『古に眠る炎竜』3

2009年1月28日 (水)

古に眠る炎竜#55(長編連載小説DB)

 一階の食堂で早めに朝食を取った二人の旅人たちは、部屋に荷物を置いたまま、しっかりとコートを着込んで買い物に出た。
 パミルの商店街は小さいものの、店の商品はどこも充実していて、やはりこの町で生きていく上で必要な、防寒性能に重きを置いた商品が多い。
 生活必需品ばかりではなく、町を出て行くことを想定した物も物もある。危険を冒して貿易や漁を行う者たちがいなければ人々の生活は成り立たない。
 シリスとリンファは小物や更なる防寒具をいくつか購入してから、大きめの道具を扱う店に入った。そこで野宿に必要な物をひと通りそろえる。貸し出しで済ませられる物はそれで済ませた。
 購入するつもりはないものの、そこで、シリスは大きなソリに目を留めた。
「荷物用のソリじゃないね。あれ、もしかして犬ゾリかい?」
「ああ、そうだよ。うちでも同じようなのを使うんだ。あんたたちも、あれと同じソリに乗って行くはずさ」
 寒いのに厚手とはいえ半袖ベストの店主が平然と答えるのに、シリスは一瞬だけ驚いた。
 しかし、考えてみれば当然のことである。この町で犬ゾリを扱う店がここだけならば、町の者が扱うソリはほとんどここの店の物、ソリの持ち主は店主の知人となるだろう。そうでなくても小さな町だ。
「動物学者が生態調査やら、あるいは漁でちょっと遠出するくらいのことはあるが、あんたたちは西に遠出するんだろう? 命知らずなことするねえ。そんな風には見えないのに」
 帽子を被り、マフラーなどでだいぶ隠れているとはいえ、彼の目には見たこともないような神秘的な風貌の旅人たちの顔が映っている。
「これでも、いくつも命知らずなことをしてきた歴戦の冒険者なのよ。自分たちで言うと嘘くさいけれどね」
 苦笑しながら、魔女は小さめの道具が入った包みを受け取る。重い道具は上手くロープで梱包し、シリスが背負った。
「ありがとう、また来るよ」
「ああ、ちゃんと帰ってきてくれよ」
 もし全滅すれば、借りた物は戻らなくなる。全額支払って返すときに半額を返すという貸し出し方法なので、それでも店の側に被害は出ないが。
「ちゃんと帰るさ」
 苦笑して店を出た彼の耳に、小さな犬の鳴き声が届く。
 店の脇の隙間から覗くと、降り続く雪の間から小さな小屋と民家、そして屋根付の小屋の中につながれた数十頭の犬たちだった。
「思ったより小さい犬が多いんだね」
「大きな犬は高価なことが多いから、集めるのが大変なんでしょう。わたしたちは動物に好き嫌いがないから、どんな犬でもいいのだけどね」
 動物を北方大陸に比べナーサラ大陸の住人は家畜と暮らす者や狩猟などで動物と暮らす者も多いが、旅人たちの中には、街の出身で動物を嫌う者もいる。動物を狩って食料とするのは問題がなくても、動物と一緒に食事をしたり寝たりするのは考えられないのだという。
 幸い、シリスとリンファは動物などに苦手はなかった。旅人は、食べ物や環境などさまざまなものにこだわりのない者ほど長く続けていることが多い。
「動物は好きだよ。人間は相手によるけどね」
 宿への道を歩くうちに、やがて〈炎竜の暖炉軒〉の前に大きな影が見えてくる。その輪郭がはっきりしてきた頃には小さな鳴き声や鼻息が聞こえてきた。
 毛の長さも色も、大きさも顔形もさまざまな犬が三〇頭余り、店で見たのと同じ形のソリにつながれていた。その横でパイプをくゆらしている大柄な人物は、そばに近づいてやっと女だとわかる。
「やっとお帰りだね。命知らずな旅人さんたち」
「お待たせしてすみません」
「いや、いいんだよ。あたしはフィエル。案内人だ。普段は猟師をやってんだけどね」
 彼女の自己紹介に、シリスとリンファも簡単な自己紹介を返した。
 フィエルはコートについた厚い毛皮の帽子の奥から二人の格好を足もとから頭まで、値踏みするように眺め回した。
「うん、大体いいとこだね。走ってる途中は体感温度はさらに下がるから、とにかく外気に触れる部分を少なくしなきゃ駄目だ。凍傷になるからね」
「心得ておくわ。何か、ほかに注意しておいた方がいいことはある?」
 リンファがフィエルと話している間、シリスは宿の部屋から荷物を運び出した。途中、店主のいる食堂のカウンターにより、出る前に頼んでおいた弁当を受け取る。
「帰ってきたら、ここでまた食べていってくれよ」
 店主の顔は、少し心配そうに見えた。
「ええ、おいしいシチューを用意しておいてください」
 シリスは笑みを残して店を出る。
 丈夫な木枠を組み合わせ板の上に座布団を乗せたソリの上に、十頭近い犬が乗り込んでいた。疲れた犬と替わる交代要員らしい。
 犬たちに囲まれるように荷物を縛り付け、それを背もたれ代わりにシリスとリンファが乗る。
 コートにマフラーをマスクのように口の上まで巻きつけ、ずれないように帽子もロープで押さえつける。目だけがわずかに露出する格好の上に、さらに厚い毛布をかける。
「何だか不格好だな」
「凍死するよりはマシだけどね」
 フィエルは先端に立ち、緩く手綱を握る。一応それで犬たちとつながってはいるものの、犬たちは声で制御されるらしい。
 ソリが走り出すと、しんしんと降りしきる雪が吹き付けてくるように感じる。誰ともすれ違わないままソリはパミルを出た。
 未知への期待と不安を少しだけ心地よく感じながら、シリスはわずかに雲を通り抜けてくる陽を反射して煌めく白い道へと視線を向けた。

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2009年1月26日 (月)

古に眠る炎竜#54(長編連載小説DB)

「そうしなければ、大事なものを失うことになるんです」
 彼らの救いの手を待ちわびている人々がいた。救いの手となる手段を得るために、はるばる旅をしてきたのである。
「西に行くなら、案内人を頼まないと無理だ。吹雪の中では方向感覚が狂う。案内人を頼まず行った連中はみんな遭難する。それと、足が必要さ」
「足って言うと……」
 馬も見かけないし、馬では雪に足を取られてなかなか進めないのではないだろうか。
 というシリスの意図を見て取ったか、店主は自慢するように笑みを見せた。
「犬ゾリだよ」
「犬ゾリ……」
 その単語を耳にして、シリスはいつかどこかで聞いた話を思い出す。雪の多い地域では、何頭もの犬にソリを引かせて乗り物にすることがあるという。
 納得すると、さらに頭に浮かぶ光景がある。この街に入るときに門から出て行った大きな影が、犬ゾリだったのだろう。
「明日の朝、犬ゾリ付の案内人を頼んであげよう。今晩は、ここの二階に泊まるといい。安くしておくよ」
 どうやら、単なる親切心で口を挟んだわけではないらしい。商売上手な主人にリンファは舌を巻くが、彼女らとしてもありがたい申し出には違いない。
 湯気を立てる料理が運ばれてくると、ますますその思いは強くなる。味付けはやや濃い目だが、しっかり火の通った羊肉や馴染み深い飲み物は、身体を芯から温めてくれた。
 小さな窓の外では、降りしきる雪が時折吹雪になりながらも、夜が更けるにつれしんしんと静かに降り積もる様相へと落ち着いていった。
 〈炎竜の暖炉軒〉の二階には二つしか部屋がなく、ベッドなどは整えられていたが、しばらく人が泊まったことはないらしかった。宿泊代は破格の値段なのでリンファからも文句は出なかったが、本来は宿としては営業していないのかもしれない。
 それでも、小さな三角形の窓から雪景色が見渡せる部屋は、雪を見慣れない旅行者には魅力的かもしれない。
「それで、どう、新しい歌はできた?」
 ベッドに腰を下ろして本を開きながら、魔女は窓の外を眺める吟遊詩人に問う。
 二人は、部屋が空いていても滅多に個室を取ることはない。旅費の節約のためでも、警戒のためでもある。遠く慣れない土地ではなおのことだった。
 竪琴の弦を控えめに弾き、シリスは苦笑して指に息を吐きかけた。
「こう寒くちゃ、なかなか手も動かないよ。この風景は確かに想像力をかきたてるけどね。まあ、ノースランドを出るまでには一曲は作るさ」
「楽しみにしてるわ。歌になりそうないい思い出を作って出て行けるといいけどね」
「きっとそうなるよ」
 英雄詩は余り歌わないシリスだが、作るとすれば歌の結末は勝利で終わりたいものだった。敗北で終わる歌はあり得ない。それはほとんどの場合、歌い手である彼ら自身の死を意味するのだから。
 リンファはテーブル上に地図を広げ、目的地までの距離や地形を確認する。犬ゾリがどの程度続けて移動できるのかは明日にならなければわからないが、天候次第では片道一日もかからないかもしれない。しかし、詳細な地形はおそらく地元の案内人しかわからないだろう。
「川やら山やらが余りないといいけれどね。雪原での野宿は厳しいというから」
 ある程度の道具は持っているものの、やはり専用の道具は地元で買う方が間違いがないということで、野宿できるほどの装備はまだそろっていない。
「痛い出費だけど、仕方がないわね。命には代えられないもの」
「ああ、考えられるだけの重装備で行こう」
 溜め息交じりの魔女に、シリスは明日の買い物でそろえる物の候補を考えながら少しだけ、豪快に買い物をする楽しみを覚えていた。

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2009年1月17日 (土)

古に眠る炎竜#53(長編連載小説DB)

 多くの人々が集まる空間を出ると、一際寒さが身に染みる。小さな集落には店らしきものもなく、早々に北の外れへ足を向けると、チラチラと雪が降り出した。それは北へ行くほど大粒になっているらしく、踏み固められ氷の塊を膝の高さまで積んだ壁の囲む、細めの道の向こうは真っ白に染まっている。
 その光景に、シリスは思わず肩をすくめる。
「まだまだ序の口よ。猛吹雪の中を歩くことになるかもしれないんだから」
「耐えるしかなさそうだね」
 平然としている相棒のことばに溜め息を洩らし、吟遊詩人は道に向かって一歩を踏み出した。
 ノースランドにある港はひとつだけではないが、ほとんどの港周辺は、漁業関係者の小さな集落があるだけだった。人材と物資の多くはパミルに集まる。だいぶ簡単なものではあるが、道ができているのもそれが重要だからであろう。
 皮膚が凍りつくのではないかという寒さに身震いしながら、少しでも気を紛らわせれば寒さが和らぐのではないかと、吟遊詩人は周囲を見渡してみた。
 周囲は一面の雪景色で、淡い影の濃淡だけが世界を形作る。
 ただ、厚い雲を通して差し込んでくるわずかな光に照らされ、空気中の氷の粒や雪の表面がキラキラと輝いて見える。
「神秘的な風景には違いないね」
 この風景を歌にするため、作曲しながら歩いてでもいれば楽しい道中になるかもしれない。彼はそう思いを巡らせる。
 ほかに人の姿はない。数時間も歩いていれば、パミルの街並みが見えてくる。門からは出入りがあるらしく、街の横から大きな影が白んだ中へと溶け込んでいくのが見えた。
 まだ陽が暮れるまではだいぶある。なのに周囲は夕方が過ぎた頃と思えるほど暗く、街の家々も灯をともしていた。
 だが、体内時計のほうは正確に時間を記憶していた。どちらが言い出すともなく、二人は昼食を食べることのできる店を探して歩きいた。
 町の外よりはマシとはいえ、街中の道も寒い。道行く姿は少なく、数少ない通行人もしっかりと上着を着込んでいる。どうやら外食の習慣も余りないようで、旅人たちは食堂を探すのに苦労した。やっと見つけたのは〈地元料理の店・炎竜の暖炉軒〉と看板を掲げた、丸太を組み合わせて積み上げたような建物の店だ。
 中に入ると、名の由来なのであろう暖炉でガンガンに火が焚かれていた。火のそばは暑いくらいで、旅人たちは暖炉から離れた、奥のカウンター近くのテーブルに着く。
「いらっしゃい、旅の人たち」
 少し驚いたような顔をしていた店の主人が、手にしていた酒瓶を棚に置いた。
 二人の旅人のほかに客はない。彼らはテーブルに置かれたメニューを見て、ひとしきり悩む。
「やっぱり、温かいものがいいね」
「それ、いつもと変わりないじゃない」
 リンファにそう言われながらシリスが選んだのは、羊肉入りシチューとココア、焼き立てパンのセットだった。
 リンファは羊肉の辛味香草蒸しとサラダ、チーズ挟みパンとハーブティーを注文する。どの地域、どの店に来てもそれぞれの好みは出るもので、シリスには、リンファの注文もいつもとそれほど変わりないものに思える。
 数少ない客ゆえか、張り切って店の主人が料理を作り始めると同時に、シリスはテーブルの上に地図を広げた。地図の上部、オカラシア大陸北東の北に浮かぶノースランドの中央より西に、赤い点が書き足されている。
「さすがに、この周辺は町もないみたいだね。ほとんど未踏領域みたいなものだとか」
「歩いていくとしたら、重装備が必要かもしれないわね」
 溜め息交じりの美女のことばを、飲み物を先に盆に載せてきた店主が聞き咎める。
「まさか、西に向かうつもりじゃないだろうね?」
 西が人の住める場所ではないことからしても、それがどれだけ無謀なことなのかは想像がつく。しかし、シリスとリンファには、どうしても行かなければいけない理由がある。

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2009年1月12日 (月)

古に眠る炎竜#52(長編連載小説DB)

 海賊船は魔法で牽引され、ノースランドのファルガス港という小さな港に到着した。この港の船も襲ったことがあるらしい海賊たちは身を縮こまらせて穴の空いた船から降りる。さすがに、沖にいるうちに旗は隠されていた。それでも何となく雰囲気は察しているのか、遠巻きに眺める漁港関係者の視線は厳しい。
 その中で、体格のいい黒目黒髪の海賊の男が二人の旅人たちの前にひざまずくと、警戒する相手の前で頭を下げた。
「すまねえ、旅の人たち! この恩は忘れねえ。あんたたちは命の恩人だ。船も壊れたし大した礼もできねえが、何でも言ってくれ。できるだけのことはする」
「そう言われても……」
 相手は海賊だ。その被害を受けた者たちの目もある場所で礼を言われるというのもばつが悪い。
 シリスは少し迷い、海賊たちの顔を見回した。数人の海賊が行方不明となっていたが、助かった者たちは怪我の手当ても大方終わり、ことの成り行きを見守っている。
 吟遊詩人が降り注ぐ雪が入らぬようにコートの襟を立てながら困ったように肩をすくめていると、エーゼルが埠頭につないだ漁船上から声を上げた。
「漁師としては、安全に漁ができればそれにこしたことはないんだけどな」
 もっともな意見だった。しかし、海賊が海賊をやめるというのは相当なことではないだろうか。
 そう考える旅人たちだが、海賊のまとめ役らしき男は、覚悟を決めたようにうなずいた。
「わかった……これからは、ジェシュとノースランドの船には手を出さねえ。オレたちは、これから西に行く。帝国の船だけ襲ってりゃ、誰も文句は言わねえだろ」
「そういうものなの……?」
 北方大陸の内情を良く知らないシリスは怪訝そうに言うが、漁港の者たちも納得顔だった。
「そういうものなんだ。あいつら、自分たちの国のためだけに兵器やその材料をかき集めてやがる。それを奪った方が周りの国も多少は安心できるし、兵器もその辺に回したほうが釣り合いが取れるってものさ」
 何となく釈然としないながら、シリスは納得することにした。地元の者たちでなければ判断が下せないことというのもあるだろう。
「オレはオピスって言うんだ。また会うことがあったら、何でも力になるぜ」
 そう言い残して、海賊たちは船に戻っていった。漁港の者たちも協力するつもりになったらしく、早速修理を始める様子だ。
 シリスとリンファは、帰還準備をしているエーゼルに礼を述べた。
「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ。これで安心して漁ができる。また何かあったら声をかけてくれよ。オレは早くこのことをうちの港の連中に知らせてやらんとならんから帰りは送れないが、この港の連中でもあんたたちの頼みを嫌がる者はいないだろうよ。それじゃあ、元気でな」
「エーゼルさんもね」
 かまどに新しい石炭をくべると、第五鳳凰丸は慌しく小さな港を出て行った。

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2009年1月 6日 (火)

古に眠る炎竜#51(長編連載小説DB)

 シーサーペントの口から海水が噴き出した。シーサーペントの攻撃のひとつに、毒液を混ぜた海水を吐き出すというものがあることを、シリスもリンファも知っている。
「〈ワールウィンド〉!」
 旋風を起こす魔法を盾代わりにし、海水を吹き散らす。
 続けて呪文を唱え、シーサーペントの眼前に灰色の球体を出現させる。
「〈シェイブウィンド〉!」
 灰色の球体から無数の風の刃が撃ち出される。普通の魔物相手なら原型を留めないほど切り刻まれ細切れにされるような魔法だが、シーサーペントの皮膚は風の刃の威力も緩和するのか、浅く表面を斬るだけに終わる。
 それでも、金属のような白銀の表面にいくつも赤い線が刻まれ、見た目には今まで以上の有効打を与えたように見える。
 行けるかもしれない――と、エーゼルや海賊たちの目が輝く。
 だが、刻まれた痛みに唸り声を上げて激しく頭を振り、力任せに氷を砕いて空高く立ち昇る姿を見上げると、威圧感に再び首をすくめる。
「〈フレアブラスト〉」
 リンファが再び、赤い光線を放った。傷口を狙っての一撃だったが、シーサーペントは長い胴体を揺らし狙いが逸れる。
 的確な攻撃をするにはもっと近づかなければならない。あるいは、相手にもっと近づかせるか。
「〈ライトニング〉」
 シリスは愛槍を掲げ、それに魔法をかけた。彼の封魔槍デウスは、魔法をひとつだけ封じておくことができる。
「〈ヘイルストーム〉」
 相手へ向かう道を作ろうというのか。リンファが海面を凍りつかせる。
 しかし、その完成を待つまでもなく、シーサーペントは自ら頭を打ち下ろしてきた。頭上高くから一気に落下してくる凶暴な形相に、海賊たちは小さく悲鳴を上げる。
 そのまま動けない彼らの視界の中で、敵と同時に、シリスだけが大きく動いた。迫り来るシーサーペントへと駆け出しながら、槍をしっかりと両手にかまえる。
「〈エアボミング〉!」
 白銀の大きな頭が叩きつけられようとする寸前を見計らい、爆風を起こして相手の勢いを殺す。
 船の先から氷の道へと飛び降りると、シリスはシーサーペントの傷ついた首の辺りに狙いを定めた。漁船に向かう頭の下に潜り込み、下から傷口を狙う。
「〈エアボミング〉」
 リンファが逃げるボンスとエーゼルの前に立ち、魔法で牙をむき出しに襲い掛かる敵の頭を弾く。
 敵の動きが止まったそのわずかな瞬間に、シリスは的確に狙える一点を見出した。
「はっ!」
 渾身の力を込め、両手で槍を突き上げる。ほとんどは上手く避ける位置ではあったものの、シーサーペントの傷口から青い血が噴き出して彼の顔に点をこぼした。
 だが、それにかまっている余裕はない。痛みから逃れようと身をよじろうとする大蛇の力に引きずられそうになりながら、素早く力を解放する。
「デウスよ!」
 名を呼ばれた封魔槍が、その内に封じられていた電撃をほとばしらせた。いくら皮膚が硬いとしても、シーサーペントも生物である以上、身体の中までは丈夫ではいられないようだ。
 跳ね飛ばされないように素早く槍を抜き、シリスは漁船に引き返す。
「船長、もう少し離れて!」
 リンファとボンスに引っ張り上げられる間にも、彼はそう叫んでエーゼルに船を動かさせる。
 シーサーペントは断末魔の声を上げて暴れ回った。あちこちで水しぶきが上がり、強い波が起きて船を揺らす。
 漁船は充分に距離をとるが、海賊船には大きな波が直撃する。しかし、充分な大きさがある海賊船は波には強い。シーサーペントの尾でも叩きつけられればひとたまりもないが、それはリンファの防御結界で防がれていた。
 被害は抑えられるとしても、長々と暴れさせるわけにもいかない。シリスが呪文を唱え、少しでも敵を道連れにしようというかのようにのたうちもがく大蛇に風系魔法の中でも最上位のものを放つ。
「〈ダウンバースト〉!」
 上空からの渦巻く風を叩きつける魔法だ。風の吹きすさぶ轟音とともに、大蛇が海面の下へ押し付けられ、その周囲に大輪の水の花を咲かせた。生じた波が漁船と海賊船を大きく揺らす。
 逃れようと身をくねらせて唸るものの、全体が海面下に沈むと力尽きたように動きを止めて沈んでいった。
 巨体の影が完全に見えなくなり波がおさまると、どこからか声が上がる。
「た、助かった……」
 確かめるようにそうつぶやいた声を最初の一声として。
「生きてる……」
「助かったぞー!」
「奇跡だ……」
 海賊船の船室に隠れていた者たちも姿を現わし、久々に晴天を眺めた囚人のように天を仰いで歓喜する。
 脅威から逃れた海賊たちが襲いかかって来るのではないかと警戒し、いつでも呪歌で眠らせられるように竪琴をかまえていたが、どうやら、襲撃される可能性はなさそうだった。

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2008年12月29日 (月)

古に眠る炎竜#50(長編連載小説DB)

 海賊の男は、名をボンスと名のった。エーゼルは海賊仲間が漂流しているのを見かけたら助ける代わりに第四鳳凰丸の安全を約束させたが、海賊の人数は数十人に登り、人数を頼みに襲い掛かられたら約束も何もないであろう。
 それでも、自分にとっても救いの手である漁船を沈めることまではしまい。船長はそう考えることにしたようだった。
「でも、あんまり一気に人数は乗せられないぜ。そうなったら、順に誰を乗せて往復するかはこちらで決めさせてもらう」
「俺はそれでかまわないが……」
 ボンスは自信がない様子で言う。彼は海賊の中でも下っ端の方であり、力の強い者が別の判断を下せば海賊たちの多くはそれに従うという。
 それはそれで仕方がない、と船長は肩をすくめた。
 少しずつ、何かがきしむような音とうめき声のようなものが大きくなってくる。第四鳳凰丸は白く大きな氷山を迂回し、裏側へと船首を向けた。
 海面に木の板の残骸が広がっている。もはやすべてが塵となって消えたかと思われたか、海賊の男は表情を曇らせたが、やがて船が現われるとほっと息を吐く。
 船は一応原型を留めていた。マストは折れ、櫂も何本も折れてあるいは失われ、あちこちに穴は空いているが、浮くことはできているらしい。
 漁船に比べかなりの大型船だ。大砲が左右側面から突き出し、折れたマストにからみついたロープに辛うじて引っかかっている旗には、黒地に赤い文字で奇妙な模様が描いてある。
 甲板の上に転がって呻いている姿が見えた。その中でもいくらか元気な者が、驚いたように顔を向け、すがるような目で漁船を見る。
 大蛇の姿はどこにもなかった。
「まだ近くにいるかもしれねえ。俺が海に投げ出される前には、長い胴体で船を締め上げていやがった。きっと船を沈めるつもりなんだ」
「確かに、そうかもしれないわね」
 リンファが海面に鋭い視線を送る。巨大な影が船の下を悠々と泳ぎ回っているのが見えた。それに気がついた船乗りたちは表情に恐怖の色をはしらせる。
 影の見た目だけでも、幅は大人の男十人分以上、長さは数十人乗りの海賊船の五倍はあった。それほどまでに巨大なものに襲い掛かられては、小さな漁船などひとたまりもないだろう。
 リンファは漁船の周囲に防御結界を張った。結界ごと持ち上げられれば大した意味はないだろうが、乗員の精神的な安定に配慮したためだった。
 しかし、相手は最初から小さな船には興味がないのか、それともまずは大きなものを片付けようというのか。
 水柱が上がった。海賊船の向こう側に、つやのある白銀の皮膚をもつ大蛇が頭をもたげた。その顔はコブラにも竜にも似ていて、古代の魔術師の書物には竜の亜族として記載されていることも多い。
「船長、船をもっと近づけて」
 魔女のこの注文にエーゼルとボンスはギョッとしたような顔をするが、結局無言で言われた通りにする。
「あれが本当にシーサーペントなら、魔法はほとんど受け付けないはずだけど……」
 そう言って呪文を唱えると、魔女は、鋭い目で獲物を見渡す大蛇を指さした。
「〈フレアブラスト〉」
 細い指の先から赤い光線がのび、大蛇の胴体をつらぬいた。獣のような唸りを上げて仰け反る魔物の一点から、炎が噴き上がって爆発を起こす。
 だが、それは表面に薄く黒い焦げを残しただけだ。
「まったく通じないわけじゃなさそうね」
 肩をすくめる横で、使う機会は無さそうだと思いながらシリスが槍を手にしている。
「シーサーペントの下等種かもしれない。弱点は雷電属性の魔法だったよね。でも、この状況では……」
「周囲を巻き込みかねないわね」
 攻撃を受けたにもかかわらず、大蛇は漁船ではなく海賊船に顔を向けたままだ。大きく牙の生えた口を開き、覗き込むように甲板に近づく。海賊たちが逃げ出そうと動き出すと、それを合図にしたように勢い良く顔を乗り出していく。
「〈エアボミング〉」
 シリスが爆風を放つ。攻撃ではなく、海賊たちが逃げる時間を稼ぐための一撃だ。
「〈ヘイルストーム〉」
 続いて、リンファが無数の氷の矢を放った。シーサーペントの胴体が突き出た周囲の水面へ向けたものだ。
 氷の矢はまとった冷気で水面を凍りつかせる。少しでも動きを遅らせようという魂胆なのだろう。
 海賊たちは魔法の効果もあって、無事に船室に逃げ入ったようだった。
 しかし、船ごと沈められれば終わりである。真の戦いはこれからだ。
 シーサーペントもまた、標的を改めたようだった。鋭い目が小さな漁船に向けられる。エーゼルと海賊が首をすくめる。
「〈マナウォール〉」
 少し長めに呪文を唱えていたシリスが、海賊船と漁船の両方を包み込む。
「〈ライトニング〉」
 待ちわびたようにリンファが電撃の矢を放った。シーサーペントの弱点とされる属性の魔法だ。
 青白い光の矢が火花を散らしながら滑らかな皮膚にぶつかると弾け、表面に無数の舌を這わせた。シーサーペントは唸りを上げて頭を振るが、電撃が消えると頭を海面に突っ込み、再び持ち上げる。
「亜種である分、弱点も薄くなっているみたいね。もっと強力な雷電属性の魔法でないと……」
 リンファが分析している間に、狙いを定めるように漁船を見下ろしたシーサーペントが閉じていた口を開いた。途端に感じる嫌な予感に、シリスは魔法の準備のために精神を研ぎ澄ます。

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2008年12月23日 (火)

古に眠る炎竜#49(長編連載小説DB)

 氷山がだいぶ大きく見えてきた頃、ようやく男が目を開けた。
「あ、気がつきましたか? 船の上です。もう大丈夫ですよ」
 シリスが覗き込んで言うのを茶色の目で見上げ、何度か瞬きをしたあと、男は自分の胸もとに手を入れた。財布のような大事な何かを落としていないか確かめているのだろうと思っていた吟遊詩人の前に、煌くものが突き出される。
 刃の広く短かめな曲刀、カットラスだ。南方大陸でも船乗りが良く護身用に身に着けている。
 男の服の内側で鞘から抜き放たれたのであろう刃が目の前に迫る光景に、シリスは反射的に身を引いて横にかわす。
 男はカットラスを突き出しながら上体を起こし、さらに刃を相手に近づける。
「船をよこせ! さもないと……」
 声はかすれていたが、そのために余計にドスが利いていた。脅し慣れているらしい雰囲気がある。
 操舵室で驚くエーゼルと間を置く二人の旅人を前に、男は少し頼りない足取りで立ち上がりながら、値踏みするように異様な風体の旅人たちを見た。
「変わった連中だ……大人しく言うことを聞けば悪いようにはしねえ。船長、船を北に向けろ!」
「いや、すでに北には向かってるが……」
 不可解そうに船長が返すと、男は目をみはる。
「北に向かうとは奇怪な連中だな。相当命知らずらしい」
「ノースランドに用事があるんだ」
 相手が向けたままの凶器から目を逸らさないまま、シリスが応じる。
「悪いが、寄り道してもらう。あんたたちの目的は残念ながらあきらめてもらうことになるなあ」
「そういうわけには……」
 シリスが言いかけるなり、男が動いた。人質にしようという目算なのか、カットラスの刃が向けられる相手は吟遊詩人ではなく、そのとなりにたたずむ魔女だ。
 魔女は後ろに身を引いた。それほど急いだ動作ではなく、優雅、とすら形容できるほど余裕のある速さだった。
 刃がその肌に迫る前に彼女が他にしたことは、ひと言、口に出しただけだった。
「〈ボムフィスト〉」
 本来は前方へ空気の塊を飛ばす魔法だが、熟練の魔術師は呪文無しでも簡単な魔法効果の改変はできる。男のカットラスを握る手が、上から弾かれる。
 落下したカットラスをシリスが踏みつけ、逆の足で男の足を払って転倒させた。
「あなた……海賊ね」
 リンファがそう断定する。
 武器を失った男は目をむいて旅人たちを見上げた。その表情は信じられないものを見た、という心情を如実に語っている。
 男の目から戦意が失せた。しかし、強い意志の色が失せたわけではない。
 彼は勢い良く両膝を曲げて座り込むと、まだ仕掛けてくるかと警戒したシリスらを一度見上げ、頭を地面につけた。
 土下座の格好だった。意外な光景に驚く旅人たちに、海賊は顔を上げないままで声を張り上げた。
「頼む、仲間の船を助けてくれ! 今の、魔法だろう? ってことは、あんたたちは南の大陸の冒険者ってヤツだろ? あの魔物には魔法でもなけりゃ歯が立たねえ!」
「魔物……?」
 オカラシア大陸にも、まったく魔法文明時代の遺跡がないわけでも、魔物が存在しないわけでもない。しかし、魔物が人や船を襲うというのはこの辺りではそうそうないはずだ。
「まさか、噂のあれかい?」
 操舵室からエーゼルが顔を出す。
「伝説じゃ、ノースランドの氷の下を住処にしている大蛇がいるとされてる。単なる迷信だと言うヤツもいるが、船の下を巨大な影が通ったとか、とんでもねえ大きさの尾っぽが見えたとかいう連中もいてな」
「それが、本当にいやがった。この船よりずっとでけえ海蛇だ」
「シーサーペントかしら……」
 かつて古い書物で見かけた魔物の記述を思い出し、リンファは溜め息を洩らした。もしシーサーペントであれば、その鱗は特定の魔法以外はすべて弾くのだ。
 海賊は顔を上げ、ある一点を指さした。
「このまま行けばどうにしろ素通りとは行かなくなるぜ。何せ、まだあの裏にいるはずだからな」
 彼の指先が示す氷山はもう、視界の三分の一を埋めるのではないかというほど近くに迫ってきていた。

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2008年12月20日 (土)

古に眠る炎竜#48(長編連載小説DB)

 炎は再び勢い良く燃え盛り始め、メモリも赤い方へと長くのびていく。
「これで島まで持ちそうね」
 白い山が段々と近づいてくる。その向こう側の海には、氷の切れ端のような白いものが無数、浮かんでいるのが見えた。それらはやけに強い波に揺らされている。氷山の辺りを中心に波紋のような波が起きているのだ。
 そして、何か板切れのようなものがこちら側に流れてきていた。シリスは流氷かと思いながら眺めるが、近づくにつれ、それは板にうつ伏せになった人間の背中だとわかる。
「エーゼルさん、あれ!」
「わかっとる!」
 第四鳳凰丸は船首を漂流者に向けた。船の起こす波で煽らぬよう、少しずつ速度を落としてそばに停止する。
「おーい、大丈夫か!」
 エーゼルが操舵室を出て声をかけるが、男はピクリとも動かない。わずかに見える肌は雪のように白くなっていた。
 彼がロープ付きの浮き輪を投げる前に、リンファは呪文を唱えていた。
「〈フライイング〉」
 うつ伏せの男の姿が見えない何かに引っ張られたようにして浮き上がる。エーゼルは目を丸くするが、すぐにタオルと毛布を用意した。
 黒目黒髪の、エーゼルとそう変わらない年齢の男だった。そのままタオルと毛布にくるまれ、かまどの前に横たえられる。
「大丈夫、息はある。体温がかなり下がっているみたいだけど」
 脈を取っていたシリスが安堵の声を上げる。外傷もなく、気を失っているだけのようだ。
 リンファが魔法を使い、男の周囲を温かな空気で包み込む。体温を上げるには、一方向からのかまどの熱だけでは不充分だと判断したのだろう。
「それにしても、なんで流されてたんだか……見ない顔だから、ノースランドの漁師かねえ」
 とりあえず、男の命は魔法使いに任せていれば大丈夫だろうと判断したのか。エーゼルは首をひねる。
「この男が乗ってきた板は、船の物のようだったわ。きっと、船が何かの拍子に壊れて流されたんでしょうね」
「この人の他にも流された人がいないといいけれど」
「漁船は、そう大人数で乗るものじゃないもの。それにしても、こんな遠くまで流されてくるなんて」
「そりゃ、おかしいな」
 リンファのことばをエーゼルが何気なく継いだ。旅人たちに視線を向けられ、彼は少し怯んだように肩をすくめる。
「いや、それがよ、ノースランドはあの気候だから滅多に船での漁はしないんだ。それも、こんな沖合いまでは来ない。あっちじゃ主流は網か釣りか、海鳥漁だからな」
 海鳥漁については、旅人たちもカンドリアで少し耳に挟んでいた。頭のいい、漁をする鳥を使い、その大きなクチバシの中に袋を引っ掛けてエサの魚を取ってこさせるのだ。代わりに、人間はエサの分け前と安全な住処を提供するのである。
「じゃあ、港から落ちた……とか?」
「本人に聞いてみた方が早いわ」
 少しずつ、漂流してきた男は顔色を取り戻していた。船長は船を港に引き返すか迷っていたが、どうやらそこまでしなくても済みそうだ。
 しかしこのまま停止していては、海賊にとって格好の獲物になりかねない。第四鳳凰丸は再びノースランドに向けて動き出した。

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2008年12月18日 (木)

古に眠る炎竜#47(長編連載小説DB)

 北方大陸とノースランドの間にあるフリーズ・シーは、北に近づくにつれ流氷に覆われ、気温も下がっていく。いざ出航というときにはエーゼルも上着を着込んでいた。それでも、南方からの旅人たちに比べれば、ずいぶんと薄手の物だが。
 船は最大四人乗りの漁船で、かまで火を焚き、その熱と蒸気で動くものだ。最新の船は古代の科学文明の設計図を元にしたエンジンを搭載したもので速くて静かだが、この辺りでは見かけない。最新型は値が張るのもあるが、火を使った方が暖をとることもできて一石二鳥だからだろう。
 船の名は〈第四鳳凰丸〉といった。漁船らしく、飾り気のない名前である。
「海賊ってのは大体、出航して間もない頃に出るんだ。あいつらも、できるだけ寒いのは避けたいらしい」
 船尾の方にいる旅人たちに、操舵室から船主が声をかけた。
「だから、とっとと寒い辺りまで進めばいいって話だ。ちょっと荒い操縦になるから、しっかりつかまっててくれよ。それと、かまどの方は頼む」
「ああ、常に赤くなっていればいいんだよね」
 かまどの蓋に、温度を表わしているらしい横棒状のメモリがあった。それは火を焚く前は青かったが、今は赤く染まり横にのびている。
 シリスはそばに用意してある柄の短いスコップを手に確かめた。燃料となる石炭も箱に入れられている。
 すでに火は勢い良く焚かれ、蓋も触れられないほど熱くなっていた。それを原動力に、カンドリアを出た船は鈍い群青色の冷たい海を北上していく。陽は出ていないが風がそれほど強くないのが救いだった。
 シリスは火の様子を眺めながら、できるだけ冷たい風を肌に受けないようにしようと帽子を被って襟を立てた。リンファは魔法で風を遮っているのか、涼しい――もとい、温かそうな顔をしている。
「あなたにも掛けてあげてもいいわよ」
「いいよ。寒いのも暑いのも旅の醍醐味なんだし」
「旅先でも、できるだけ快適にありたいと思うのが人情だと思うの。本当に旅先の気候も感じたいのだったら、そのコートも脱げばいいじゃない」
 リンファが遠慮するシリスに近づき、コートの襟元に手をかける。シリスは逃げるように後ずさりして、背中が船の縁に当たると、絶望したように首を振った。
「いやいや、いくら旅の醍醐味を楽しむにしても、命がなければどうしようもないわけで……最低限の生命維持は必要だと思います勘弁してください」
「冗談よ。生命維持のためなら、こんなところで少しでも体力を失うのは馬鹿馬鹿しいじゃない。これから先もっと寒くなるんだし、それに……他の障害も現われるかもしれないし」
 彼女の言うことは理解できた。場合によっては海賊と戦うことになるのだ。寒さで体力を失ったり、手足の感覚を鈍らせることがあればいらぬ危険を呼ぶことになるかもしれない。
 シリスは確かめるように、手袋に覆われた両手を握っては開いた。
「まだそこまで寒くはないよ。それに、必ず海賊が出るとも限らないし」
 いつの間にか、後ろで漁港が判別不能なほど小さくなっている。この分なら、それほど時間もかからず海賊の出るという海域は抜けるだろう。
 それに、いつも問題が起きる前に感じる嫌な予感はしない。そのため、彼は少し気楽に考えていた。
 リンファは少しあきれたように肩を落とす。
「危険なんて、いつ現われてもおかしくないものよ。油断すれば喰われるのが世界のあらゆる生き物のさだめ」
「リンファは悲観的なんじゃないのかい」
 淡々と言う魔女とかまどのメモリを交互に眺めながら、シリスは竪琴を抱え込んだ。歌うことで寒さと退屈をやり過ごすつもりなのだろう。
「他に船は見当たらないし、大丈夫さ」
「だといいけど」
 吟遊詩人は竪琴の弦に手を伸ばし、その手の指を動かし始める前にふと、船の前方に目を向けた。波は穏やかで水平線まで障害物はないが、水平線の向こうに切り立った白い山や、白く横たわるような島が薄っすらと見えてきていた。雪が吹雪いているのか、周囲の空は白く濁り、その上には厚い雲が覆いかぶさっている。
 見るからに寒そうな光景に、彼は再び、できるだけ隙間がないようにとコートの感触を確かめた。
「あの氷山を過ぎれば間もなく、海賊も追ってこない海域だな」
 エーゼルがさらに船の速度を上げる。
 いつの間にか火が小さくなっていたらしい。シリスはかまどのメモリがもうすぐ青に変わりそうなところまで下がっていることに気がつき、専用の耐熱手袋を片手にはめて蓋を開け、スコップで石炭を入れた。火の粉が舞い、熱風が吹きつける。
 蓋を閉めると、ふう、と止めていた息をついだ。

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2008年12月15日 (月)

古に眠る炎竜#46(長編連載小説DB)

「それでも、どうしても渡らないといけない理由があって……船を借りてでも渡るつもりです。用事を済ませたらすぐに戻って来るつもりなんですが」
 素直に応じると、店主は少し考え込む素振りを見せ、
「それなら、知り合いの船主を紹介しよう。そこなら簡単に船を借りられるし、もし船を出してくれる者がいれば連絡してくれます。それと、ここにある防寒具は一週間貸し出しもできますよ」
 悩む客たちに、そう提案した。
 貸し出しなら、定価の半額以下で済むらしい。当然それを承諾し、船主への紹介状を書いてもらう。
 購入した防寒具を早速着込んで、二人は船主のいる港に足を向けた。
 街中は少々肌寒い程度だが、北からの冷たい潮風を受ける港はさすがに寒い。シリスは茶色の厚手のコート、リンファはファーのついた白いコートを着込み、二人ともコートについた帽子を被った。雪は降っていないが、周囲の視線をある程度遮断できる。
 コートに加え、厚手の手袋や毛布も何枚か借りていた。途中の店でいくらか道具も買い、あとは北の島に渡る船を探すだけだ。
「魚を獲る船も出てないんだね」
 港は閑散としていた。船はほとんどすべて埠頭にくくりつけられたままらしく、人の姿はない。
 ただ、いくつか海に突き出た先端にある小屋からは、人のいる気配が感じられた。
「エーゼルさんは一番右だったわね」
 紹介状を見下ろし、二人は冷たい風を感じながら港を歩いた。海の向こうの空には相変わらず暗雲が立ち込めている。
 寂しげで暗い雰囲気だが、小屋に近づくと、聞こえてきたのは陽気な声だった。
「すみません。エーゼルさんはこちらですか?」
 「ああ、エーゼルはオレだ」
 即座に威勢のいい声が返ってくる。誰かが内側からドアを開け、中の様子があきらかになる。
 船乗りらしい男たちが輪になって網を補修していた。屋内は風がないとはいえ決して温かそうではないが、皆半袖だった。鍛えられた浅黒い腕が見えている。
 帽子を被っているとはいえ、近くでじっくり眺めればその奥の顔立ちを見てとれる。漁師たちは開け放たれたドアの向こうに注目すると、驚嘆した様子で目を見開く。
「これは驚いた。雪の精が舞い降りたか」
 意外に詩的なことを言う相手に、リンファが帽子を下ろして歩み寄る。
「雪のように触れても消えはしないわ……あなたに頼みがあるの」
 紹介状を渡し、彼女は単刀直入に説明する。相手も、もったいぶった言い回しを好む人種ではない。
 しかし話を聞いたエーゼルは、渋い顔をする。
「船を貸せと言われれば貸さないこともないが……この状況で船頭やるヤツはいないだろう。みんな勇敢な連中だが、家族もいる」
「それでもいいの。船頭がいなくても船は動かせるし」
「二人だけで行こうっていうのか?」
 少し驚き、漁師は二人の旅人を頼りなげに見る。
「これでも、長年旅をしてきたんだ。盗賊の出る山道なんかも通ったし、もっと危険な場所にだって行ったことはある。それに、魔法で船を守っておけばいい」
 シリスが相手と視線を合わせて言うと、また相手はギョッとしたように目をむいた。
「魔法、魔法か……」
 複雑な感情の込められた声を聞き、シリスは思い出す。
 ナーサラ大陸の町では日常的に聞く『魔法』や『魔物』といった単語も、この大陸ではとても異質なものなのだ。多くの人々はそれを目にすることなく一生を終えていく。
 そういう人々が魔法を、その使い手を前にするとどういう感想をもつか。神の奇跡のように崇めるか、脅威として恐れるか、そのどちらかではないだろうか。
 シリスは不安を抱きながら、エーゼルの表情を見守った。
 彼の心配をよそに、エーゼルは膝を叩いた。
「おもしろい。一度魔法ってのを見てみたかったんだ。オレが出よう」
「大丈夫なのかい、旦那?」
 周囲の心配を、エーゼルは「そう簡単に死なねえよ」と一笑にふした。

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