには不安を抱く者もいるだろうが』
「噴火がおさまるまでは避難生活でしょうね」
 仮に村人たちが戻りたいと言ったとしても、すでにことは国にまで通じている。少なくとも噴火が続いている間は簡単には帰れないだろう。
 しかし、村さえ無事ならば帰る場所はある。ただ数週間も待っていれば元の通りの生活に戻ることはできる。
『これでお前たちの役目は終わりだ。わたしとしては、これからが仕事の始まりといったところだがな』
 まるで溜め息でもつくように、大きな顎が揺れた。
「新しい炎竜蓋を作るのね」
 今回の噴火では村を護ることができたが、今後も今回のままとは限らない。何かの要素で山頂付近の地形が変わることも有り得る。今現在と噴火が終わる頃を比べてさえ、大きく変化はするだろう。
 竜は顔を山頂に向け、飛び立つかまえを見せた。
『お前たちには世話になった。これでも持っていけ』
 目だけで見下ろした途端にその胸元でカチリ、と金属が擦れるような音が鳴り、金色の鱗が落ちる。
『報酬、というものだ。これで貸し借りは無しだ』
 大きな翼がはばたき、ゴウ、と風が吹き上げる。
 その眼下の二人が土埃を嫌って顔を覆い、目を開いた頃にはもう、赤い巨体は空高く舞い上がっている。一直線に向かうは、その居場所である山頂だ。
 もう見ていないだろうと思いつつ、シリスは手を振った。
 その横でリンファは鱗を両手で拾い上げ、かざして見ている。

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2010年11月14日 (日)

古に眠る炎竜#66(長編連載小説DB)

『悲劇の戦場に散りし 破壊のしもべたちよ――』
 流れるように、凛とした張りのある声が呪文を紡ぐ。彼女が本来持つ魔力がその古代語に導かれて強く引き出され、破壊の力となって収束していく。
『その怒りと嘆きを持て
 愚かなる魂に我が裁きを下さん
 緋き力よ 古の契約に従い
 我が手に集いて 断罪の鎌となれ』
 はっきりと形を現わしたその力にリンファは方向性を与えてやる。狙うは、村とは逆方向の炎竜蓋と山肌の一部。強力な攻撃魔法でも歯が立たなかった炎竜蓋に、果たしてどこまで通用するのか。
 かすかな心配を含んだ目で眺めるシリスの視界に、その目と同色の光が満ちた。
「〈スートディザスタ〉!」
 限界を超え収束した光は、その名を呼ばれたのを合図に弾ける。空間がひしゃげるような音を立て、光の中に内包していた標的を正確に圧し潰す。
 山肌はえぐられ、炎竜蓋の端にも亀裂が入ったかと思うとその一部が砕け散って落下していく。
 赤い光は消え、見事に標的のみを消し去り――
「……え?」
 目的は達せられた。
 そう確信してほっとしたのも束の間、シリスは下から巨大なものが突き上げてくるような振動を感じる。
 すべて成功に終わった。だが魔法による衝撃が作用したのかたまたまこの瞬間なのか、噴火はすぐそこまで迫っていた。
 熱風が、今人工的に作られたばかりの噴火口から噴き出す。
「〈ボムフィスト〉!」
「〈ワールウィンド〉!」
 リンファとシリスの声が重なり、二人は風の魔法で焼かれそうな熱を背後へと吹き散らしながら走る。
「シリス、目を瞑ってなさい!」
「ええっ!」
 腕を抱えられ、シリスは情けない声を上げながらも言う通りにする。この瞬間に他に方法は思いつかない。リンファは飛行用の魔法を使い逃れるつもりなのだ。
 背後に急激な気温の上昇を感じながら、二人は崖まで走る。後ろからのまばゆい光をまぶたを通して感じ、思わず振り返って目を開けて見た吟遊詩人の目に、あふれ出す火花のような溶岩の飛沫が映った。
「〈ボムフィスト〉!」
 ほんの一滴でも撃ちもらし被っただけで、大火傷は免れない。とっさの一撃で文字通り降りかかる火の粉を払う。
 しかし、一瞬だけ散らしたところで間に合いそうにない。火傷を覚悟しながら再び目を閉じて走り続ける。
 途端、強い風が吹きつけて脚を掬われかけ、転びそうになった。

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2010年8月 8日 (日)

古に眠る炎竜#65(長編連載小説DB)

 前に登ってから一ヶ月も経っていないが、山道の様子は大きく変わっていた。草の疎らな地面はひび割れ、ところどころに崩れた崖の一部が散っている。
 それだけならまだしも、山肌から細く灰を巻き込んだ蒸気が噴出している部分が数ヶ所あり、触れれば大火傷を負うであろうそれをよけて歩かなければならなかった。風向きによっては視界が塞がれ、シリスが魔法で風を操り吹き散らしながら進む。
 さまざまな障害物を前にしながらも多くを魔法で解決して、二人はそれほど時間を取られることもなく山頂に至る。
『来たか』
 竜は二人が来るのを知っていたように、真っ直ぐ目を向けていた。
 その後方で噴煙が立ち上っている。その出口は不自然に岩の壁で覆われていた。炎竜ができるかぎり噴煙が広がらず直線状に昇るようにと手を尽くしたのだろう。
「様子はどう?」
 熱気に顔をしかめながらリンファが歩み出る。
『見ての通りだ。山の外郭が外からの圧力に耐え切れなくなりつつある。わざと何ヶ所か穴を開けて圧力を薄めてあるが、それでも大規模な爆発は避けられぬだろう』
 橙色の目がわずかに山肌へ向いた後、改めて自分の数分の一しかない大きさの姿を見下ろす。
『わざわざ様子を見に来たわけではないだろう。力を手に入れたのだな?』
 もうすでにわかりきったことを、念のために確かめるという口調だった。
「どうにかね。有効かどうかは、使ってみなきゃわからないけど」
「あそこまでやってハズレはないさ。威力は充分だと思うよ。問題は……」
 使い慣れない魔法を上手く扱えるかどうかだ。
 シリスもリンファの腕は信頼している。だから普通に魔法を発動し威力を発揮することに関しては心配していない。問題は、魔法の効果範囲や威力が想定した以上だった場合だ。体感的にその魔法を使ったことがなければ、わからない部分もある。
「そうね……さすがに、この山ごと全部吹っ飛ばすほど強力ではないと思うの。でも、念のため炎竜さんは離れて、シリスは魔力障壁を張っていて」
 広範囲攻撃魔法でも、術者の間近にいる者は大抵被害を受けることはない。だが攻撃する対象が自分たちの足場となれば、二次被害的を受ける可能性もある。
『今さら他に方法もあるまい。お前たちの力、信じてみよう』
 風が巻き起こった。
 巨大な翼を羽ばたき、赤い巨体が浮き上がる。まるでその大きな身体に重さがないかのように、ふわり、と竜の姿が天上に吸い込まれていく。
 シリスは呪文を唱え、魔法の結界を張った。強力な攻撃魔法相手には心もとない防御壁であるが、直撃さえしなければ充分な強度は持っている。
 リンファはそちらを一度ちらりと見やり、視線を戻すと集中するように目を閉じて深呼吸する。
 気を散らさぬように吟遊詩人は口を開かず、物音を立てぬように気をつけながら一部始終を見守る。
 目を開くと、リンファの声が高らかに古代語の呪文を紡いだ。

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2010年7月30日 (金)

古に眠る炎竜#64(長編連載小説DB)

 雲ひとつない空を縦に二分するように、一筋の黒い煙が高く立ち昇っていた。それは染みのような灰色で少しずつ空の高い部分にわだかまりつつあり、見る者に不気味な印象を与える。
 だが、それが一種の救難信号の役目を果たしたのも確かかもしれない。カーマルクから様子見に訪れた一団が早馬を飛ばし、火山のふもとの村人たちは一時、カーマルクに避難することになっていた。村にはいつでも逃れるように準備をした十名の観測隊だけが駐留している。
 村人たちは生まれ故郷を離れることを迷ったが、信じて離れた。きっと我が家に戻れる日が来る。あの二人が、きっと村を救う手段を持ってきてくれると。
 そのことは、観測隊や村への道を見張る警備兵にも伝わっていたらしい。
「村人の言われていたかたたちですね?」
 行く手を遮るように二人の警備兵が近付いて来たときには、シリスとリンファは止められるものと思い、心なしか精神的に身構えた。だが、特徴を知れば見間違うことのない二人へ咎めるような視線はない。
「話は聞いています。村を救う方法を探しに出たとか。それで……首尾の方は?」
 声を抑えて問う相手に、リンファが胸を張った。
「大丈夫、上手くいったわ。それで、火山の方はどんな状態なの?」
「小康状態です。いつ爆発してもおかしくはありませんが、今のところ村にさほどの被害はありません」
 周囲の植物や大地の上に、薄っすらと灰が積もっていた。現在の地上への影響はその程度らしい。
「健闘を祈ります」
 そう言って敬礼する王国派遣の警備兵たちに見送られ、旅人たちは前にも一度訪れた村への道を急いだ。
 遮る物は何もない。ただ、大地が唸るような地震がほんの一時だけ彼らの足を止める。まさか、到着寸前で間に合わなくなったのかと慌てて見上げるが、吟遊詩人の緋色のには山頂がそれほど変化したようには映らなかった。
「急いだ方が良さそうね」
 もともと速足だったのをさらに速めて歩くのを、パンジーヒア王国の紋章をつけた観測隊らしき一団が迎えた。村の出入り口に仮設のテントと繋がれた馬たちが並び、危険な兆候があればいつでも脱出可能なかまえだ。
「お二人が、村人たちの言っていた――」
「そうよ」
 警備兵とのやり取りの繰り返しを嫌い、リンファが遮る。
「これからひとつ、あの火山の被害を減らす方法を試してみるわ。念のために聞いてみるけど、あの山の向こう側には誰もいないでしょうね?」
 強力な魔法で山頂の炎竜蓋を破壊し、角度をつけて崩すことで被害を村から逸らそうというのが作戦だ。成功すれば、村の反対側が被害を受けることになる。
「それは大丈夫です。周囲への立ち入りは禁じてありますし、あの辺りには深い森と谷があるくらいでそうそう人が入り込むことはできないでしょう」
 最も年長と見える調査員が説明すると、シリスはほっと息を吐いた。
「それじゃあ、皆さんもできるだけ離れていてください。火山の被害だけじゃなく、山を崩すための魔法もどの程度の威力があるのかわかりませんから」
「我々は山頂に変化があればすぐに脱出します。お二人も、どうかご無事で」
 調査員たちの目には希望が半分、もう半分はまるで死地に赴く者を見送るような光がたたえられていた。
 むろん、当の二人は死ぬつもりなど毛頭ない。
「大丈夫、きっと無事に皆、再会できますよ」
 そう言い残してマントをひるがえし、シリスは足を踏み出す。
 地獄が待っているとしか思われないような、今にも噴火しそうに黒い煙を立ち昇らせる火山の山頂に続く道へと向かって。

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2010年7月29日 (木)

古に眠る炎竜#63(長編連載小説DB)

 船は旅人たちを乗せて港を離れ、夜闇から果たしてどんな障害が飛び出すか、という乗員の心配をよそに、無風の海を滞りなく渡りきったのだった。
 島を離れ、旅人二人はオカラシア大陸の上で一夜を過ごす。
 やがて陽が昇り、少しずつ暖かさが風にはらまれていく。
 いつも旅をしている南方大陸からかけ離れた場所であっても、昇る太陽と二つの月は同じだ。身を起こしながら、シリスはそう実感していた。
 目を開けるとすぐ近くに大きな金属の塊がある。しっかりと扉と窓を閉じた飛行艦だ。丘の上から周囲を睥睨するオブジェのようにも見える。
 場所は、ジェシュ共和国カンドリア郊外。パガーラと行き違いになっては急いでここまで来た意味がないと、シリスとリンファは宿を取らずに飛行艦のそばで野宿したのだった。
 強行軍の後に野宿は身体にこたえるが、それも慣れた二人にはさほど苦にはならない。それに、夜のうちにパガーラが泊まる宿を捜して回る苦労を考えれば野宿の方がよほど楽なものだ、という結論だった。
「今のうちに買い物に出ようかしら。どちらかが待っていれば行き違いもないでしょう」
「じゃあ、オレが」
 即座に申し出たシリスが素早くカンドリアへ向かい、朝食を含めた買出しを行う。パガーラと鉢合わせすることを少し期待したが、それは果たせなかった。
 しかし、必ずパガーラは飛行艦に戻ってくるのだ。二人が串焼きとチーズ入り丸パンで朝食を終えた頃には、ひとつの姿が街道を外れて向かってくるのを目にすることができた。
「これはこれは、ずいぶんと仕事の早いものだな」
 感心しているともあきれているとも取れるようなことばに、言われた方は満足げな笑顔を返した。
 軽い調整を終えて乗員を乗せた飛行艦が飛び立つと、その旅路に障害など現われなくなる。帝国の領土と空を飛ぶ魔物の巣があるような山を避けていれば、空はもっとも安全な道に違いない。
 それでも高所恐怖症の者にとってはできれば避けたい道ではあったが、今は他に手段がないと重々承知している。
 外を見ないように気をつけながら吟遊詩人が思うことは高所にいることへの恐怖よりも、すでに噴火していたなどという事態にならないように、という祈りだった。

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2010年7月22日 (木)

古に眠る炎竜#62(長編連載小説DB)

 最後の試練の場は、試練が始まった瞬間とは逆に部屋に満ちた光が薄れていくことで試練の終わりを告げた。
 意識を取り戻した二人は、伸ばしたままだった手に何の感触もないことに気がつく。まるですべて最初から幻だったかのように、球体は消滅していた。
 最後の試練は終わったのだ。
「二度目の機会は与えられないんだね」
 吟遊詩人の緋色の目は落胆の色を表わして何もなくなった空間を捉え、それからほんのわずかな期待をもって目の前の魔女に向けられた。
 魔女は泰然とその視線を受け止める。
「二度目は必要ない。もう、ここに用はないもの」
 彼女のことばにシリスは驚き、喜びを表す前に時間が迫っていることを思い出したようだった。
「急ごう。パガーラさんの出発に間に合わせたい。一ヶ月持つかどうかって話だったし、それより早く村が危機になるかもしれない」
 パガーラは次の朝にはカンドリアを発ってしまう。試練の場を出た二人はフィエルに急ぐように頼んだ。
 旅人たちの事情は知らないが、何かを感じ取ったようにフィエルは寝ずに犬ゾリを走らせる。パミルに着く頃には犬たちもヘトヘトだった。
 無茶をさせたシリスはさらに料金を多く払う。いつも財布の紐を固く締めているリンファも文句は言わない。
 パミルに到着した時点ですでに周囲は夜闇に染まっていた。夕食は食堂などで取らずにパンと串焼きと果物を買い、それを持ったままで港に走る。港までも数時間かかるところだが、そこまでフィエルが犬ゾリで送ってくれた。
 このような見通しの悪い夜に船を出すなど、普通なら有り得ないだろう。しかし、旅人たちに大恩ある猟師たちは港の中で最も新式の照明付の船を用意してくれた。そのわずかな間に、旅人たちは焚き火で温めた夕食をとる。
「どうにか間に合いそうだね」
 食事を終えたところで、シリスはほっと一息ついた。
「何も問題なければね。パガーラが急用を思い出して帰っているかもしれないし、海で障害になるものが現われるかもしれないわ」
「そりゃあ、何かが現われる可能性はまったくないわけじゃないけどね」
 シリスは苦笑した。こちらに渡るための海上の旅は、海賊に魔物という豪華二本立ての障害が現われたのだ。これ以上何か現われるとしたら、魔族か帝国海兵隊でも現われなければ驚くに値しない。
「何が現われてもやることは同じだよ」
「もっともな話ね。大丈夫、何が現われてもわたしが道を開けさせてあげるから」
 そう、彼女は今まで以上に強力な魔法を手に入れたのだ。
 そのことを思い出して、吟遊詩人は自分が逃したその力が少し怖くなる。力自体もそうだが、その持ち主がリンファだということが。もちろん彼女には全幅の信頼を置いており彼女が力で世界や権力を支配しようとするとは思えなかったが、金やおいしい食事、寝床を支配しようとすることはあるかもしれない。
「準備できたぞー」
 考えても仕方のない思考を、漁師の声がやめさせた。

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2010年7月10日 (土)

古に眠る炎竜#61(長編連載小説DB)

 目の前に現われた人物に、リンファは肩をすくめた。それは余りにも予想通りでありながら視界に入れたくない相手だったからだ。
「やはりあなたね。実に下らないわ」
 うんざりした声を、闇の中に薄っすらと浮かび上がる美しい姿が相手と同じような表情で受け止める。
「それはこちらの台詞よ、リンファ。お前は何も生まない、誰にも何ももたらさない。この世にもどの世にも、まったく存在意義のない存在」
 女の身体がぬうっと動く。人間が身じろぎをしたり歩くのとは、まったく異なる動きだった。良く目を凝らしてみれば、女の腰から下が深い緑色の鱗に覆われていることに気がついただろう。光沢のある鱗に覆われた下半身は闇のもっと濃いところへと続いている。
「では、あなたは何を求め、何を狙う? 手にしたところで扱えもしない、壊してしまうだけならば何もしない方が賢明でしょ」
 相手を見上げ、リンファは一人たたずんでいた。
 相手は金銀に輝く王冠に似た帽子の下で、鋭い金色の目を細める。
「手に入れることに意味がある。それに、力はさらなる力を得るための糸口ともなる」
「必要ない力を持って壊したくないものまで壊すのがオチね」
「とことん考えが合わないな。才能は充分だというのに……お前と同じ道を行くことはあるまい。わたしの前から消え失せるがいい」
 脅すように右手を持ち上げると、リンファの前に青白い火花が落ちた。
 それでも、魔女は怯みもしない。すべて、記憶にあった出来事だから、というのもある。
「さようなら、お母さま」
 相手に背中を向けて歩き出す。
 行く手に広がるのはただ、光のない闇のみ。
 それは実際に体験した記憶の中にはない状況ではあったが、リンファは、やはりこれは自分の今までの生きた道のりを表しているのだろうと推測した。
 音もなく光もなく、自分を気に掛ける者などあるはずのない道のり。
 絶対的な孤独と何の目的も目標もない、ただ生きているだけのような日常。何の存在価値もない――そう言われたことは確かに事実なのかもしれないと、考えたことも何度もある。
 だが、何かの弾みでほんのわずかに他人と関わったときにも、人間というのはただ迷惑をかけてくるだけの相手でしかなかった。だから、何もかもが面倒臭くなる。何にも関わりを持ちたくないと思えてしまう。
 それは絶望的と呼んでもよい状況だったかもしれない。しかしわざわざ自ら生を終わらせるほどの動機もなく、それすら面倒にも感じられた。やがては孤独であることに慣れきってしまったというのもあるかもしれない。
 自分の道のりを心の中で振り返っていたリンファは、慣れないことをしている自分に我に返って苦笑する。
 周囲は未だ、ただの闇一色。いくら歩いても進んでいるのかどうかすらわからず、疲労感ばかりが募る。
 それでも彼女は歩みを止めなかった。ただ前方だけを見据えて歩き続ける。
 他に仕方がないという理由もあるが、彼女には見えていたのだ。例え視界には映らなくても、歩き続けていればいずれは光が見えてくるのだと。
 ――この状況が、過去の再現だとするならば。
 長い闇のときを抜ければ、今に続く出口がある。その出口は光と出会うことだ。彼女の運命を大きく変えた光に。
 やがて、彼女の思い描く光は現実となる。
 闇に圧されたように点のごとき小ささだったそれが豆粒大に、そして拳大に――。
 さらに大きくなった光に手をのばしたとき、頭の中に声が聞こえた。
『偉大なる英知と勇気と力を持つ者よ――』
 重々しい、奇妙な響きを備えた声。
『汝に、我が力を授けよう』
 異常とも思える速さで言語が、知識が流れ込んでくる。
 まばゆいほどに視界全体を満たした光が薄れ始めたころには、すべては終わっていた。

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