『古に眠る炎竜』2

2006年11月19日 (日)

古に眠る炎竜#40(長編連載小説DB)

 まばらに草が生えているとはいえ、この辺りはまだ、乾いた土地だった。ジャングルに近い辺りはむっとするような暑さがあるが、北上するにつれ熱は冷め、ひび割れた土にいくらか緑が加わった荒野が続く。大地が草原に変わるには、カールスメアよりさらに北へ向かわなければならなかった。
 そのカールスメアを首都とするアリューゼ自治領に入り、シリスは地図を広げて見た。背後にジャングルが見えなくなった辺りが検問もない国境だが、その位置から次の目的地であるパミルの西までの距離は、気が遠くなるほど長い。
「それで、リンファ……本当に、間に合う方法があるのかい?」
 風に舞い上げられた、砂埃とは違う乾いた細かな土の埃に咳き込んでから、吟遊詩人が唯一の同行者に問う。
 カールスメアに希望があるかどうか、シリスは半信半疑だったが、ほかに手段がない以上、彼はどうにせよ、もうリンファの考えに従うしかない。
「運が悪ければ、もうしばらく時間がかかるでしょうけれど……運が良ければ、すぐにも行けるはず。あなた、カールスメアの考古学者の話は知ってるかしら?」
「カールスメアの考古学者って、クレビンス師かい?」
 クレビンスは、デュメル博士、セディン博士に並ぶ、三大考古学者の中の一人だ。よほど事情にうとい者ならともかく、考古学に関する知識も必要な旅人や探険家ならずとも、多くの人々に知られている話だった。
 しかし、早足で歩きながら、リンファは首を振る。
「確かに、関係はあるけれどもね……彼自身より、彼の友人の探険家の話よ。五年ほど前だったかしら……山で昔墜落した帝国の飛行艦を発見した探険家が、自力で修理してそれを自分の物にしたの」
 北のオカラシア大陸に国土をかまえるラスゲイン帝国は、超科学文明の遺産のひとつである飛行艦を使い、何度かここナーサラ大陸の国々に侵攻していた。それが失敗に終わったとき、いくつかの飛行艦は魔法で撃墜された。
 ほとんどは、ナーサラ大陸の技術では再生不可能ほどに破壊されたが、人里離れた山には修理可能な物が残されていたのだろう。
「その探険家、よく移動に飛行艦を使っているみたいよ」
 ここまできて、ようやくシリスもリンファの言う移動手段に気がつき、足を止めた。
「あ……まさか、ノースランドまで、その飛行艦に乗って……?」
「そうよ。パミルまでは無理かもしれないけれど、一日もあればオカラシア大陸の北方の町にでも着けると思うの……あなた、下さえ見えなければ大丈夫でしょう?」
「それは、そうだけれど……」
 高所恐怖症とはいえ外さえ見えなければ高い塔にでも登れるが、空飛ぶ乗り物になど、乗ったことはなかった。シリスの顔に、不安の色がよぎる。
「少しの間なんだから、嫌でも我慢することね」
 苦笑して、リンファが歩き出す。仕方なさそうに、シリスもそれを追った。
 間もなく、二人の前に、地平線の彼方から、レンガ造りの街並みが姿を見せ始めた。

次の章 | 目次 | 次の章

|

2006年11月18日 (土)

古に眠る炎竜#39(長編連載小説DB)

 砂嵐の接近の余波で、布が大きくはためく。それを強く押さえつけながら、二人の旅人たちは、しっかり見届けようと、デポネ族の儀式に目を凝らす。
 砂嵐が作り出すのとは別の、ゆるやかな風の流れが、精霊術師たちの周囲にできていた。それは徐々に大きな竜巻のような、空高く舞う壁となる。
 精霊術師の頭に乗った動物たちも立ち上がり、それぞれに雄叫びを上げる。見上げる先には、半透明な、蒼白い怪鳥が翼を広げていた。風神シュトライトの使いとされる、精霊フェルザームだ。
 動物たちに答えるように高く澄んだ鳴き声を上げ、精霊は力を解放する。
 間もなく、押し潰そうとするかのように迫っていた砂嵐が周囲を取り込んだ。風が荒れ狂う轟音に、赤黒い砂が孤を描く凄惨な光景に包まれるが、内側にいる者たちは、ただ、そよ風だけを感じる。
 やがて、砂嵐が背後へ去っていくとデポネ族の術師たちはかまえを解き、慣れた様子で深く一礼する。彼らに見送られ、召喚された精霊は精霊界へと還っていった。
「鮮やかだね」
 フェルザームが消えるのを見届けて、シリスは感嘆する。
 精霊術師が精霊界から召喚することができるのは、風の精霊だけではない。炎の必要な夜は小さな火をもとに火の精霊を召喚し、水が必要なときにはわずかな水から雨を降らせる精霊を召喚し、越えられそうにない砂の山があれば地の精霊に潰してもらう――人工の建造物などない、過酷なエルカコムの砂漠を住処とする者たちにとって、精霊魔法は生きるのに欠かせない道具らしかった。
 人々も、砂嵐がはるか後方へ消えるのを見送ると、緊張していた表情を緩める。
 もう砂嵐の影響は去ったと判断したのか、ヴァリドが皆を振り返って一言声を掛けると、整然と並んでいた術師たちが思い思いに談笑を交わしながら、それぞれの持ち場に戻っていく。
 砂嵐によって地形が変わり、地面がえぐれていた。少し前より低くなった行く手へ、ラクダに引かれた荷台は、再び進み始める。
 水で喉を潤し、魔法を使った疲れを癒そうとする子どもたちに、シリスはせめてものねぎらいとして、癒しの力があるという呪歌を奏で、歌った

 その翼は心の風
 その瞳は心の水
 純白の時が頬を撫で
 小鳥のさえずりが耳を癒す

 生命の杯は今満ちたり
 等しき安らぎが旅人たちを包む
 あたたかな光の中で目を閉じて
 静かなる闇に浸されよう
 再び光に目覚めるまで……

 それを子守り歌に、寝息をたて始める幼子どもの姿もあった。だが、中には、必死に眠い目を擦り、起きていようとする少年少女もいる。間もなく、その歌声を聞くことができなくなるのを知っているからだ。
 やがて、周囲の風景は変化していく。砂色の中に緑色が増え、間もなく、砂漠と草原の境目が見えてくる。東には、ジャングルを構成する緑の塊が横たわる。
「着いたぞ」
 ヴァリドの短い声に応え、名残惜しそうな子どもたちに手を振って、旅人たちは草の生えた地面に降り立った。
「ありがとう。助かったよ。できれば、何かお礼をしたいところだけど……」
 何か、少しでも礼になるような持ち物はなかったか、シリスが自分の懐を探ろうとすると、ラクダの上で、貿易商は首を振る。
「歩きながら、お前の歌を聞いていた。それで充分だ。芸術に大金を積む者がいるのもわかる歌だ」
 真っ向から褒められると、吟遊詩人は照れたように頬を染めてほほ笑む。
「それに、デポネ族の古くからの決まりに『砂漠で出会った旅人には親切にしないと不吉なことが起きる』とある。オレたちは、自分たちの決まりを守っただけだ」
 彼のことばに、彼とラクダを並べたほかのデポネ族の大人たちも、静かにうなずいていた。
「旅の無事を祈る」
 独特の形に指を組んで胸に当て、彼らは祈りとともに、二人の旅人たちを送り出した。

|

2006年11月16日 (木)

古に眠る炎竜#38(長編連載小説DB)

「砂漠の終わりまでなら、乗せて行ける。歩くよりは速いし、水と食糧はたくさんある」
「送っていってもらえるなら、ありがたいわ」
 それが自然なことのように申し出る男に、旅人たちは、感謝のほほ笑みを浮かべてうなずいた。
 男も、日に焼けた顔に浮かぶ表情を、わずかにほころばせる。
「オレはヴァリド。デポネ族の貿易商だ。よろしく」
 間もなく、晴れ渡った砂漠を行くデポネ族、総勢五三人の中に、吟遊詩人と女魔術師の姿が加わった。
 二人は、ラクダたちが引く、大きな荷台に乗せられる。荷台の上には布がかけられ、その下に、子どもたちや年寄りが座っていた。彼らの多くも頭に動物を乗せているが、余りに幼い子どもの頭上にはない。
「あれって、どういう意味があるんだろう?」
 遠巻きに、興味と恐れを顔に出してこちらを眺める子どもたちに目をやり、シリスが首をかしげた。
 その横から、リンファが身を乗り出す。
 彼女の口から出たのは、共通語とは違う響きを持つことばだ。それはヴァリドたちが話していたものと似ていた。
 驚くシリスをよそに、ことばが通じることで少し安心したのか、子どもたちの中で年長の少年が、何かを答えた。
「あれは、古来より伝わる精霊魔法の助けとなる使役獣だそうよ。一族の者は、必ず自分を選んだ獣と契約するの。精霊魔法はエルカコムじゃ主流だし、獣使いも何度か見たけれど、両方兼ねているのは珍しいわね」
「リンファ、デポネ族のことばを話せたのかい?」
「ええ。何度か商談の相手になったことがあって、覚えたの。片言だけれどね」
 ラクダに引かれ、荷台は北へと向かっていく。陽射しが遮られているとはいえ、暑さは無情に布の下にも入り込んでくる。
 荷台の後ろのほうには栓がされた壺がいくつも並び、時折、のどの渇きを覚えた者が手を伸ばして、大事そうに水をすくって飲んでいた。
 しばらくすると慣れてきたのか、子どもたちは少しずつ、見慣れぬ二人の同行者に近づき始める。
 やがて、勇気を出して近くに座った、頭に小さな砂漠猫の一種をのせた少女が、吟遊詩人が抱えた物を珍しそうに見上げた。
「触ってみるかい?」
 シリスがそっと竪琴を差し出してみると、少女は少し驚いてから、指を伸ばし、弦を弾いてみる。ポロン、と優しい音色が響いた。
 その音が気に入ったのか、彼女はほほ笑み、何度も、色々な弦を弾いた。聞きなれない音に、ほかの子どもたちも興味津々でのぞき込んで来る。
 やがて、弦をいじるのにも飽きたのか、少女は同行者を見上げて何かを問いかける。
「この楽器で、何か音楽は弾けないのかって訊いているの」
 いつになく柔らかなほほ笑みを浮かべて魔女が訳すと、それに応えて、シリスは楽器を抱えなおした。
 じっと見守る子どもたちの前で、優しい音色の連なりが熱い空気を震わせ、緩やかな旋律を歌声が追いかけ始める。

 鳥は皆 はばたき
 人は皆 旅立つ
 あの大空と大地の狭間には
 何かが待っている

 雲は風に 流れ
 人は皆 夢見る
 この光と影をさまよいながら
 故郷の景色を

 通り過ぎる人と街 止まらぬ時
 いつでも心に刻まれてく 温もり抱いて

 冷たい風吹きすさぶ道も
 燃えさかる炎の中も
 ただ あの地平線の彼方に辿り着く日まで
 歩き続けるだけ
 旅を続けるだけ

 シリスはデポネ語の歌を知らないので、『風の導』という、お気に入りの曲を歌った。フェンネルという有名な吟遊詩人が作った、旅人が旅をしながら口ずさむことも多い、旅情を感じる曲である。
 歌詞の意味が通じないことは大した問題にはならず、どこか懐かしいメロディーに聞きほれていた子どもたちは、手を叩いて喜んだ。さらに、少女やその周囲にいる子どもたちも、もっと色々な曲が聞きたいとせがむ。
 二、三曲歌ったあと、シリスはのどの渇きを覚え、水筒から水を含んだ。すると、喉にざらつく感触があるのに気がつく。空気が、だいぶ砂を含んでいるらしい。
 極小さな、地鳴りのような音がしていた。歌が途切れると、子どもたちもそれに気がつき、不安げに何かをささやき交わす。
 上に掛けられた布が、風に揺らめいた。重石代わりになっている、端に座る子どもが、慌てて座りなおした。
「もしかして……」
 リンファが、布の端を少し持ち上げ、のぞいて見た。
 行く手の稜線に横たわるのは、灰色のもやだった。空と地平線の境目を曖昧にするそれは、左右に、終わりが見えないくらいに続いていた。
 ラクダたちの歩みを緩やかにしていた布の外の大人たちが、ついに全体の動きを止める。
 ヴァリドが、懐から細い植物の茎から作られた笛を取り出し、吹いた。よく通る高い音が長く響く。
「警告かしら……砂嵐の」
「こっちに向かってくる……みたいだね」
 リンファの横に顔を出したシリスが、大きくなってくる灰色の壁を視界に捉え、眉をひそめる。
 すると、その横を、いくつかの気配が通り過ぎた。
 吟遊詩人が見上げると、子どもたちが立ち上がり、次々と荷台を降りていた。
 よほど幼い子どもはともかく、皆の顔に、恐れの色はない。これも、よくある日常の一部なのだろう。
 子どもたちは、大人たちと一緒に列を作ると、轟々という音が大きくなってくる方向に向けて両手を突き出す。
「きっと、精霊術で防御するつもりなんでしょうね。砂漠には、自然を操ることで危機を回避する部族がいる、と、何かの本で読んだ覚えがあるの」
 リンファの推理を証明するように、ヴァリドの指揮のもと、デポネ族の精霊術師たちは、一斉に呪文を唱え始める。

|

2006年10月12日 (木)

古に眠る炎竜#37(長編連載小説DB)

「……何だか、ひどく、時間がゆっくり進んでいるように感じられた試練だったわ」
 青い球体を前に、しばらくして、ようやくリンファが、溜め息交じりに言った。
「ああ。確かに、忍耐力を試されているみたいだったな」
 見慣れた姿を前に安堵しながら、シリスも同意する。
 試練としては、合格だろう。確信はないが、二人とも、何となくそう感じる。
 そう長い時間を待つまでもなく、試練を終えた二人の前に、変化が訪れた。地図が浮き出た青い球体上に、光の線が伸びる。
 光が指し示すのは、はるか北だった。
「これは……ノースランドの、パミルの西あたりね……」
「遠過ぎるよ……」
 ノースランドは、オカラシア大陸のさらに北のフリーズ・シーに浮かぶ、極寒の島である。そこに辿り着くまでが、まさに試練そのものだ。
 その上、ナーサラ大陸南部のエルカコムから一ヶ月以内に行って戻ってくるには、絶望的に遠過ぎた。
 それでも、すぐにはあきらめきれない。
「ワープゲートや転移陣を使わせてもらえれば、何とかならないかな。さすがに、ノースランド直通のはないだろうけど」
 超魔法文明や超科学文明の遺産には、一瞬にして長い距離を移動する装置や魔方陣がある。その中で発掘されたものには、現代でも同じように動くものもある。
「事情を話せば優先的に使わせてもらえるかもしれないけれど、一番近い転移陣まででもだいぶ時間はかかるわよ。それより、カールスメアに、移動の当てがあるの」
「船で行くにしても、だいぶ時間がかかるんじゃないか? 乗り継がないといけないだろうし」
「船は船でも……まあ、とにかくここを出ましょう」
 ことばを濁すリンファの様子を不審に思いながらも、シリスは大人しく、歩き出す彼女のあとを追った。
 試練を終えたあとの脱出口までは、一本道だ。砂丘の下から砂をかき分け、もとの砂漠に出る。
 暗い地下から強い陽射しの下に出ると、しばらくは目がくらむ。目が慣れるのを待つ間にも、暑さは容赦しない。
「まず、この砂漠を出るだけでも大仕事だわ。北に抜けられれば楽なんだけど」
 のどの渇きを思い出したのか、リンファは水筒の水を、さも美味しそうに飲んだ。
 シリスはマントの砂を払い落としながら、陽炎の立ち昇る地平線を見渡す。青空を背景に広がる色は、どこも黄土色だ。
 だが、その色にも、濃淡が生まれている箇所があった。暑さのせいではなく、確かに、何かが動いていると見える。
「あれは……ラクダかい?」
 徐々に大きくなってくるその姿は、馬のようにも見えた。だが、色は砂漠に溶け込んでしまいそうなほど淡く、荷物を背負っているようにも見える。
「誰かいるのかしら……考えてみれば、エルカコムにも多くの部族がいるのだもの。せめて、友好的な部族であることを祈りましょう」
「ドガー族じゃないといいね……」
 暗殺者として名高い一族の名を口にしながら、シリスは緋色の目を、大きくなってくる姿に向けた。
 ゆっくりと近づいて来るのは、何頭かのラクダと、人間らしい姿、ラクダに引かれた荷台のようなものだ。ラクダの乗っている者、歩いている者――そして、だいぶ近づくと、荷台の上にも人の姿が見える。どうやら、大所帯らしい。
 細い蔦を編んでつくった長方形の布に、頭を出す穴を開けて被り、腰紐で止めただけの土色の服を着た、浅黒い肌の男に女、子どもたち。
 間もなく、シリスとリンファの前で足を止めた一団は、奇異の目で砂漠の真ん中に立ち尽くす美しい姿を見つめていた。
「こんなところに、女神さまか。遭難したとも思えないし、どこかに行くのか?」
 砂漠に生きる部族の中には、独自の言語を話す者も少なくないが、最初に話しかけてきた黒髭の男は、流暢なことばでそう問いかけてきた。
「いや、まあ……用事が済んだから、北に抜けるか、一旦戻ってラクダを借りるか、迷っていたところなんだ」
 できるだけ、視線を相手の目に合わせるようにしながら、シリスは答える。気を抜くと、相手が向けているのと同じような、好奇心に満ちた目を、もっと上に向けてしまいそうだった。
 現われた一団は、皆、頭の上に小さな動物を乗せていた。動物は、鳥から身体の短い蛇の一種、ヤマネコに似た可愛らしい小動物など、さまざまである。
 男は、ターバンを巻いた頭の上に、赤毛の小さな虎のような動物を乗せている。
「北か……」
 男はほかの大人たちを振り向いて、部族のことばで何かを尋ねた。旅慣れたシリスも聞いたことのないことばだが、おそらく、この二人をどうしようか、という趣旨であろうことはわかる。
 勾玉のような獣の牙を連ねた首輪をした女と、年長らしい老人がうなずきながらことばを交わし、最後に、男に向かってうなずいた。
 男はそれを受け、再び旅人たちを見る。

|

2006年10月11日 (水)

古に眠る炎竜#36(長編連載小説DB)

 その、少し後。シリスは、冷たい牢の中にいた。
 荷物、竪琴も、当然武器も、すべて奪われている。特殊な繊維で編まれた愛用のマントも取られ、酷く寒い。
 ――あの子たちも、こんな寒さの中でどうしているかなあ。
 こうして自分が牢の中にいることと引き換えに、彼らは飢えをしのいだ。それが自己満足だと知りながら、シリスは少年たちのことを考え、心を慰める。
 警備隊員は、シリスを牢に入れて以降、姿を見せなかった。牢は尋問を行う部屋とつながっていて、部屋の小さな窓からは、夕日が洩れている。
「……寒い」
 誰もいない部屋で、身体をさすりながら、声を出してつぶやく。
 陽が落ちて夜が深くなるにつれ、いっそう空気は冷えていった。さらに、冷たい石の壁と床に触れた部分から、体温を奪われる。じっとしていると眠気に襲われるが、そのたびに、頭の隅でこの寒さの中で眠っては命取りだという警鐘が鳴り響く。
 せめて楽器があれば、と考えたところで、彼はふと、思いついた。
 楽器などなくとも、吟遊詩人は歌えるのだ。どうせ、ここで大声を出したところで、誰にも迷惑はかかるまい。
 むしろ聞く者のいないことが悔やまれるような歌声が、暗く冷たい空間に流れ始める。

 夢幻さえ触れられない
 虚しい闇をさまよい続けた
 標も手を取る者もなく
 一人転びながら探し続けた

 今は見つけた銀糸の絆
 月明かりもほのかに照らし
 しずく散る花も祝福する
 この道の先に待っていたもの

 はかないから強くつかみ取る
 もう放さない大切なもの
 白い階段を駆けあがる
 ふたつの心に翼を生やして

 数百年も前の、北方大陸の有名な童謡作詞家が作った歌だった。彼は孤児で、この『階段からの歌』も、自分の幼い頃を思い描いて書いたものだと言われている。
 歌い終えると、だいぶ、身体が温まっている。このまま、一晩歌い続けるくらいわけがなかった。
 次は何にしようかと、少し楽しい気分になりながら、天井を見上げる。
「あれ……?」
 同じ石の天井ではあるが、それはあきらかに、牢のものとは変わっていた。

|

2006年10月 7日 (土)

古に眠る炎竜#35(長編連載小説DB)

 ざわめきが、遠くから耳もとに近づいて来たようだった。
 気がつくと、シリスは通りの真ん中に立っている。賑やかな商店街らしく、近くには、果物やパン、干し物を扱う店などが並んでいる。
 空は蒼く、気持ちの良い風が周囲を吹き抜ける。
 同じ街並みが記憶の中にないか確かめようとするが、これといった特徴もないので、場所を特定することはできなかった。
 考えることをあきらめ、歩き出す。
 地元の者らしい客が、店主と談笑し、あるいは商品を選んでいる。旅人の姿は少ない。
「いやあ、今日も精が出るねえ」
 エプロンを身につけた男が、顔見知りらしい、花屋の主人とことばを交わしていた。男の背後には、荷台に何種類ものパンを積んだ荷車が停めてある。
 その横を通りかかったシリスは、ゴソゴソと、何かがこすれあうような音を聞いて振り返り、そのまま、目が離せなくなった。
 二人の、十歳前後の少年が手を伸ばしていた。
 それだけなら、少年としては、どの町でも見かける外見だろう。だが、その二人は、この街並みからひどく浮いていた。着ている服は土に汚れ、裾はボロボロに擦り切れている。ひどく痩せていて、二人のうち年上と思われるほうは、怪我をしているのか、布切れをむき出しの脛に巻きつけていた。
 少年たちは荷台から細長いパンを何本も抱えると、それを周囲から隠すように服に包み、素早く走り去っていく。
 雰囲気の明るいこの街にも、食べ物にも困る者がいるのか。
 暗澹とした気分で、シリスはしばらくの間、少年たちが去っていった方向を見つめていた。
 彼が我に返ったのは、低いわめき声が聞こえたときだった。
「誰だ、うちの売り物を盗んだヤツは! 確かに、ここにもパンがあったはずだぞ!」
 パン屋が、荷台から売り物のパンがいくつか消えていることに気がついたらしい。彼は、怒りに顔を真っ赤に染めながら辺りを見回し――吟遊詩人に目を留めた。
「お前、うちの売り物を盗っただろう!」
「え……」
 シリスが愕然としている間に、男は地面を踏み抜きそうな勢いで迫り、襟首をつかむ。
「オレたちのほかには、お前ぐらいしかいないだろうが! ほかに通りかかったような者もいなかったし、お前だろ!」
 唾を飛ばしてわめく相手の大声に顔をしかめながら、シリスは何とか逃れようと、太い指を一本一本はがす。
「違います……ほら、そんな大量のパンなんて持っていたらかさばるし、わかるじゃないか。背負い袋を開けたっていいですよ」
「そんなもの、信用できるか! お前みたいな流れ者は妙な術を使うんだ!」
 荷物を見せて納得させるという道は断たれた。
 どうすれば説得できるのか、と考えをめぐらせるうちに、いつの間にか消えていたパン屋の話し相手が、紋章入りのプロテクターをつけた男を連れて駆け寄ってきた。どうやら、警備隊員を連れて来たらしい。
「パンを盗ったっていうのは、お前か?」
 口髭をたくわえた警備隊員が、ぶしつけに尋ねる。
「オレは盗ってなんていません。パンを消すような魔法なんて知らないし荷物にだって、そんな……」
「しかし、誰かが手を出して取らなければ、荷台から消えることもないはずだな。それとも、何か他の理由を知っているのか?」
 これはまずい、と、シリスは思う。
 周囲の店からも、何事かと人々が顔を出し、野次馬も集まってきている。こういう場合、よそ者への感情や好奇心も、警備隊員の判断を左右するのだ。
 あの二人の少年たちのことを言えば、すぐに解放されるのかもしれなかった。だが、言いたくない。今の状況を作り出しているのは結局、その感情ひとつだ。
「いいえ……何も知りません。でも、本当に盗っていないんです」
 それが、精一杯の釈明だった。
 警備隊員は、必死の表情を見ながら、長い息を吐く。
「ことばの上では、なんとでも言える。お前は見るからに怪しい。一緒に来てもらおう」
 物理的には逃げることもできるが、そうなれば、本当に法を犯した者として終われる身となるだろう。
 「あの人、どこの出身なのかしら」、「あんな綺麗な人も、犯罪を犯すのね」、「ほら言っただろ、いかにも妙な魔法を使いそうなヤツだ」、「やっぱりよそ者は怖いね」――。
 連行されるシリスを、人々の奇異の目と、ざわめきが包む。好奇心を顕わにしたささやきが、妙に耳についた。

|

2006年8月14日 (月)

古に眠る炎竜#34(長編連載小説DB)

「ほう……こりゃ凄い。宝石も飾り物も値打ち物だが、この金貨が一番凄いよ」
 男は、奇妙な模様の入った、大きな金貨を指さした。そらされていたリンファの目が、鋭く、男の指と、その先を眺める。
「こりゃあ、ガネイン金貨さ。三〇種類の模様があって、コレクターの間じゃ、かなりの高値でやり取りされる。オレの知り合いに、丁度、この模様を集めてるやつがいるんだよ」
「……そう」
 ガネイン金貨のことは、初めて聞いた。この試練の中だけに存在する物なのか、それとも、現実に存在する物なのかも、判断のしようがなかった。
 無関心を装うリンファに、男は、愛想笑いを浮かべて歩み寄る。
「なあ、お嬢ちゃん……一枚くらい、無くなってもわかんねえだろ。ちゃんと金は払う。三〇〇でどうだ?」
 少しだけ、心惹かれる。
 だが、それもほんの少しの間の、ほんの少しの揺らぎだ。
「……そんなに欲しいなら、持ち主が戻ってくるのを待っていたらいいじゃないの」
 喉のひりつきのせいで、声がしわがれたようになった。
 それに気がついた男が、ラクダのもとに歩み寄る。
「いや、オレもすぐにカールスメアめざして発たなきゃならないんだ……お嬢さん、それじゃ、三二〇とこれひとつ追加じゃ、どうだい?」
 そう言って男が差し出したのは、ラクダの腹の横に吊るされていた、あの、水袋だった。まだ半分以上入っているらしく、たぷたぷと音が鳴った。
 その水で喉を潤すときの快感が、精緻に想像できる。リンファは、それができる自分が憎かった。
「……残念ね。縁があればまた巡り会えるでしょう」
 喉はひりつき、身体がどれだけ水を欲していても、衰弱していたとしても、彼女の頭脳だけは、よどみなく動く。彼女は、これが試練であることを忘れない。
「そうかい。本当に残念だよ……まあ、すっぱりあきらめよう」
 男は肩をすくめて、ラクダに戻る。
 水が遠くへ行ってしまうのに、リンファはほっとした。心を乱す物が視界から消えると、目を閉ざし、ひたすら時間が経つのを待とうとする。
 不意に、喉の渇きが消えた。
 精神を集中しているとはいえ、五感が完全に消えることはない。不思議に思って目を開けるなり、彼女の視界を、白い光が包み込んだ。

|

2006年7月23日 (日)

古に眠る炎竜#33(長編連載小説DB)

 これだけ無造作に置かれているのだから、金貨の何枚か取ったところで気がつかないかもしれない。山の内側にある物なら、取ったところで追及される前に逃げることができるかもしれない。
 すべてを持ち逃げしようというつもりがないのは、ここから離れていいのかどうかわからないという一念からだった。
 それに、ここは試練の場だということも、頭の隅では認識している。だが、試練の場が現実に存在するどこかだという可能性もあるので、金貨を持ち帰ったらどうなるか試してみたいという興味もある。
 男が彼女を一人置いていったのは、闇に、多少の手数料なら取ってもいいということかもしれない――リンファは財宝の山を見つめたまま、あれこれと、自分に都合の良い妄想を膨らませた。
 しかし――目の前の、夢や幻とは思えない財宝に心を惹かれるのは事実だが、彼女は、それに触れてはいけないことはとうの昔に知っていた。興奮状態でも状況を的確に分析するその頭脳は、財宝を見た時点で、それが『自らを律する自制心』の試練であるという答を導き出していたのだ。
 リンファはそれを、少しつまらなく思う。理性を捨てて、財宝の山で溺れる感触を味わってみたい。不可能なことだが。
 溜め息をついて、建物の窓に腰かける。
 常に強い『財宝に触れたい』という欲求に晒されながら、近づきたいという身体の動きを押さえ込むこと自体は簡単だった。まるで、拷問のようだ。
 彼女は魔術師らしく、精神を研ぎ澄ますことにした。
 視界の中心にある財宝の存在を完全に忘れ去る。目を開けたまま、それを認識しないことにして、ただ、風の音を聞いていた。
 長いようでも短いようでもある時間が過ぎた。彼女は、のどの奥にひりつくような渇きを感じ始める。
 ふと、遠くに気配が揺れるのを感じた。
 視線を動かし、少しずつ近づいて来る気配を探る。出て行った男に似てはいるが、同じ気配ではない。
 ただ黙って、相手を待つ。
 風除けの壁の切れ目から、ラクダに乗った男が現われた。ラクダの腹の横には、水がたっぷり入っていると思われる、革製の水袋がふたつ、揺れていた。
 水がそこにある。そう認識すると、途端にのどの渇きが強くなる。
 目をそらし、リンファは忘れようと努めた。
「そこの美しいお嬢さん、そこで何をしているのかね?」
 フード付の白い服に身を包んだ男が、ラクダの首をめぐらせ、近づいて来る。
「見張り番よ。頼まれたの」
 そちらを見ないようにしながら、短く答える。
 男はラクダを近くの木につなぎ、物珍しそうに、財宝に近づいて来た。

|

2006年5月24日 (水)

古に眠る炎竜#32(長編連載小説DB)

 乾いた砂を含んだ風が、古い壁で囲まれた周囲を通り抜けた。
 長い間、砂に晒されてきたらしい壁は、平たな建物を守るためにあるらしい。その建物も古びていて、もはや、周囲の壁と大差ないほど痛んでいた。
 しかし、少なくとも、人の身長の数倍はあろうかという壁は、強い陽射しを遮る役目は果たしている。
 壁の合間から見えるのは、砂の稜線だ。リンファは、一瞬、地上に戻ってきたのだろうかと思った。
「そこのあんた」
 背後から、男のものらしい、低い声がかけられた。
 近づく気配には気がついていた。敵意や殺気は感じられない。
 それでも、手は密かにレイピアの柄に伸ばしながら、いつでも回避行動に移れるよう、身体ごと油断なく振り返る。
 布を頭に巻きつけた、三〇歳前後の小柄な男が目を丸くして口を開けていた。彼女の顔を初めて見た者としては、標準的な反応である。
「何か用かしら?」
 警戒は解かないまま、声を掛ける。そうすることで、相手が我に返るまでの時間が短縮されることは、経験上わかっていた。
 表情は驚きのままだが、案の定、男はやっと止めていた動きを再開する。
「ああ……あんたみたいな綺麗な人、初めて見たわ。しばらくここにいるつもりなら、荷物を見張ってて欲しいと思ってたんだが……」
「別にいいわよ」
 試練の空間での行動は、特に制限されていない。試練が向こうからやって来るので、どこかに行かなければならないということもない。
 あっさり受け入れられたことに、少しだけまた驚いて、男は笑みを浮かべた。
「まあ、こんなところまで奪いに来るようなモンはいないと思うけども。陽が傾くまでには帰るんで、よろしく頼んますぜ」
 男は嬉しそうに、できるだけ美女の姿を長く見ていようと、顔だけリンファに向けたまま、建物の前と壁の間につないであったラクダに乗った。
 大きな水筒や最低限の食糧を積んで、砂漠へ向かう。
 果たして、男は何を見張っていろと言ったのか、少しだけ興味を引かれて、リンファは壁の向こうに歩み寄った。
 ドアも窓も壁をくりぬいただけの建物の前に、山があった。
 山を構成するのは、金貨に宝石がついたアクセサリー、魔力を帯びた短刀や、魔力石が飾られたティアラや杖だった。
 リンファの見立てでは、数十万カクラムは下らない財宝の山だ。
 一体、あの男は何者だったのか。財宝の隠し場所を見つけに来た盗賊か、どこかの王家の者か、あるいは、一攫千金を求めてやってきたトレジャー・ハンターが凱旋する途中なのか。
 どれにも当てはまるようには見えなかったが、砂漠の旅に慣れた様子なのは確かだった。
 頭の隅の冷静な部分でそう分析しながら、リンファの興味は主に、財宝を我が物としたい欲求に向けられていた。

|

2006年5月22日 (月)

古に眠る炎竜#31(長編連載小説DB)

 どこにも、生き物の気配はない。周囲に動物の骨が転がっているようなこともなく、ここに足を踏み入れた者は、長らくいないと見えた。
 油断なく、それぞれの武器を手に、二人は立ち上がる。
「〈ラスターライト〉」
 リンファが鞘から抜き放ったレイピアのつばにはめ込まれた玉石に、明りの魔法をかけた。カンテラより少し強めの光が、周囲を照らす。
「じゃ、行こうか」
 地上に比べて気温は低いが、じっとりとまとわりつく空気が、緊張を煽った。砂混じりの汗を拭いて、シリスが慎重に神殿へと足を踏み入れた。
 ほぼ正方形の、濃紺色の通路が続いていた。奥は完全に闇に包まれ、どこかから、雫の垂れる音だけが響いてくる。
 耳を澄まし、どんな変化も見逃さないよう眼を凝らしながら、足を滑るように踏み出し、音を立てぬよう進んでいく。
 エルーダの遺跡と、似たような雰囲気はあった。いつ、試練のためのからくりが発動するともわからない。
「今のところ、特に変化はなさそうね」
 シリスの後ろから魔力の動きを眺めていたリンファが、声を潜めて状況を告げる。
「限られた者が訪れる試練を受けるための場所だから、そんなに強力な罠はないとは思うのだけど……」
 グン、という音が、吟遊詩人の澄んだ声に重なった。
 床が動き、踏み出した足を支えるはずの物が消えたような錯覚を覚えて、バランスを崩す。しかし、灯りに照らされた先には、床はあった。ただ、真っ直ぐ続いていたはずのそれが、急な下り坂に変わっている。
 重力には逆らえない。シリスは小さな悲鳴を上げて、前方に転がった。
 死に至る罠が下で待っている可能性もある。彼は転がってすぐに槍に手を掛け、下の光景が見えてくるまで待った。
 光球はついてきている。念のために飛行魔法の呪文を唱えながら、リンファもあとを追追っていた。
 やがて、シリスは通路の出口の先に、落とし穴に槍が生えているわけでもない、特に異状のない床を見た。
 そのまま滑り落ちた彼の上に、リンファが落ちる。
「どうやら、罠はないようね」
「リンファ、少し太ったんじゃ……痛っ」
「どうやら、ここが試練の間みたいよ」
 部屋は、エルーダの遺跡の最深部とよく似ていた。
 円形の部屋の中心に、少し高くなった、段がある。冷たい岩でできた床や壁は少し汚れ、隅には砂がわずかに入り込んでいた。
 裾を払って立ち上がり、二人は段に歩み寄る。
「自らを律する自制心……だったわね」
 段に足を掛け、リンファが自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「何か我慢を強いられる試練があるのかな……とにかく、やるしかないか」
 急に湧き上がってきた緊張感につばを飲み込み、覚悟を決めて、シリスも段に上がった。
 段の中心に、青い球体が浮かび上がる。
『試練に導かれし者よ、その手で標に触れるがいい』
 どこからともなく響いてきたのは、エルーダの遺跡で聞いた声と同じもの。
 それが促す声が途切れるのを待って顔を見合わせて、うなずき交わし、二人は球体に手を伸ばす。
 途端に、球体が広がるようにして、青い光が視界を満たした。

|