『セルフォンの赤い悪夢』4

2005年11月29日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#40(あとがき)

セルフォンの赤い悪夢 (原稿用紙297枚)

 ブログ連載DB第一弾。一日原稿用紙8枚を目安に書いていたものの、厳しいですな。一章をあまり長く書き過ぎても、カテゴリ表示が長くなって読みにくいし……ブログは小説に向かいと言われているのが良くわかる。有料プランだと多少解消されるかもしれないが。

 内容的には、ある程度筋は決めているものの、行き当たりばったり。とりあえず、サイトで書いてる物より過去の話です。珍しく恋愛めいた部分も書いてみたり。
 300枚行かなかったか……原稿枚数はここのシリーズ全体で今後もカウント。次回作は最長一ヶ月くらい後になる予定。無駄にカテゴリページが長くなりそうだが、一日3~5枚連載に減らそうかなあ……。

 ともかく、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、どうもありがとうございました。


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2005年11月28日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#39

「ちょっ……!」
 驚き、悲鳴を上げるムーナの脇を駆けて、ホワラとレレナは、屋上の端から下を見下ろした。
 リンファの身体は、ゆっくりと降下していく。月光を受けて白く輝くようでさえある姿は、まるで天使のようだ。
「〈エアウイング〉ね。落下速度の調整も完璧だわ」
 レレナが冷静に説明する横で、ホワラとムーナたちは、茫然と見下ろしていた。塔の窓からも大勢の院生が顔を出し、ゆっくりと降りていくリンファを、口を開け、あるいは目を丸くして見守っている。
 やがて、魔女は、天から舞い降りた女神のごとく、学院の正面、門の少し手前に降り立った。
 そこには、見慣れた姿が待っている。
「身体は大丈夫なの?」
 院生たちと同じく、目を丸くして魔女の登場を目にしていた吟遊詩人は、まだ余り血色の良くない顔に、いつもの、人を安心させるようなほほ笑みを浮かべる。
「ああ。まだ完全じゃないけど、普通に動く分には大丈夫だよ」
「そう」
 唐突に、リンファが彼の手を引いた。シリスは転びかけ、魔女に受け止められる。
「あ、あの、リンファ……」
 背中に腕を回され、抱きしめられるような格好になって、彼は赤面する。リンファはかまわず、彼の頭を抱き寄せた。
「いいのよ。見せつけてやったほうが面倒がないわ」
 魔法学院の者たちから見れば、二人は口付けを交わしているようにも見える。窓から見下ろす学院生たちの間からは、悲鳴や口笛交じりのざわめきが起こっていた。
「あの、リンファ……苦しいよ……」
 シリスが顔を胸に押し付けられて呻くと、ようやく、相手の頭を押さえる手の力を緩める。蒼白かった顔に赤みがさしているのを見て、魔女は小さく笑った。
「少し痩せたみたいね。旅をするなら、もう少し太らないと」
「最近、寝込んでいることが多かったから……」
「それじゃあ、早く〈疾風の源〉亭に帰って、たくさん食べないとね」
 吟遊詩人を庇うようにしてその手を引き、多くの学院生に見送られながら、リンファは魔法学院を離れた。
 門を出ると、騒々しさが消える。風に乗って西や北の賑わいが流れてくるものの、リンファにとっては、魔法学院での騒々しい日々が急に遠くへ過ぎ去ったような感覚を覚えるものだった。
「……どうだった? 途中抜けたけど、一週間の学生生活は」
 街灯に照らされた西通りへの道を歩きながら、沈黙をもてあましたように、シリスが口を開いた。
 リンファが密かに目をやると、うつむき加減のその顔が、まだ紅潮している。
「それなりに、楽しかったわよ。旅をするのもいいけど、たまには、こうして街の人々の生活に潜り込むのもいいわね」
「そう。オレは、ちょっとつまらなかったけど」
「一人の時間を楽しんでいたんじゃなかったの?」
 魔女がからかうように言って覗き込むと、シリスは、顔をそらして溜め息を洩らす。
「最初はともかく、日を重ねるうち、段々退屈になって……確かに、楽しいこともあったんだけどね」
 彼は思い出したように顔を上げた。
「新曲を披露するよ。それが、今回の事件に関わった、オレの一番の収入かもしれないね……もちろん、これもそうだけど」
 慌てて、首に巻いたマフラーを触る。カナルに誘拐され戦獣に襲われたときも、これだけは守り抜いたのだ。
「それなら、お互い得るものはあったじゃない」
 耳に揺れる精霊石のイヤリングを指で弾いて、リンファは笑った。

   -〈セルフォンの赤い悪夢・完〉-

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2005年11月27日 (日)

セルフォンの赤い悪夢#38

 旧スラムに近い、東区のある一角。
 ここには、革命以前のものも含めた、多くの住民の墓が建ち並んでいた。星のない夜には幽霊が出るという類の噂も尽きない、白一色の墓場だった。
 その隅に、最近加わったばかりの墓がひとつ、ひっそりとたたずんでいる。
「お葬式にも行けなかったわね」
 まだ新しい花が並べられている墓の前に、また一輪の、白い花が置かれる。
「仕方ないよ。リンファは、誘拐事件の犯人を捕まえに行っていたんでしょう? レレナから聞いたわ」
 ホワラは、笑いたいのに笑えないような、奇妙な表情で振り返る。
 彼女とレレナ、そしてリンファ。今この墓地にいるのは、三人だけだ。
「ティアマリンがわたしの立場だったら、絶対に仇を取るって言ったでしょうね。仇は取ったわ……なんの慰めにもならないかもしれないけど」
 溜め息交じりに言って、リンファは短い黙祷を捧げた。
 ホワラやレレナに比べ付き合いが短いというのもあるが、いつまでも湿っぽくしているのは性に合わない。魔女はすぐに、背中を向ける。
「今日は、講義に出るの?」
 墓場を出たリンファの足が中央広場に向かっているのに気づき、そのあとをレレナと並んで歩いていたホワラが問うた。
 事件は解決し、もはや、リンファが魔法学院にいる意味はなくなっている。
「行くわ。最後だから」
 今日は、彼女の体験週間の最終日だ。正式入学をしないのはわかり切っているので、ホワラたちにとっては、リンファとの別れの日になる。セルフォンにいる限りは顔を合わせる機会はあるが、世界を自由にめぐる旅人は、ホワラにとってはまったく別世界の人間に思えた。
 せめて今日は、アマリさんに頼まれた案内役をしっかり果たそう。
 そう誓って、ホワラは魔法学院への道を先頭になって歩き始めた。

 『魔法戦術理論・応用編』、『魔法でできる生活術』、『攻撃魔法の威力向上』の三つの講義を終えて、リンファ、ホワラ、レレナの三人は、食堂で昼食をとる。
 食事を終え、通路に出たところで、見覚えのある姿が立ち塞がった。
「あぁら、三人おそろいで、仲がよろしいことで」
 ムーナが、取り巻きの女二人を左右に従え、笑みを浮かべてリンファを見る。
「そちらもね」
「あなたのそのお美しい顔も、今日で見納めかと思うと、寂しいわぁ。もう、お会いできないなんてねえ」
「そうね」
 ありったけの嫌味を込めて大声を張り上げるムーナに対し、リンファは軽くあしらうように、感情のない声で応じる。
 その、澄ました様子が、相手のカンに障ったのか。
「何よ、あたしを馬鹿にして……あんた、講義が終わったら屋上に来なさい。決闘よ!」
 おおっ――と、周囲で恐々と成り行きを見守っていた者たちから、どよめきが起こった。だが、当のリンファは平然としている。
「いいわ。すべての講義の後ね」
「ちょっと、リンファ……」
「いいのよ」
 ホワラが愕然とした様子で声を上げるが、体験入学生は溜め息交じりに言い、顔をそむけたムーナとは逆方向に歩き出す。
 決闘の話は、瞬く間に学園中に広がった。講義と講義の間の休憩時間のたびに、「応援しています、頑張ってください」、「僕が代わりに受けて立ちましょうか」などと、男女の別なくリンファのもとに押しかけてくる。
 それらを適当に追い返しながら、後半の講義を終え、魔女は屋上に向かった。ホワラとレレナも、黙って彼女に続く。
 この時間帯になると、外はすでに夜闇に包まれている。塔としてはあまり背の高い建物ではないが、闇に輝く蒼白い街灯と家々から洩れる温かい光、露店や街灯もない小路を行く者の持つカンテラの光が宝石のように、セルフォンの街並みを美しく飾り立てていた。
「ホワラ、レレナ。世話になったわね」
 屋上への最後の階段を登る途中、リンファは振り返りもせずに言った。
「え……?」
「短い間だったけど、楽しかったわ……そうね、あなたたちには、わたしの秘密を一つだけ教えてあげる。わたしは、昔ここで学んだことがあるの」
 目を丸くするホワラに、彼女は淡々と続けた。
「あれは確か……革命以前だったかしら。わたしが知っている教授は、すでにここにはいないみたいね」
 後ろで聞いているホワラの目が、さらに見開かれた。
「革命以前……って、リンファ、あなた……いったい何歳なの?」
 その問いかけに、魔女は初めて振り返り、どこか不敵なほほ笑みを浮かべた。
「レディに歳はきかないものよ」
 階段の最上段を登り、外の冷ややかな空気が身体を包む。
 ムーナと取り巻きが、三人を待ち受けていた。
「あら、逃げずに来たのね。そこは褒めてあげるわ」
 女の手には、見慣れないものが握られていた。金属製で、赤い玉石が先端にはめられた杖だ。魔術師の集中を助ける、魔法具の一種である。
 それも、かなり高価なものだと、リンファは見立てた。
「さあ、選びなさい。大人しく学院を去るか、あたしに吹き飛ばされるか。体験入学でちやほやされたからって、魔術師への道はあまくはないわよ!」
 杖を突きつけるようにして、女は叫ぶ。
「吹き飛ばされるのが嫌なら、せいぜい、普通の女として生きていくことね」
「そうね」
 リンファはホワラとレレナを離れ、屋上の端に立つ。
「わたし、わかったわ。あなたに比べて魔法の才能も何もないって。だから、本入学はあきらめるわ」
「へ?」
 ムーナと取り巻き二人の目が、驚きで点になる。
 しかし、やがてムーナは、腰に手を当てて笑みを浮かべる。
「ず、ずいぶん素直じゃない。ようやく身の程を知ったってところかしら」
「体験週間で、思い知ったの。わたしじゃあ、ここではやっていけないって」
 清々しい笑顔で一度振り返り、ホワラとレレナに小さく手を振ると、リンファは、足を踏み出す。
 足場のない、宙に向かって。
「それじゃあ」
 その姿は、下へ消えた。

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2005年11月24日 (木)

セルフォンの赤い悪夢#37

「あれは、失敗作だ。個性が、発達し過ぎてしまった……」
 翼をはばたく姿を見上げ、カナルが独り言のように言う。
「飛ぶという行為が可能な分、余計なものまで見えてしまったのかもしれん」
「あなたにとって、飼い猫と戦獣は違ったの?」
 フートのことを思い出し、リンファは少しだけ興味を引かれて、呪文を中断して問うた。
 カナルは、血に汚れた口もとをわずかに歪める。
「別物だよ。どちらも、道具には違いないが。あの猫にも、何度も血を分けてもらったからな」
「そう」
 レイピアの鋭い切っ先が、錬金術師の赤いほうの目を突いた。男の口から、低い、唸るような悲鳴が上がる。
 その声を、聞きつけたのか。
 闇の奥を駆け、徐々に近づいてくる気配と足音に気づいて、魔女はレイピアを引き、肩をすくめて振り返る。
 見覚えのある姿がふたつ、月光のもとに表われた。
 むせ返るような、血の匂い。
 白いワン・ピースのスカートをまとったシリスと、いつもの制服姿の警備隊員ルルグが、惨状を見て顔をしかめる。
 戦獣たちを見て、一瞬怯んだ様子を見せたもの、シリスは真っ直ぐ駆け出した。
「リンファ!」
 半分予想していたものの、リンファは溜め息を洩らす。
「本当に追いかけて来るなんてね。その格好、良くお似合いよ」
 そばまで駆け寄ってきたシリスは、泣き出しそうな顔をしながら呪文を唱え、治癒の魔法を使った。リンファのほうは、怪我の痛みも、自分が白い服を血に染めた姿でいることも、意識の外だった。
「お前が誘拐犯だな?」
 シリスがリンファの怪我を治している間に、臆することなく、ルルグがカナルに歩み寄る。
「お前を逮捕する」
 いつも犯人を捕らえるときに使うものではなく、魔法で強化されたロープを使い、ルルグは錬金術師を念入りに縛り上げた。
「残るは、獣たちね」
 倒れかけたシリスを支えてやりながら、魔女は見上げた。
 急降下を仕掛ける戦獣を、灰色の戦獣が長い尾で叩き落そうとする。それを上手くかわし、もう一方は大きな翼で風を起こした。
 よろめく地上の一体に、長い爪の一撃が撃ち込まれる。
 灰色の硬い皮膚が大きくえぐられ、血を噴いた。
「決着がついたようですね」
 油断なく剣を右手にしたまま、ルルグがそう評した。
 彼の言う通り、勝敗は決していた。地上の戦獣は、長く悲しげな咆哮を一つ残して、崩れ落ちる。
 カナルは捕らわれ、戦獣たちの戦いも終わった。翼のある戦獣は、ゆっくりと地上に降りて様子をうかがっているものの、敵意は感じられなかった。
 これから先の対応は、国の機関が考えることだ。もう、リンファや一線の警備隊員の仕事は終わったも同然だ。
 ほっと息を吐きながら、リンファはふと、腕の中のもうひとつの鼓動の主を見る。
「シリス……?」
 呼びかけに、答えはない。
 覗き込むと、まぶたは閉じられ、身体からは力が抜けている。しかし、表情は自分の役目を果たしたことに満足したような、笑顔だった。
「まったく……おせっかいなのも考えものね」
 不愉快ではない、淡い感情をこめた声で、魔女は独り言のようにつぶやいた。

 三たび、シリスはベッドの上に横たえられた。ここしばらくの事件の間に何度もそうしたように、ぬくもりの中で目を覚ます。
 新しい服を着せられ、毛布に包まれる彼を、リンファが本を片手に覗き込んでいた。
「気がついたみたいね。気分はどう? どこか痛む?」
「いや……リンファ、何がどうなって……」
 記憶が途切れ、状況がわからない吟遊詩人のために、ハーブティーをカップに注ぎながら、魔女は説明した。
「カナルは逮捕されて、警備隊本部。あの翼のある獣も、エンデーヌ将軍もね。将軍も、処罰を受けるでしょう。王国軍にもカナルの息のかかった者がいるでしょうし、大きな騒動になるかもしれない……特殊魔法部隊にもメスが入るでしょう」
「王国としては、戦獣の力自体は戦力にしたいはず……あの戦獣、解剖とかされなければいいけど……」
「解剖の可能性は低いでしょう。唯一の生き残りだもの」
 リンファは、左手を相手の背中に回して身を起こすのを手伝い、枕を立てて支えにする。右手にはハーブティー入りのカップを持ち、差し出した。
 身体を温める効果がある、少し辛味のあるお茶を口にして、吟遊詩人は辺りを見回す。
 窓は開け放たれ、柔らかい陽射しを注いでいた。時間帯は、朝と昼の中間だろうか。
「何だか、今回は寝込んでばかりで何もしなかったような気がする……リンファは、無茶をしたね」
「そうかしら」
 魔女は苦笑して、空になったカップを取り上げると、まだ熱のあるシリスをベッドに押し付けた。
「ご飯までもう少しあるから、しばらく眠っていなさい」
「もう、眠くないよ」
 リンファは毛布を掛けなおしてやり、そっと、相手の頬にかかる髪をすいた。抗議の声を上げながら、シリスは心地良さに、目を細める。
 魔女は不意に、遠い目をした。
「……こんな風に、他の人を気にかけるのを、楽しく思う日が来るなんて思わなかった……あなたと会うまでは」
 吟遊詩人の紅潮した顔に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「良かった。きみが外の世界に出てきたことを後悔していなくて。……他人がいるっていうのは、楽しいでしょう?」
 その顔を見下ろす魔女の口もとにも、笑みが浮かぶ。
「ええ。一人より、退屈はしないわ」
 彼女の答えに、満足したのか。
 シリスは再び、寝息をたて始めた。

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2005年11月23日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#36

 鎧がひしゃげ、肉に食い込む。血が、全身のひび割れた銀色の表面を流れ落ちた。
 それでも、自ら半獣人となった男は倒れない。ズタズタに引き裂かれた筋肉で、そして長年鍛えた精神力で、その場に立ち続ける。
「ぐうっ……」
 血を吐きながら、彼は腕を振り上げる。
 リンファは、レイピアを投げた。カナルは慌てて腕を上げ、顔を覆ってレイピアを弾き落とす。
『悲劇の戦場に散りし 破壊のしもべたちよ……』
 カナルの目が見開かれる。
「馬鹿な……そこまでの魔力が残されているはずは……」
 運動をすれば体力を消費するように、魔法を使い続ければ、魔力も一時的に減退する。強大な魔術師になればなるほど、魔力も強大で、魔法を使い続けられるようになる。
 それでも、今リンファが使ったような強力な魔法は、かなりの魔力を消費するはずだ。
 恐れか、驚きのためか。カナルはよろめき、後ずさる。
「〈ボムフィスト〉」
 リンファは古代語の呪文を中断し、衝撃波を放った。
 攻撃によるダメージのため筋力は弱り、不意を衝かれたために踏ん張ることもできなかった。カナルは、大きく吹き飛ぶ。
 やはり、魔力はほとんど尽きたか――そう感じ取り、カナルは即座に起き上がる。
 そうして踏みつけた足が、地面の下に落ちた。
「なに……」
 事態を把握する前に、浮遊感が半獣の身体を包んだ。
 それも、わずかな間だ。その脇を、焼け付くような痛みがつらぬく。
「ぐはっ……!」
 見下ろす目に、刃が見えた。エンデーヌ将軍がリンファたちに与えた剣に、先ほど魔力を込めたものだ。
 地面に掘られた穴の中でもがくカナルを、拾い上げたレイピアを右手に握ったリンファが見下ろす。
「言ったでしょう……容赦はしない主義だって」
 魔力は尽きていないのか。彼女はまた、呪文を唱え始める。
 見上げるカナルの目に映る、緋と蒼の半月に、流れる血も艶めかしくすらある、絶世の美女。
 最期に見る景色としては、上々かもしれない。
 まばたきせずに凝視する彼の、徐々に鈍り始めた耳に、唸り声が届く。
 闇から、獣が現れた。
「〈ボムフィスト〉」
 呪文を中断し、冷静に衝撃波を放ちながらリンファが下がる。
 さらにもう一度衝撃波を放ち、彼女は少し離れた所に移動した。
 獣は、彼女を追って走る。
「〈ヘイルストーム〉」
 リンファのその一撃は、獣ではなく、穴の縁に手を掛けたカナルのもとへ飛ぶ。手が、穴の上に蓋のように張った氷に包まれる。
 そちらを一瞥し、レイピアを手に呪文を唱え、リンファは獣を待った。落とし穴は、ひとつだけではない。
 だが、獣が辿り着く前に、別の気配が、上から降り立った。
 翼を広げた、もう一体の獣。
 その姿に、一瞬リンファは動きを止める。
「おおぉぉう!」
 翼のある戦獣は、咆哮しながらもう一体につかみかかった。二体の獣はもつれ合いながら、石畳の上を転がる。
 そちらは気にしなくて良いらしい。そう判断して、唱えていた魔法を、ひび割れが大きくなり始めた氷の膜へ向ける。
「〈ライトニング〉」
 蒼白い電撃が、穴の中をつらぬく。
 さらに、彼女は魔法を放つ。
「〈フレイムボム〉」
 穴の奥から、火をまとったカナルが弾き出される。錬金術師は唸り声を上げながら、地面の上を転がり、火を消す。
 炎が消えても、男は動かなかった。否、すでに、動けなかった。血は危険なほど大量に流れ、脇腹には深い傷を受け、全身に火傷を負っている。
 瀕死のカナルを、リンファは蹴り転がす。そしてまた、呪文を唱え始める。
 殺すつもりなのだ。容赦などなく。
「わ、わたしももとは人間だ……」
 もつれる舌を動かし、かすむ目で見上げて、錬金術師は言った。
「人間を殺すのか……」
「それがどうしたの?」
 何でもないような口調で、魔女は答える。
「自分の身を護るためなら、人間も殺してきたわ。それも、たくさん。わたしたちと同じく、自分の身を護るために、わたしに刃を向けた人にもね。それに……」
 レイピアが、カナルの右手を地面に縫いとめる。
「あなたも、人を獣のエサとしか見ずに誘拐し、傷つけ……殺してきたんだもの。同じことだと思うの」
 呪文を唱えながら、戦獣たちに目をやる。
 戦獣は、どちらも血を流していた。どちらかといえば、空中から攻撃できる、翼を持った戦獣が押し気味に戦っていた。

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2005年11月22日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#35

 蒼白い光の球の群が、ひとつひとつ意思を持ったような動きで、標的を襲った。それを、リンファが事前に魔力を込めておいたレイピアで、左右に斬り散らす。
「〈ヘイルストーム〉」
 動きを止めようというのか、カナルはリンファの足もとめがけ、氷の矢の雨を放った。対抗して、リンファも唱えていた呪文を解放する。
「〈コロナブリッド〉」
 赤く燃える炎の粒が、氷の矢に真っ向からぶつかり、ジュッと白い煙を残して消えた。
 次の呪文を唱えながら、カナルはマントの内側から何かを取り出し、指に挟んだそれを投げつけた。
 すぐに発動できる下位の結界を開放しながら、リンファはそれを斬り落とす。
 白い煙が噴き出し、周囲を染めた。
 めくらましか、それとも、錬金術師の仕事だけに、粉に何か毒が混ぜられているかもしれない。
 布で鼻と口を覆い、目を閉じる。
 どこから、攻めて来るか。気配を探りながら、呪文を唱える。
「〈ワールウィンド〉」
 風が螺旋を描いて吹き上がり、粉を吹き散らす。
 途端に、爆発が起きた。
 何が起きたか理解すると、リンファはとっさに〈ボムフィスト〉を自分に向かって撃ち出し、勢いよく地面を転がる。
「炎の魔法を使えば爆発し、風の魔法でも摩擦で爆発する……」
 身を起こしながら分析することばに、低い声が続いた。
「水の魔法では、身体を麻痺させる毒薬が溶け出す……しかし、驚くべきことだ。あれを切り抜けて、息も乱していないとは」
 カナルは、フードの奥で、確かに驚きの表情を浮かべているらしかった。リンファが彼女自身に放った〈ボムフィスト〉の衝撃など、とっさに張った結界で吸収されている。
「魔術師たるもの、常に息を整えておくのが基本よ」
 平然と言って、魔女はレイピアの切っ先を向ける。
「〈ボムフィスト〉」
 錬金術師が、横に身をかわす。その脇を、衝撃波が行き過ぎた。
「〈ボムフィスト〉」
 衝撃波の連打。カナルは、今度は防御壁を張ってそれを防いだ。
 リンファは走った。レイピアを突き出し、後ずさるカナルに、臆することなく鋭い刃を振るう。
 その切っ先は、錬金術師の身のこなしで回避しきれるものではない。
「〈プリベント〉」
 呪文を唱え、カナルは高位の防御魔法を張った。淡い光の膜がその身体を包む。
 リンファはレイピアを振るいながら、早口で呪文を唱える。かなり戦い慣れた魔法戦士で鳴ければ体得できない、高度な技だ。
「〈エアボミング〉」
 カナルの身体が、吹き飛ばされた。そのかつての家の残骸に、頭から突っ込む。衝撃は結界に阻まれたものの、フードが破れ、金色の髪がのぞく。
 呪文を唱えながら眺めるリンファの前で、防御魔法の集中を解いた黒衣の錬金術師が身を起こす。
「なかなかやるな……」
 端正な顔の半分が、灰色に染まっていた。フードに隠されていた顔の左半分は、まるで岩のような光沢のある肌で覆われていた。目は獣のように鋭く、色ももう一方とは違い、不気味な赤。
「それが、あなたの研究の成果、ということかしら」
 小声で唱えていた魔法を解放してから、魔女は相手に目をやる。
「あなたがエンデーヌ将軍とともに魔物退治に奔走していたのは、実験に必要な魔物を手に入れるためね。エンデーヌに力を貸しながら、力と権力を手に入れていった……」
「そうだ。魔物を手に入れるには、一石二鳥の仕事だからな。そして、合成獣たちを簡単に使役するには、やはり、己が強くなければならぬ」
 男が、黒いマントを取り払う。鎧のような銀の鱗に覆われた、太い腕が見えた。
 卓越した筋肉と、全身を覆う鎧。マントの下に隠されていた身体は、魔術師という存在に対する一般的なイメージとは、大きくかけ離れていた。
「ラウリのそばの遺跡……ここを脱出したあなたは、しばらくの間、あそこで過ごしていたようね。その後、才能ある将軍候補を見つけるまで、魔法学院に在籍していた」
「よく調べたものだ」
「遺跡の、研究室……あそこにあった魔方陣だけ、他の部屋の古代文字より新しかったもの」
「なるほどな」
 自らの力を確かめるように、錬金術師は地面に向けて手を突き出した。
 轟音が鳴るとともに石畳がめくれ上がり、土埃が舞う。深いクレーターが、彼のそばに刻まれた。
「〈フレアブラスト〉」
 こちらも小手調べのつもりか、リンファが赤い光線を放つ。カナルは動かず、それを待ち受けた。
 光線は鎧の胸に命中し、爆発し、炎上する。しかし、銀色の滑らかな鎧の表面には、傷ひとつ、焦げ痕ひとつつかない。
 最初に戦った戦獣にも通用しなかった魔法だ。女魔術師の面には、動揺の色は表われない。
「〈ボムフィスト〉」
 彼女がとっさに放った衝撃波は、カナルの脚力に歯が立たなかった。
 かろうじて横に跳んだ彼女のむき出しの肩を、手刀が生み出したかまいたちが裂く。
 形の良い眉が、わずかにひそめられる。それでも集中を乱さず、呪文を唱え続ける。
 カナルが、相手に向き直った。同時に、レイピアが突き出される。
 さすがに魔力を込めたそれを真っ向からは受けられないのか。錬金術師は大きく一歩、跳び退く。
 そのまま、宙を手刀で薙いだ。
 リンファの頬に血の線が引かれる。それでも、彼女は呪文を唱え続ける。
 いつもに増して、その精神は澄み渡っていた。両耳に輝く雫形の精霊石が、緋の月の破壊の力を、蒼の月の護りの力を、思うがままに引き寄せてくれる。そして、内から湧き出る魔力をも。
 超魔法文明時代に使われていた古代語の呪文が、歌うように、その花びらのような唇から紡がれる。
『悲劇の戦場に散りし 破壊のしもべたちよ
 その怒りと嘆きを持て
 愚かなる魂に我が裁きを下さん
 緋き力よ 古の契約に従い
 我が手に集いて 断罪の鎌となれ』
 聞いたことのない呪文に、カナルも身の危険を感じたのか、大きく身を引いて、幾重にも防御結界を張る。
 赤い光が、スラム全体を包んだ。
「なにっ…… !?」
 破壊の波動は、光の中の一点、カナルの身体に収束する。
 リンファが顔を上げた。
「〈スートディザスタ〉!」
 巨大な破壊力が、カナルの身体を押し潰した。

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2005年11月21日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#34

 リンファは、人の姿で賑わう街の中心を離れ、ひたすら静かな方角へと足を進めた。
 暗い小路から閑静な住宅街に入り、普段は誰も近づくことのない、そして、近づくことの禁じられている地区へ。闇が、このセルフォンの東の一角では、より濃く感じられる。
 緋と蒼の半月の明りを頼りに、魔女は汚れた石畳の上を歩く。家々の残骸が四方に広がる景色は不気味で、好んでここを訪れる者はいないだろう。
 その、不気味な景色の中を、見ている者のいないことが惜しまれるほどの美女が、迷いなく歩いていく。
 見覚えのある、木製の家の残骸。
 目的地に辿り着くと、リンファはその周辺を回り、慎重に探り始めた。そして、いくつかの地点に目を留め、魔法で細工を施す。
 そのうちに、覚えのある気配が、闇の中に生まれた。
「思ったより、遅かったのね」
 振り返ったそこにあるのは、予測通り、闇色のマントとフードに、頭からつま先までを覆った姿。
 黒衣の魔術師は、ゆっくりと、対照的に白い服をまとった女魔術師に歩み寄る。
「なぜ、ここに来るとわかった?」
 くぐもった、余り感情を含まぬ声が、冷ややかな夜の空気を震わせる。
 相手に向き直り、リンファは腕を組んだ。右手は、いつでもレイピアを抜ける位置になる。
「戦獣たちは、主のもとに戻ってくる……そう聞いたわ。主のもと……その研究所のここは、人目にもつかないし、待ち合わせに都合のいい場所だもの」
 黒尽くめが、数歩で届く距離まで間を詰める。
「そして、エンデーヌ将軍がセルフォンに到着する前……戦獣が活発に動く夜闇が降りた後、できるだけ早く獣たちと合流したいでしょうね」
「ご明察だな」
 その手が、マントの内側から出される。リンファには、魔力を秘めた指輪が輝く手に、少しずつ魔力が収束していくのが見えた。
 リンファは、スラリとレイピアを抜く。
「早く戦獣が駆けつけて来てくれるといいわね」
「ずいぶん、自信があるのだな。剣を使うのか……魔術師としても、かなりの手練だと見える」
「ずいぶん謙虚なのね」
 黒尽くめの手のひらに、充分な魔力が集う。それは、蒼白く冷たい輝きを放つ、光球の形をとった。
「油断はしない主義なだけだ。己より経験の浅い魔術師になど、負けるつもりはない」
 淡々と応じるそのことばに、魔女は、形の良い口もとにふっと笑みを浮かべる。
「わたしは、容赦はしない主義なの。忘れないでね、カナルさん」

 どうやら、上手く振り切れたようだ――人で埋め尽くされた通りを脱出し、小路に身を潜めて、シリスは息を吐く。
 呼吸を整えようとするが、あきらめて、重い身体を引きずるように歩く。当ては無かったが、足は東に向かっていた。
 さすがに、夜でも賑やかな西や北に、あの魔術師が現われるとは思えない。中央広場を横断して、静かな住宅街に向かう。
 東通りの一本となりの狭い道を歩きながら、思い出す。パーレル・グナッデンを捕らえたのが、この道だった。
 幸い、人の姿はない。西に比べ街灯も薄暗い石畳の道を歩きながら、シリスは空を見上げた。
 余り見られることのない、緋と蒼の半月。それを覆う、風に押され水が流れるように速く行き過ぎる雲の、黒い霧のような影が、不吉な混沌とした雰囲気を漂わせる。
 身につけているのが、なんとか見つけ出してきた薄手の女物の服一枚だけあって、寒い。腕をさすりながら、人気のない辺りへ歩き出す。
 さすがに、近くに戦いがあればわかるはずだ。セルフォンは広いが、戦える場所となれば、いくつか候補は絞られる。
 もう少し通りから離れようと、家と家の間に入ったところで、急に、手を引かれた。
「え……」
 振り返ると、水夫らしい、体格のいい若い男が、笑みを浮かべていた。しかも、男の背後には同僚らしい姿がふたつ、見えている。どこかでシリスを見つけ、後をつけていたらしい。
 普段なら、気配を察知できるはずだった。しかし、じっと立っているのもままならない状態では、無理な話である。
「こんな夜道を一人で歩いているなんて、危ないよ、お嬢さん」
 フード代わりに被っていたシーツが、男の手で取り払われる。まとめて押さえつけていた長い髪が、背中に流れた。
「ほお……綺麗なお嬢さんだ。一人で行かせるのは危険過ぎる。オレたちが案内してやろうじゃないか」
「そうだ、仲良くしようぜ」
 相手の顎をつかんで顔を上げさせ、覗き込みながらの男の提案に、その同僚たちも同調する。
 恐怖や焦りより、情けなさで一杯になりながら、シリスは考えをめぐらせる。腕力での勝負はともかく、ごろつきの数人など、いつもなら軽くあしらえるはずだ。
 魔法を試してみようかと、目を閉じ、精神を集中する。
「いさぎよいな。顔が赤いぜ? そんなに恥ずかしがらなくても……」
「〈ボムフィスト〉」
 もっとも発動が簡単な魔法は、無事、解き放たれたようだった。しかも、手加減などできない今回のその威力はいつもより大きく、水夫たちの身体が、大きく吹き飛ばされる。
 それに、腕をつかまれていたシリス自身も引きずられた。
「いっ……たぁ……」
 すぐに手は離れたものの、数歩分引っ張られ、石畳に転倒する。額と手の甲に擦り傷を負ったらしく、ひりひりと痛んだ。
 よろめきながら立ち上がろうとしたところで、誰かに肩をつかまれ、ぎくりとする。まさか、他にも仲間がいたのか?
 狭い通路の向こうに目をやると、最初に絡んできた三人は、重なり合うようにしてのびている。
 新手かもしれない。そう思い、再び精神を集中しようとする彼の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「大丈夫ですか?」
 反射的に振り返る。そして、焦りと驚きに顔色を変える。
 だが、本当に驚いたのは、相手――警備隊員、ルルグのほうだろう。
「シリスさん……? シ、シリスさんは、女性だったのですか?」
「そ、それは違っ……!」
 この状態を、一体どのように説明すべきか。迷いながら、周囲を見回す。
「えっと、その……とにかく、リンファが戦獣やその主と戦うって言うから、あの、戦獣を……引きつけようと……」
 上手い言い訳が見つからず、混乱するままに適当なことばを口にする。
「シリスさんは一度、戦獣の主である誘拐犯に誘拐されたと聞きました。それに、戦獣の主が、あなたたちが顔を合わせたことのある相手だったとか」
「ああ……」
 シリスは詳しいことは知らないが、彼を見つけたリンファが、その後警備隊に通報したに違いない、と想像する。
「リンファさんが、というより、誰でも、被害者をまだ捕まっていない犯人と合わせようとしませんよ。だから、変装して脱出してきたというところでしょう」
 多少の誤差はあるもの、さすが、ベテラン警備隊員の推理だった。
 シリスは嫌な予感を覚えて立ち上がろうとするが、簡単に両手首を絡め取られてしまう。
「は、放して、べつに犯人と会ったところで何ともないから!」
「大人しくしてください。ご本人が大丈夫だと言ったところで、信用できません。宿にお連れします」
「お願い、誰か助けて! わたしには、家で待つ夫と子どもたちが!」
「ふ、不穏当な発言は止めてください!」
 人通りのない小路で押し問答をしていると、不意に、夜闇の向こうで小さな破裂音がした。
 二人は動きを止め、セルフォンでも、最も静かな地区へ目をやる。
 小さな、それも無数の蛍のような光が尾を引いて、踊っているかのように見えた。

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2005年11月19日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#33

「本当に一人で行くんだね」
 マスターが、食事を終えて壁に立てかけていたレイピアを吊るして立ち上がる美女に声をかけた。
 そろそろ夕食をとろうという客で、店内は賑わっている。陽気な談笑に満ちた空間で、カウンターの一角だけが、別の雰囲気に包まれていた。
「ええ。一人で充分よ。わたしは誰かさんと違って自分ができること以上はしないから、何も心配することはないわ」
「ああ。リンファは、無謀なことはしないだろうけど……気をつけてな」
 マスターに同意するように、フートが、にゃあ、と鳴いた。
「彼のこと、頼むわ」
 黒猫の頭をひと撫でし、そう言い残して、魔女は〈疾風の源〉亭を出て行った。
 人目を引かずにいられないその姿がドアの向こうに消えると、注目していた一部の客も、自分たちのテーブルに視線を戻す。夕食を求めて来た冒険者らしい一団が、またひとつ、テーブルを埋めた。
 少し遅れて、栗色の巻き毛の、若い女が駆け込んでくる。
「やあ、シェサ。そんなに急がなくても大丈夫だよ」
「こんばんは、マスター」
 ウェイトレスは店内の盛況ぶりを見て、急いでエプロンと頭巾をまとう。
「珍しいですね。今日は宿泊は少なめのはずだし、シリスさんの歌もないのに。フート効果かな」
 彼女が盆を取りながら見下ろすと、黒猫は大きな口を開けてあくびをした。
 シェサのことばに、マスターは、重要なことを思い出す。
「シェサ、ちょっとここを頼まれてくれるかい? 病人の看病を約束していてね……破ったら何をされるか……」
 盆に、薬草を刻んでまぶした雑炊とコーンスープを載せる。
 何かに追い立てられているような様子に苦笑し、シェサは注文のメモに目を落とす。
「しっかり看病してください。ここの顔役なんですから」
「すまないね」
 階段を危うく踏み外しそうになりながら、盆を両手に大慌てで二階へ向かう後ろ姿を、ウェイトレスと黒猫は、おもしろがるような目で見送った。

 部屋は、夜闇そのままに染まっていた。マスターは机の上の燭台にローソクの火を灯し、横たわる姿を覗き見る。
 病人は、気配で目を覚ましたのか、眩しそうに身じろぎした。
「ああ、マスター……」
「起こしてしまったかい? 悪いことをしたかな」
「いいや、それより……」
 机の上に置かれた盆には目もくれず、意識がはっきりするなり、シリスは必死の表情で、マスターを見上げた。
「服、貸してほしいんだけど」
「破かれるから嫌」
 即答されると、吟遊詩人は少しの間、口を開けたまま茫然とする。
 だが、やがて、我に返って相手の袖を引っ張った。
「だ、だから、あのコートはちゃんと後で弁償するって! 普段着ないような古着でも、何でもいいんだから。浴衣くらいはあるでしょう?」
 〈疾風の源〉亭には、一度に二、三人が入れる、大きめの風呂が備え付けられていた。大抵の宿では、せいぜい水がめの水で布を湿らせ、身体を拭くくらいのことしかできない。温泉付の宿となると、ナーサラ大陸では極わずかだ。
 浴衣、というものが存在する数少ない宿だが、マスターは首を振る。
「コートは弁償しなくてもいいけど、服は貸せないなあ……リンファのいない間に余計なことをしたら、わたしが後で燃やされるよ」
 マスターに迷惑は掛けられない。シリスは仕方なさそうに口をつぐむ。
「まあ、無茶なことは考えずに、たまの休みだと思ってゆっくりすることだね。できるだけ食べて、ちゃんと薬を飲むんだよ」
 料理を渡し、部屋の壁から吊るされたカンテラに火を入れると、マスターは部屋を出て行く。シェサは店のことを知り尽くしているとはいえ、店主がいつまでもカウンターを離れているわけにはいかなかった。
 ドアが閉じ、シリスは一人になる。
 大人しく雑炊を食べようと、スプーンを手にしかけ――それを、取り落とす。
 窓の外からの、何かを引きずるような音が、彼の耳に届いた。一瞬表情を引き攣らせると、彼は槍を手に、窓に歩み寄る。
 カーテンが引かれた窓の外に、夜闇が広がっている。闇への恐怖が、じわじわと湧き上ってくる。
 このカーテンの向こうに、獣が待ちかまえているかもしれない。そんな考えが、脳裏に浮かぶ。
 リンファの話からして、戦獣は魔術師の手から自由になったはずだ。もはや、彼らを縛るものは何もない。自由に闇の中を動き、エサとなる相手を捜す……そして、セルフォンの街は、エサ場として彼らが解放された場所からもっとも近く、大きな場だった。
 カーテンの向こうに戦獣がいたとしてもおかしくはない。
 それにもし、戦獣がエサに相応しい、魔力を感じ取る能力を持っていたとしたら? その可能性は、少なくない。
 使い慣れた槍を握る手に、ギュッと力が入る。ただでさえ熱で速い鼓動が、やけに大きく耳もとで響く。
 目眩を感じながら、シリスは首を振り、嫌な考えを追い出そうとした。
 戦獣が街中にいるなら、なぜ、リンファはそれらと戦うことを想定していたのか。彼女は、魔術師の居場所も、戦獣の行方も知っている様子だった。
 リンファを信じよう。
 右手に槍を握ったまま、左手でカーテンを開ける。
 飲食店街を行く人々でごったがえす西通りが、眼下に広がる。通りの中央辺りに、酔い潰れたらしい同行者を引きずって端に移動する男の姿があった。
「はあ……」
 思わず長い息を吐いて、その場にへたり込む。
 こんなことで体力を消耗していては、リンファを追いかけることなどできない。自分を叱咤して、再びスプーンを拾い上げ、ほとんど機械的に食事を口にする。
 少し残して盆を机に置き、眠くなるので薬は飲まずに、家捜しを始める。リンファが彼の荷物を隠すにしても、常に持ち歩いているわけではない。この〈疾風の源〉亭内にはあるはずだ、とシリスはにらんだ。
 しかし、どこをひっくり返しても、荷物は出てこない。マスターが預かっているとしたら、取り返すのは難しい。
 あきらめかけて、手にしていたカンテラを床に置いたとき、ベッドと床の隙間に、白いものが見えた。
 慌てて、それを引っ張り出す。シャツかもしれない、と希望を抱いて広げてみると、長袖の、ワン・ピースのスカートだった。
 サイズは、入らなくはない。
「あう……」
 白い服を広げたまま、しばらくの間硬直し、また少しの間、悩む。
 だが、やがて、彼の顔に何かを捨てたような、清々しい表情が広がった。
 ワン・ピースのスカートを身につけると、ベッドのシーツをフードのようにして頭から被る。槍は、スカートの内側に隠した。
 とにかく、店を出てしまいさえすれば、マスターやシェサは遠くまで追うことはできない。もっとも、顔馴染みの冒険者がいると話は違った。シリスは、今夜の客が地元の住民中心であることを祈る。
 余った毛布を丸めてベッドの上を膨らませる工作をしてから、少しドアを開け、廊下を確認する。誰もいないと見て、足音を立てず、素早く階段まで移動した。
 階段の下からは、賑わいが聞こえてくる。
 一気に駆け下りてみるか、気配を殺してみるか。
 とりあえず、誰かの視線を受けるまではゆっくりいこうと、気配を殺しながら階段を降りる。今日は宿泊客が少ないので、姿が見えるとどうしても注意を引いてしまうことは、わかっていた。
 テーブルはほぼすべて埋まり、水夫たちが陽気に会話と食事、酒を楽しんでいる。冒険者らしい者の姿もあるが、顔見知りの者はなく、ドアからも階段からも遠いテーブルだ。
 そっと階段を降りていたシリスは、最後の一段へつま先を伸ばそうとして、動きを止める。
 フートが、一段目に座り、無邪気な目を向け、首を傾げていた。その口が開かれるのを見て、シリスは弾かれたように駆け出す。
 フートが、みゃあ、と鳴き、同時に、マスターや周囲の客が、テーブルの間を駆け抜ける姿に気づく。
 白い姿がドアの取っ手に手を伸ばしたところで、ようやく、マスターはその正体に思い至った。
「待った!」
 マスターの声に背中を押されたように、そばにいたシェサが駆け出した。
 素早く、ドアの向こうへ消えようという白い服の裾をつかもうとする。しかし、彼女の右手は、寸前で空を切る。
 ウェイトレスがドアを開けて見回すと、そこにはただ、人込みが流れているだけだった。

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2005年11月18日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#32

「そういえば、戦獣のうちの一体は、ずっと奥でうずくまってたままだったな。どういう能力があるのかは、わからないままだったよ」
「その戦獣って……翼のある戦獣?」
 急に何か思い出したのか、リンファが確認すると、シリスは戸惑ったような顔でうなずいた。
 その様子を見届け、魔女は確信を深める。
「そう……あなたを見つけたときにチラッと見たんだけど、その戦獣、もう一体とにらみ合っていたわ。あなたを護ろうとしているようにも見えたの」
 彼女のことばに、シリスは愕然としたようだった。完全に意識を失っていたので、当時のことはまったく記憶に無いらしい。
「最低でも、戦獣二体を同時に相手にする必要はなさそうね」
 相手の戦力を確認して、リンファは表情をかすかに、安堵が見えるものに変える。
「それはそうと……」
 ベッドに横たわって毛布に包まるようにしながら、もじもじと毛布の端をいじり、シリスは困ったように長年連れ添っている相棒を見上げた。
「あの……それで、服は……? 替えの服もあるはずなのに、オレの荷物は一体どこに消えたの?」
「さあ、どこでしょうね」
 リンファは即座に、明後日の方向を見る。
 彼女が真相を知っているのはあきらかだが、捜し回ることもできず、リンファから事実を聞き出す術も持たないシリスには、どうしようもない。
「寒いなら、もう一枚掛けて寝なさい。お腹は空いていない?」
「マスターが持って来たのを食べたし、ちゃんと薬も飲んだよ。大事な決着をつけに行くなら、一緒に行こうよ。足手まといにはならないから」
 シリスは、母親に対する子どものように頼み込むが、
「あなたがいると気が散るの」
 すがるような彼のことばにも、リンファは容赦がない。
 がっくりと肩を落として毛布に顔を隠すシリスに、内心少し同情したものの、彼女としてはここは譲れないところだ。
 余り長居すると、これからもまだ無茶を言い出すかもしれない。そう思い、リンファはそっと出て行こうとするが、それを、シリスが呼び止める。
「待って、これを持って行って」
 身を起こし、思い出したように言って彼がポーチの中から取り出したのは、雫のような美しい石がついたイヤリングだった。魔女は、彼が手のひらに載せたそれから、魔力を感じ取る。
「これは……エルカコムの谷で採れるという、精霊石じゃない。精霊や神に選ばれた者のみが手にできるという伝説があるほど、貴重なものよ」
 イヤリングを手に取り、彼女はじっくり眺めてみる。魔力を秘めた道具などは偽造できないので、怪しいということはない。一時的な魔力を与えた道具などで騙されるのは、本当の駆け出しの魔法使いくらいだ。
 どうやら、この精霊石に込められた魔力には、集中力を高める効果があるらしい。
「どうやって手に入れたのかしら? まさか、市場で……」
「いやその……市場じゃないけど、露店で安く売ってくれたんだ」
「そうなの? 普通なら、三〇〇カクラムは下らないものよ」
 困ったように頭を掻いて答えたシリスは、リンファの計算を聞くと、今度は安く買い過ぎたことを悪く思っている様子で、こめかみを押さえてうなだれた。
「店主はあなたにそれを買ってもらって、不幸な顔をしていたの?」
 リンファと違い、シリスは値切ることは無い。店主の言い値で買ったに違いないと、魔女は見抜く。
「そんなことはないけど……」
 露店商の笑顔を思い出して、吟遊詩人は顔を上げた。
「それじゃあ、活用させてもらいましょう。それが作った人に対しての正当なお礼というものよ」
 イヤリングを手にして、美しい魔女はそれを耳に着ける。最初は左に、次に右に。
 魔力を秘めた雫が、小さく揺れた。耳たぶにかかるわずかな重さはわずらわしくはなく、むしろ心地よくさえあった。
 彼女が真っ直ぐ目の前を見ると、じっと見守っていたシリスが赤い目を丸くして、いつもと少しだけ違う、見慣れた顔を眺めていた。そして、吟遊詩人はほほ笑む。
「似合ってるよ」
 褒められると、リンファも照れくさそうに笑みを浮かべる。
「この事件が終わったら、お礼をさせてもらうわ」
 照れ隠しか、油断していたシリスをベッドに押し付けて、枕元に投げ出されていた濡れた布を額に置いた。
「明日には、すべて終わっているわ」
 何か言いたげに見上げる相手の頭の後ろに手を回して抱え、魔術師は、小声で何かをささやく。
 急に、目の前の身体が力を失う。吟遊詩人は、少し速い寝息をたてていた。
 窓の外の景色は、淡い夜闇色に染まり始めている。
 リンファは早めの夕食をとりながら、時を待った。闇が完全に空を満たす――その、一歩前を。

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2005年11月17日 (木)

セルフォンの赤い悪夢#31

  第四章 魔術師二人

 中央広場の、魔法学院からそう遠くないところに、セルフォンの安全を預かる警備隊の本部が居をかまえていた。もともと自警団を市営化したものだが、捜査においては王国軍からも一目置かれる存在である。
 建物は本部にしては質素で、法の神であるアガネルの神殿の一部を借りた白い壁の平屋だった。
 リンファが開け放たれたままの入口をくぐると、すでに顔馴染みの若い警備隊員、ケリンが背筋を伸ばして挨拶する。先の戦獣による連続殺人事件でデルソン隊員が殉職した際、居合わせた青年である。
 軽く挨拶を返すと、魔女は、警備隊員たちに交じっている、見覚えのある姿に目を留めた。
「学院に行くのに迎えに来たわけではなさそうね」
「ええ。今日は、わたしは講義が無いから」
 黒目黒髪の少女が、警備隊で保管している資料を眺めていた。彼女――レレナの存在を、周囲の者たちは意に介していない。
「最初から、知ってたの?」
「知らされていたわけじゃないけど、わかったわ。あなたたちが戦獣との戦いに参加したことは、父さんから聞いていたから」
 レレナは答えながら、資料の束から、一枚のメモを抜き出した。
「今日の日没後数時間のうちに、王国軍が到着するわ。それが知りたかったんでしょう?」
 彼女は、王国軍の予定が書かれたメモをリンファに手渡した。その推理力に内心舌を巻きながら、魔女は受け取る。
 そのとき、レレナが初めて、リンファの目をじっと見つめた。
「なぜ、こんなことをしているの? 依頼料が出るわけでもないし、警備隊と違って、それが仕事というわけでもない。冒険者だから、スリルを求めるの?」
 彼女の言うことはもっともだと、リンファは思った。
 もともと、ただ働きはしない主義なのだ。それがいつの間にか、シリスの意にそうように動くようになっていた。できるだけ、その希望をかなえてやりたいと、今も感じている。
 それで何か得をするわけではない。今回は、レレナの言うスリルどころか、シリスは死の危険すら経験している。
「そうね……」
 一呼吸を考えるのに費やして、無難な理由をひねり出す。
「できるだけ安全に、面倒なく旅をしようと思うなら、先行投資も必要でしょう。特に、拠点にしているセルフォンのことだもの。戦獣にうろつかれるのも迷惑だわ」
 少し疑わしげに見てくるレレナの視線を感じながら、魔女は肩をすくめた。
「あとは……成り行きよ」
「なるほど」
 付け加えた一言が、一番相手を納得させたらしい。
 それで用事は済んだのか、「健闘を祈るわ」と言い残し、奥の部屋に姿を消した。
 一体、彼女は誰の娘なのだろう、と一度周囲を見回すが、リンファはすぐに興味を失い、獣の分析の進展状況や誘拐事件についての新たな情報がないことを確かめると、警備隊本部を後にした。
 通りに出ると、市場や、露店が並ぶ北通りからの賑わいが耳に届く。シリスのために服やグローブを買っていこうか、とリンファは迷うが、すぐに思い直した。買うなら、事件が解決した後がいい。
 人々の噂話に耳をそばだて、遠回りをして〈疾風の源〉亭に戻ったのは、陽も傾き始めた頃のことだった。
「やあ、おかえり」
 一階の店内は、時間帯のせいか、客の姿はまばらだった。すっかり看板猫になったフートがカウンターから、マスターとともにリンファを迎える。
「捜査の進展のほうはどうだい? 何なら、応援を頼むよ。当然、警備隊も真相を知りたいだろうし」
 マスターの申し出に、リンファはカウンターの席に座ると、首を振る。
「応援も警備隊もいらないわ。すぐに片付くもの」
「片付くって……シリスの快復を待つんじゃないのかい?」
「急がないと逃すもの」
 不思議そうな顔をするマスターに、リンファはハーブティーを注文した。
 なぜ、急がなければならないのか、一人で解決しなければならないのか。マスターは色々な疑問を抱いていたが、こういうときにリンファに問うたところで無駄だということは、わかりきっていた。すべては、終わったときに判明するのだ。
 香りのいいハーブティーを口にすると、魔女は、洗い物を拭いているマスターに、少し厳しい目を向ける。
「それで、そちらの様子はどうだったの?」
「え? セントメフィアから来た冒険者は……」
 と、言いかけて、すでに必要そうな情報は話してあることを思い出し、
「ああ、シリスのことなら、とりあえず大丈夫だよ。まだ熱はあるけど、ご飯も半分以上は食べたし」
 じっと確かめるような目に、冷汗を浮かべる。
「だったらいいけど……」
 空になったカップをカウンターに置くと、女魔術師は、周囲の目も気にせず真っ直ぐ階段を登っていった。

 ここ数日は、宿泊客も少ないらしい。空き部屋に囲まれた部屋に戻ると、黄金色の陽が射し込む部屋に、小さな呻き声が洩れていた。
 リンファがベッドに近づき、うなされるシリスの頬に手を当てた。肩を揺すろうとする前に、シリスは目を開く。
「悪い夢でも見ていたの?」
 のぞき込むと、呼吸を整えてから、吟遊詩人はうなずいた。
「昨日のことを思い出して……でも、大丈夫だよ。ただの夢さ」
「本当かしらね」
 汗を拭いてやりながら、リンファは呆れたような声を出す。
「まあ……余り思い出したくないかもしれないけど、あなたにきいておきたいことがいくつかあるの。戦獣の戦闘能力や、あの魔術師について」
 話しながら、彼女は、持ち歩いているティーセットを使い、ハーブティーを入れた。心を落ち着ける効果のあるハーブを使ったものである。
「少し、記憶が曖昧になっている部分もあるんだけど……」
 ハーブティーでのどを潤しながら、シリスは素直に、魔術師に捕らわれてからの顛末を話した。これから魔術師と対峙することになるかもしれないリンファには、貴重な情報だ。

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