『セルフォンの赤い悪夢』3

2005年11月15日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#30

 力を失った身体を、獣が揺さぶる。止めを刺そうと、長い爪が血に染まった胸の中央に押し当てられた。
 途端に、灰色の獣は横に弾き飛ばされる。
 獲物はピクリとも動かず、もう、捕食を邪魔する者などないはずだった。獣が怪訝そうに振り返り、警戒の目を向ける先にいるのは――もう一体の、獣。
 翼のある戦獣は、威嚇するように身がまえ、もう一体と対峙する。そっと、横たわる獲物のはずの姿に近寄り、もう一方から護るように前に出る。
 それを、捕食を邪魔された獣が牙をむき出しにして唸る。仲間意識などない。ただ、主人が同列に扱っているので、傷つけないでいただけだ。最優先されるのは、戦闘意欲。
 しかし、その意欲も、状況が変われば失われる。
 お互いをにらみながらかまえると同時に、ただでさえ戦闘の準備のために高めていた彼らの鋭い聴覚が、近づく足音を捉えた。続いて、小さな、人間の声。
 高熱をともなう光が弾けた。結界を構成する網の一部が欠け、それは、崩壊の引き金となる。
 あっさり戦いを止め、獣たちは逃れた。本能的に、今ここで戦うべき相手ではないと悟ったらしい。
 彼らは姿を消し、静かに、闇のなかに溶け込んでいった。
 窓にカーテンがかけられているのか、薄っすらとだけ陽が射し込む部屋の天井が、ぼんやりと視界に広がる。
 何か温かいものに包まれているのを感じて、シリスは周囲を見回す。簡素で機能的な木製の調度品から考えるに、見慣れた、いつもの〈疾風の源〉亭の客室だった。
 とりあえず生きているらしいと知って、苦しい呼吸の中、ほっと息を吐く。
「大丈夫?」
 すぐそばに、見慣れた姿があった。リンファは脈を計るようにシリスの首筋に手を当ててから、額に乗せた布を取って、桶に張った冷たい水で洗う。
 少しぼうっとしながら見渡し、シリスは机の上に竪琴とポーチ、そして置いていったままの楽譜が載せられ、槍が壁に立てかけられているのに気づき、安堵する。
「ああ……今は、いつ……?」
「一晩過ぎた、翌日の昼過ぎよ。何か、食べられる?」
「今はいいよ……ところで、学院のほうはいいの?」
 本来なら、リンファは魔法学院で講義を受けている時間帯だった。
 女魔術師は、苦笑する。
「今日は休んだの。情報収集の必要も、もうないでしょう? 学院では、これ以上の捜査の進展は見込めそうもないわ」
「そう……か。それにしても、マスターには悪いことをしたね」
 シリスは、熱で上気した顔に苦笑いを浮かべた。
「コートもなくしてしまって……後で弁償……を……」
 と、胸元に手と目をやって、彼は気づいた。直に、ベッドの中の温もりを感じていることに。
「こ、これはどういう……あああの、服は……!」
「獣にボロボロにされたじゃないの」
 平然と答えるリンファに、うろたえたシリスはますます顔を真っ赤にして、ブンブンと大きく首を振る。
「そうじゃなくって! ど、どうしてこんな……」
「服を着せてる余裕なんてなかったし、治療にはこのほうが便利でしょう。大変だったのよ。見つけたときは、呼吸も弱くなってたから」
 シリスの身体には、切傷もアザも、ひとつも痕を残していなかった。医者や治療の魔法を得意とするジェッカの神官を呼び、何とか持ち直すまでは、〈疾風の源〉亭も大変な騒ぎだったという。
 事情は理解したものの、シリスは、リンファに助けられたことを改めて考えて、天を仰ぐつもりで天井に目をやる。
「ああ、もう駄目だ……」
「そんな死にそうな声出さないで。見られて減るものでもないでしょうに」
「だから、そういう問題じゃ……」
 抗議しながら起き上がろうとして、慌てて毛布を顔半分まで引き上げる。
 リンファには、その慌てぶりがおかしくて仕方がない。思わず口もとに笑みをこぼしながら、彼女は、相手の頬に手を置いた。
「いい? 後はわたしに任せて、今回は、もう大人しく寝ているのよ。すぐに、終わらせるから」
「リンファには、彼の居場所がわかるのかい……?」
「ええ」
 答えて、魔女は立ち上がる。
「でも、まだ早いわ。あと少しだけ、準備をしなくっちゃね」
 ドアに向かって歩き出す彼女を、シリスは心配そうに見つめる。引き止めたそうな、ついて行きたそうな表情に、リンファには思えた。
「一人で、あの獣たちについて調べるのは危険だよ」
 魔女は振り向き、ほほ笑んだ。
「大丈夫よ」
 一言残して、美しい姿は、木製のドアの向こうに消えた。


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2005年11月14日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#29

 シリスはとっさに、檻に沿って横に走る。だが、気がついたときには、その右腕から血が流れていた。
 彼がもといた場所に、左手の爪を血に染めた戦獣が姿を現わしている。以前戦った戦獣に劣らぬ、目に映らぬ速さ。
 対抗するには、先制攻撃しかない。
「〈シェイブウインド〉!」
 宙に浮いた灰色の球体が、その内部から無数の風の刃を撃ち出した。敵を跡形もなく切り刻む、高位の風系攻撃魔法だ。
 風が鳴る。真空の刃が、戦獣の左手の甲を浅く薙ぐ。それを見下ろし、一瞬驚いたように目を大きくするが、すぐに戦闘本能を刺激されたように身がまえ、消える。
 シリスは、見てから反応しては間に合わないと知っていた。
「〈ボムフィスト〉!」
 呪文なしでも使える下位攻撃魔法を、目の前に放つ。
 戦獣の勢いが押し返された。その瞬間だけ、風の刃が命中し、厚い皮膚の表面にいくつか切り傷をつくる。
 しかし、ただそれだけだった。相手がバランスを崩したわずかな時間も、武器も持たない状態で、さらに閉じた空間内でしか動けないのでは、意味が無かった。
「ぐっ」
 鋭い痛み。
 思わず、喉の奥から呻きが洩れる。左の足首に三本の切傷が走り、血がしぶいた。
 痛む足を引きずり、何とか相手と距離をとろうとしながら、檻の外に赤い瞳を向ける。木々の間には静寂と闇が広がり、人の気配も何もない。
 結界の外にいたはずの魔術師は、姿を消していた。遠くに見える街の灯は闇の中に揺れ、ひどく頼りない。
「リンファ……」
 祈るような気持ちで、緋の月が顔を出した空を仰ぐ。
 痛みのために、集中するのが難しくなっていた。それでも、なんとか脱出しようと、呪文を唱える。
 途端に背中に衝撃を感じ、枯葉の上へ吹き飛ばされ、前に転がった。仰向けになると、鋭い目が見下ろしてくる。
 鋭い爪が、右の太腿をつらぬいた。苦痛に顔をしかめ、反射的に逃れようと手で枯葉を掻くが、戦獣はのしかかるようにして動きを封じる。
 シリスは、死の気配を身近に感じた。それなのに、身動きもとれず魔法を使える状態にもない彼には、何もできない。
 不意に左の手首をつかまれ、強く引かれた。獣は彼の上をどき、獲物を軽々と振り回す。
 浮遊感に包まれた直後、背中から叩きつけられる。そして、声を上げる間もなく、振り子のように反対側の地面めがけ、今度は胸から落とされた。
「う……」
 肺を圧迫されて息ができず、頼りない枯葉の地面を掻いてもがきながら、顔を上げる。意識が朦朧として、奥にうずくまったままの戦獣がぼやけて見えた。
 呼吸が苦しく、息を吸い、あるいは吐くたびに、胸が痛んだ。両手両足、脇腹や肩、背中に頬と、あちこちに細く赤い線が引かれ、血を流し続けている。
 脇腹を蹴られ、転がされて仰向けになると、鋭い爪が襟元に触れ、丈夫な服を楽々と引き裂く。借り物の茶色のコートが無残にボロ布と化し、切傷と打撲による青紫のアザを負った素肌が晒された。
 寒さを感じ、見上げる。赤く弧を描く月の、血のような色の光に、戦獣の牙と爪が照らし出された。
 徐々に気が遠くなるのを感じながら、見上げる目に、戦獣の長い爪のうちの真ん中のものから、細い針がせり出されるのが映る。
 光に照らされた針の先端に恐怖を感じ、シリスは逃れようと身をひねった。
「嫌だ……あ……」
 ブスリ、と針が首筋に突き立てられると、衝撃に、吟遊詩人の身体が痙攣した。
  催眠効果のある毒でも込められていたのか。間もなく、意識が一気に闇の底へと落ちていく。
 最後に消える寸前の一欠片の感覚で、彼は、長い牙が肩に食い込むのを感じていた。

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2005年11月12日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#28

 何かが、動きつつある。
 そう予感しながら、リンファは、四日目の体験入学のカリキュラムをこなす。今日の彼女の目的は、二時限目にある、『錬金術の基礎』だった。
 珍しく、二人の少女は姿を見せない。別の講義があるのかもしれないと思いながら、彼女はホワラとともに、目的の講義を受ける。
 教授は、白い髭をたくわえた、ベテラン錬金術師だった。
 講義自体は、何年か魔術師をやっている者なら誰でも知っているような、簡単な基礎知識に終わる。
「あの教授は、ここに長くいるの?」
 逃すまいと教室の壇上をじっと見ながら、講義終了間際、となりのホワラに耳打ちする。
「うん、十年以上はいるって聞いたよ」
 カナルのことを知っているかどうかは、微妙なところだった。しかし、直接知らないにしても、情報源を紹介してもらえるかもしれない。
 講義が終わると、リンファはホワラとともに、机の間を縫うようにして壇上に近づく。怪しまれない程度の早足で、それでいて、できるだけ素早く。
 カガンという名の老教授は、見覚えのない、この上ないほど美しい顔に目を見開くが、品位ある態度を崩そうとはしなかった。
「何か質問かね?」
 咳払いをひとつして、重々しい声で二人を迎える。
「ええ。こういう機会があれば、是非聞いてみたいと思っていたことがあるんです。カルヴェラ時代にいた錬金術師について」
 リンファは、単刀直入に問うことにした。
「カナル、という錬金術師の本を読んで、合成獣に興味を持ったんです。色々調べていくうちに、昔ここに居たヨナスという方が、カナルと同一人物だと聞きまして」
「ああ、ヨナスか」
 教授は、その名前について余りいい記憶がないのか、少し渋い顔をする。
「一二年ほど前だったか……革命が起こる前後、ここで講師をやっておったよ。錬金術の中では、合成獣は余り好かれていないからな。陰口を叩く者も少なからずいたが、実力は確かだった」
「評判は、良くなかったんですか?」
「ああ、合成獣のために子どもをさらったとかいう噂すらあって……それは、だいぶ尾ひれがついたものだと思うがな。そういう、研究のためならどんな犠牲もいとわぬ雰囲気はあった。わしの見立てでは、権威欲に取り憑かれておったな」
「権威欲……」
 リンファは、頭の中で今までぼやけていたものの輪郭が、どんどんはっきりしてくるのを感じた。
 最後に、教授にヨナスの容姿をきいてから、教室を後にする。
「リンファ、錬金術にも興味があったの? 意外だったわ」
「知識は、専門外のものでも、色々と身につけておくものよ」
 ホワラに答えて、廊下から、塔の壁際に沿った螺旋階段を登る。次の講義は、最上階の四階の教室だった。
 途中、三階の廊下で、見覚えのある黒髪の少女が手招きしているのが見えた。
「レレナ。どうしたの、こんなところで」
 物静かな少女は、何かを確かめるように二人の顔を見てから口を開き、
「ティアマリンが誘拐されたわ」
 短く、そう告げた。
 ホワラは、どういう意味かわからない、という表情をした。だが、昨日の昼食時の会話があるので、ゆっくりと、彼女の上にもことばの意味が浸透していく。
「そんな……」
 ことばが出ない。意味がわかっても、実感が湧かず、涙も出ない様子だった。
 リンファは、少しだけ、暗い顔をする。ある程度付き合った者でなければわからない程度の、表情の変化だが。
「それで……昨日も、二人?」
「ええ。友人と二人で、他の友人たちとの待ち合わせ場所に向かう、ほんのわずかな間に連れ去られたらしいの」
「警備隊は、捜しているんでしょう……?」
 祈るような目をむけながら、ホワラが問うた。
「ええ、みんな捜してるわ。王国軍の応援も頼んでいて、明日にもセルフォンに来るはずなの」
 淡々と説明するレレナに、彼女はどうしてここまで詳しいのだろうと、リンファは感じる。本以外のことにほとんど無関心に見えるが、この事件にかなり関心があるらしい、とは、思っていたが。
 それだけ知らせると、少女は、次の講義があるらしい教室に入っていった。
「どうするの? 今日は、もう休む?」
 リンファは、立ち尽くすホワラの肩に触れた。
 顔は青ざめ、到底気分がよさそうには見えない。しかし、ホワラはギュッと拳を握り、唇を噛むと、気丈に首を振った。
「行きましょう。ティアは、きっと無事に帰ってくるわ。それまでに、あたしは、護身用の攻撃魔法も勉強しなくちゃ」
 自分に言い聞かせるように言い、勇気を奮い立たせて歩き出す彼女の背中を、リンファは眩しげに目を細めて見ながら、追った。

 冷たく暗い夜が訪れた。
 星は見えず、薄い雲の向こうに見える赤い月の光だけが、地上に頼りない光を注いでいる。時折吹く風のせいで、気温は余計に低く感じられた。
 〈疾風の源〉亭のマスターからコートを借り、リンファがボロボロになった毛皮のマントから作ったマフラーを首に巻いて、シリスは広場のベンチに座った。寒さのせいか、今夜も他に人はいない。
 昨日は、黒尽くめの出現であたふたしていたため、結局グローブを買えなかった理由も話せず、新曲の披露もできなかった。精霊石のイヤリングもまだ、ポーチの中にある。
 渡せるといいな、と思い、奇妙な緊張感に、彼は長い息を吐く。
「もう少しかな……」
 張りつめた空気を振り払うようにつぶやいて、空を見上げた。
 刹那、何かが視界の隅をかすめた。
「誰……?」
 槍を手にして、ゆっくりと、並ぶ木々に近づいていく。
 不意に、背後に気配が生まれた。急接近するそれを避けようと、横に一歩、足を踏み出す。
 その足もとに、強い衝撃を感じた。軸足に大きなものがぶつかり、バランスを崩しかけ、動きが止まる。
 黒いグローブに覆われた手が、シリスの両手の手首をまとめて後ろに拘束する。動けない手から、槍があっさり奪い取られた。
「誘拐犯か……? オレは女じゃないよ」
 いつでも魔法が使えるように集中しながら、あしもとに視線を落とす。何かに押さえつけられている感触があるのに、そこには、何も存在しなかった。
「まさか……」
 ぞくり、と恐怖が背中を駆け上ってくる。
 こもったような、声色のはっきりしない低い声が、背後から響いた。
「大人しく来てもらおう」
 何も答えず、説明せず、後ろから押し付けられる。嘘のように足元が軽くなるが、その原因が常に近くにいることを、シリスは知っていた。
 背後の何者かは、人の気配が無いときと場所を見計らい、時に魔法を使いながら、西を目ざした。
 〈疾風の源〉亭の、近くの小路を過ぎる。飲食店街の賑わいをやや離れたところで聞きながら、さらに西へ。
 誰か気づいて、リンファ、早く――
 心のどこかが叫び出しそうになるのをこらえ、シリスは冷静に振舞う。これくらいの危険は、何度も潜り抜けてきた。これは、ある意味相手の内情を知り事件を解決するための、大きなチャンスだ。
 連れて行かれた先に、今まで誘拐された被害者たちが囚われている――
 そんな希望を抱くが、実際にシリスが郊外の林に浅く分け入ったところで見た物は、まったく違った光景だった。
 白い、光で編まれたドーム状の結界が、闇に輝いていた。檻の奥には、何か大きなものがうずくまっている。
 シリスの脇の後ろから、黒いグローブに包まれた手が伸びた。結界に出入口が開き、そばにいた〈何か〉が、枯葉の積もった地面の上を足音をたてて、檻の奥に駆けていく。続いて、槍と竪琴を奪われたシリスが、突き飛ばされる。
 振り返ると、出入口は即座に塞がれていた。網目状の光の線の向こうに、黒尽くめの姿が見える。
「やはり、あなたが……何故、こんな……」
「話している余裕はあるのか?」
 黒いフードの奥から、鋭い碧眼が向けられる。
 シリスが檻の奥に目をやると、消えていた〈何か〉も、姿を表わしていた。
 灰色の、表面の硬そうな尾を持つ、大きな獣。全身が岩に似た皮膚に覆われ、獰猛に赤く光る目が、獲物を鋭く射抜く。口からのぞく長い牙と両手の爪は、スラムで討たれたあの獣を思い出させた。
「お前はあいつらのエサだ。抵抗しても無駄だぞ」
「今まで誘拐した女性たちも、こうやって……」
「ああ」
 迫り来る戦獣から目を離さないままシリスが問いかけると、魔術師はあっさり答える。今、目の前で死ぬことが確定している者など、何を知らせたところで危険はない、と判断しているらしかった。
 ゆっくり近づく戦獣と、奥で様子をうかがっているような白髪の戦獣を凝視しながら、被害者の生存が絶望的だと知り、吟遊詩人は肩を落とす。
 だが、今は他人の不幸を気にしている場合ではない。
「昨日、二人誘拐したのは……」
「昨日から一体増えた。一人分の魔力では、間に合わないからな。しかし、お前の魔力ならば二体を満たせるだろう……本当は女のほうも捕らえたかったが、後に回すとしよう」
 どうやら、誘拐の対象は性別ではなく、魔力の高さで決まっていたらしい。そうと知ったところで、今はどうしようもないが。
 あと十歩のところまで近づいて、戦獣の姿が消えた。

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2005年11月11日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#27

 魔法学院の一日は、混乱なく過ぎていく。ただ、魔法の失敗で机が一台燃えたり、ムーナが攻撃魔法の失敗に見せかけリンファを吹き飛ばそうとして防がれたり、ほぼ休憩時間ごとに男性陣がリンファを誘おうとしたり、といったことはあるが、いつものことだった。
「どうやら、昨日も犠牲者が出たようね」
 昼食休憩で食堂のテーブルにつくなり口を開いたのは、珍しく、レレナだった。
 彼女のことばの意味がわからずに、ホワラとティアマリンはそれぞれフォークとスプーンを持ったままでキョトンとなるが、リンファは、即座に少女が話題にしていることを理解する。
「誘拐事件ね。誰かが噂していたの?」
「さっきの休憩時間、教授に聞いてきたの。昨夜の犠牲者は、二人とも学院に通っている娘よ」
 二人とも、ということばに、リンファの形の良い眉がひそめられる。
 誘拐事件の犠牲者は、一晩に一人、のはずだった。何か、犯人の事情が変わったのだろうか。
「ホワラ、あなたも念のために、攻撃魔法のひとつも覚えておいたほうがいいわ。身を守るためにね」
 唐突に言われて、ホワラはつばを飲んだ。
「う、うん……たまには、夜に外出することもあるし……考えておくわ」
「二人なら大丈夫、と思ってたのになあ」
 ビーフシチューをかき混ぜながら、ティアマリンは天井を仰いだ。彼女はよく、友人とともに夜の飲食店街に出かけるという。
 リンファは、犠牲者が二人出たことについてよく考えよう、と心に刻み、午後を過ごしていった。
 すべての講義を終え、リンファは塔を出る。視線を振り切るように早足で門を抜けると、広場のベンチで竪琴を抱えてうなだれている吟遊詩人が見えた。
 歩み寄ると、相手は気配を感じたのか、顔を上げる。その安堵の笑顔を見るとき、自分も内心ほっとしているのだと、魔術師はようやく気づいた。
「お疲れさま。何か、変わったことはあったかい?」
「そうね……警備隊から、昨日の誘拐事件の話は聞いた?」
 リンファがそう問い返すと、シリスは、わずかに表情を変える。答を聞く前に、魔術師は肯定だと読み取った。
「二人で寮までの道を歩いていた院生が誘拐されたんだ。これが、たまたま行き会った二人なら、偶然目撃者になったもう一人も、口封じのために誘拐した……ということになるけれど……」
「最初から、二人誘拐する狙いだったってことね」
 ベンチを離れ、淡いオレンジ色の光の中、歩き出す。今夜は、広場に他に人の姿はないようだった。
「こっちも、変わったことがあったよ。今日、午前中はグローブを買いに、市場へ行ったんだけど……」
 シリスの手に、グローブははめられていない。そのことに気づいたものの、リンファは、今は口を挟まないでおく。
「黒いマントの男が、市場の人込みの中に……ほら、丁度あの……」
 暗闇の中に、動くものがあった。ことばを切って、自分が指さした方向にあるものに、シリスは目を丸くする。
 リンファが振り返った。
 黒い影が、半ば闇に溶け込みながら、木立の向こうを、滑るように横に動く。人間ではない、と二人は直感する。
「待て!」
 シリスが走り、リンファは呪文を唱えながら、少し遅れてそれを追う。
 木の陰になっているためか、通りを行く者たちは、誰も怪しい姿に気がついていないようだった。黒尽くめは、通りを横切り、東区の小路に向かう。
 昼間の経験から、一瞬も目を離してはいけない、とシリスは肝に銘じ、全力で駆けた。リンファとの間が、少し開く。
 人間に似た、黒いシルエットが、人の気配のない石畳の道を、少しだけ浮いて移動していく。本体だとしたら、かなり高位の魔術師だろう。
「待て! あなたは何者だ!」
 再び呼びかけるが、反応はない。
「〈ヘイルストーム〉!」
 小路に追いついて相手を視界に納めたリンファが、容赦なく魔法を放った。宙にきらめく無数の氷の矢が、黒尽くめに向かって突進する。
 それは、確かに闇色のマントの中心辺りを撃ち抜いた。しかし、氷の矢は目標地点で止まることなく、闇に消え、蒸発する。
「実体ではないようね」
「幻体、か……?」
 つぶやきながら、シリスは相手に肉薄し、背負った槍を跳ね上げて右手にかまえると、思い切り突き出した。
 中心をつらぬかれた黒いマントの端が、ひらりとなびいた。ほんのわずかな間、動きを止め、振り返るような仕草を見せる。
 フードを被った顔が、チラリと見えた。金色の髪が頬にかかる、端正な顔が。
「あ……」
 予想通りといえば、予想通りだった。それでも、とっさにことばが出てこない。
 シリスが再び口を開きかけたとき、静止していた姿が、ふっと消えた。
「セルフォンの近くにいるのは間違いないわね」
 となりに追いついてきたリンファが、冷静にそう分析する。
「今のは誘導か、それとも何かの目的で行動していたのを、偶然出会ったのかな」
「相手はわたしたちの顔も知っているし、どちらもありえるわね。問題は、何を目的にして動いているのか……」
「誘拐事件と関係ありそうだね」
 相棒のことばに肩をすくめ、魔女はそう答えた。
 夜闇の中には、もう、黒尽くめが存在した形跡は、微塵もない。闇は何の揺らぎもなく、周囲を包み込んでいた。

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2005年11月10日 (木)

セルフォンの赤い悪夢#26

 並んだアクセサリーの装飾のほとんどは、銀や鈍い金色の金属に、原石そのままらしい色とりどりの石がはめられているものだ。金属は磨かれ、翼や羽根、三日月など、自然のものを象っている。それが、ブローチやペンダント、指輪につながっていた。
「ああ、オレが作ったんだ。親父も細工が得意で、何年も教えられて修行したよ。何か、買っていってくれるかい?」
 シリスは、イヤリングを手に取った。水色の、水滴型の石がついた美しいイヤリングだ。それだけが、まとっている雰囲気も、作りも、他の商品と違うように見えた。
「これ……魔力を帯びているね」
 彼が言うと、店主は少し驚いた顔をして、説明する。
「故郷に古くから伝わる谷に、たまに精霊石が見つかる。精霊石は、魔力を高めたり、集中を助けたりする力があるんだ。……安くしとくよ、二〇カクラム」
 カクラム金貨二〇枚。確かにそれは、魔力の込められた物にしては安い値段だった。しかし、とりあえずグローブを買える金額より少し多めの持ち合わせしかないシリスは、腰のベルトに留めたポーチを覗き込み、悩む。
「……明日も、ここで商売してるのかい?」
「してるけど、ひとつしかないし、魔法の道具を集めてるお金持ちに買われるかも。冒険している女性の魔術師は、みんな欲しがると思うし」
 若い店主は、期待の目で吟遊詩人を見上げた。
 腕を組み、シリスは少し悩み――
「わかった。これ、買うよ」
 やっと観念すると、金貨を二〇枚、店主に手渡す。
「毎度あり!」
 サービスなのか、店主が頭に巻いているものに似た、綺麗な模様入りの布にイヤリングを包んで、渡された。日に焼けた笑顔を見ると、シリスは、いい買い物をした、という気になる。
 このまま帰るのも、もったいなかった。吟遊詩人は軽い足取りで、市場に向かう。ポーチに残るのは、金貨一枚。無駄遣いをするには丁度いいくらいだ。
 上機嫌で市場の露店の間を歩く彼を、見知った顔が呼び止めた。
「また、何かの聞き込みかい?」
 シリスに、ダグルの缶詰を買わせたあの露店商である。ダグルの味を思い出し、シリスは少しギョッとした顔をする。
「おや、あの缶詰、口に合わなかったのかい? まさか、本当に腹痛を起こしたんじゃなかろうね」
「いや、あれはおいしく頂いたよ。リンファが、だけど」
 露店商に苦笑を返して歩み寄る。店に並ぶ物は、今日は鎖や留め金、書きやすい工夫が施された羽根ペンなど、実用的な商品が多かった。
「リンファが一緒じゃないとはね。やっぱり、何か探ってるのかい?」
「確かに、調査はしているし、リンファはそのために別行動だけど、オレがここに来たのは、時間潰しのためだよ……本当は、グローブを買いたかったんだけどね」
 周囲を見回し、シリスは再び苦笑する。
「グローブや帽子なら、ララバンのところが品ぞろえも質もいいぜ。一番東の北から三列目だ」
「ああ、覚えておこう」
 常連は、大体店の位置が決まっていた。短期出店の者や新入りは、北通りからの出入口付近に出す決まりになっている。たまに勝手を知らない者が常連の位置を占めることもあるが、大きな問題が起きたことはない。
 特に実用的な物を買う予定も持ち合わせもないので、露店商に別れを告げ、シリスは、ゆっくりと周囲の店を見て回った。
 時折潮風が吹きすぎ、船の出港の笛の音が鳴り響くたびに、市場を出入する客は増えていく。早めに金貨を使い切ってしまおうと決めて、まず、荷物の増えない、食べ物屋が並ぶ辺りに向かう。
 狭い一角に、人の環ができていた。加わって見ると、人より大きいのではないかという鳥が丸裸にされて、たっぷりとたれを塗られ、あぶり焼きにされていた。肉がつやつやと茶色く光るさまと、香ばしい匂いが、食欲をそそる。
「さあ、そろそろ完成です」
 白い服に帽子の、料理人風の男が包丁を取って、怪鳥の表面に格子状に切れ目を入れる。そして、包丁を二本使って一切れ取り出し、串にさした。
「一切れ、四〇〇ターランです!」
 一斉に、買い手の手がのばされる。家族の分を買い込む主婦などに交じって一切れ買い込んだシリスは、早足で人込みを出て隅に行き、とろとろの肉を口にする。
「おいしい」
 誰にともなく言って、リンファの分も買うべきだったかな、と思う。ポーチには、銀貨が六枚残っていた。
 怪鳥の肉を売る店の周囲は、あっという間に人の姿で埋め尽くされた。彼が買えたのは、非常に運が良かったと言っていい。
 もう一本はあきらめ、心の中でリンファに謝りながら、手に入れた戦利品をじっくり味わう。
 彼は昔、東のビオラという町が、近くの谷で巣を増やしている怪鳥に家畜や子どもたちを狙われて困っている、という話を聞いたことを思い出す。当時駆除のために冒険者を募集していたが、もしかしたら、あの怪鳥が駆除されたものかもしれない、とも思う。大きな被害をもたらしていた怪鳥が、今や町の名物と化している――
 もしビオラに寄る機会があれば、確かめてみよう。そしてできることなら、怪鳥の駆除に参加しよう。と、シリスは誓った。
「そこのお兄さん」
 すぐそばからの低い声が、彼を現実に引き戻した。
 たれまで綺麗に舐め取られた串をポーチに入れて、シリスは、白髪の露店商を振り返る。
 老人が広げた布の上にあるのは、様々な楽器や、楽譜だった。
「やはり、詩人さんだね?」
 まるで玩具を見つけた子どものように駆け寄って目を輝かせ、じっと商品を眺める青年に、店主は笑った。
「詩人さん、ひとつ、頼みを聞いてくれないかい」
「何です?」
「これを、弾いてみて欲しいんだよ」
 売り物ではないのか、店主は、脇においていた大きな革製の鞄から、三枚の楽譜を取り出した。題名やメロディーからして、シリスが知らない曲である。
 楽譜を受け取り、まじまじとそれを見下ろすと、シリスは常に背負っている竪琴を抱え、弦を覆う布を取る。
 楽譜を布の上に並べ、体勢を整えると、吟遊詩人は最初の弦を弾いた。
 あふれ出すように、澄んだ音が流れ始める。徐々に流れを速める清流のような、美しく、格調高い曲だった。
 店主は目を閉じ、リズムを取るように何度もうなずきながら、ひとつの音も聞き洩らさぬように、ゆるやかなメロディーを聞いていた。いつの間にかざわめきは去り、聞きつけた客が、彼らの周りに人垣を作る。
 大きなうねりや降り注ぐ雨、水かさを増し荒々しく流れる勇壮な河が流れるさまを表わし、やがて、母なる海に流れ込みたゆたう優しいメロディーを最後に、調べは止まる。
 周囲から、拍手が轟いた。曲に集中していたシリスと老人は、少し驚き、人垣を見回す。
「参ったな……あの、この曲、あなたが作ったんですか?」
 頭を掻きながら、シリスは楽譜を重ね、手渡そうとした。だが、相手はそれを軽く押し返す。
「ああ……昔は、曲を作っては弾いていたよ。だが、わたしはそろそろ引退だ。それは、きみがもらってくれないか」
「でも……」
 『還り往くところ』と題されたその曲は、シリスにはとても貴重なものに見えた。
 迷う彼の様子に、老人は笑みを見せる。
「誰にでも渡すわけじゃあない。これは、腕のある楽士に渡そうと決めていたんだ。貰ってくれると嬉しい」
 シリスはまた少し悩んで、ポーチの中から、残っている銀貨をすべて出した。
「これじゃあ、到底この楽譜の価値には届かないけど……何もないよりは、オレの気が済むから」
「そういうことなら、これはもらっておこう」
 店主は笑い、六〇〇ターランを受け取った。
 シリスは楽譜を、アクセサリー屋で買ったイヤリングと一緒に、布で包みなおした。その布の端を、大切にベルトにくくりつける。
「ありがとうございます。大切にします」
「弾いてくれる人が、聴いてくれる人がいるだけで幸せだよ」
 店主の笑顔に見送られ、シリスは立ち上がる。
 もう、持ち合わせはなくなった。あとは〈疾風の源〉亭で情報収集と新曲のお披露目をしながら時間を潰し、昼食後に警備隊の本部に行ってみよう。
 そう計画を立てて、市場の出口に向かおうとした彼の目に、異質な姿が映った。
 崩れかけた人垣の向こうに遠のいていく、黒尽くめの姿。
「待って!」
 声をかけて、不思議そうな顔をしている人の間を追いかける。人込みに苦労してなかなか進まないシリスの視界の中心で、黒尽くめの姿はどういうわけか、するりと狭い間を抜けて、どんどん小さくなっていった。
 間に合わない。
 そう思った途端、人込みを抜けた。急いで、目標の姿を追って、通りに続く角を曲がる。
 目が離れたのは、黒尽くめが木の陰に重なった、一瞬のことだ。しかし、一瞬後にシリスが角を曲がったとき、周囲には、黒い姿などどこにも見当たらなかった。

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2005年11月 9日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#25

 翌朝、廊下でリンファと顔を合わせたホワラとティアマリンは、朝の挨拶を交わすと、にやにや笑いを浮かべて体験入学生の手を引き、部屋の隅に移動した。二人の目は、好奇心で輝いている。
「窓から見たわよ、あなたを迎えに来た人。彼とならお似合いだわ。綺麗で、優しそうな人だったわね」
「男性陣はがっかりだったろうなあ」
 からかうような二人のことばに、リンファは軽く肩をすくめる。
 楽しげな友人たちから少し離れた壁際で、レレナは、『初心者にもわかる簡単護身術』と題された本を読んでいた。
 リンファが重要視している、錬金術や魔物知識に関する講義は、今日もない。ただ、講義後の休憩時間にできるだけ教授に講義内容について質問し、親近感を得ようと努めた。もちろん、目的は情報収集のためだ。
 そんな、調査の準備段階のまま、二日目も過ぎてゆく。
 すべての講義が終わり、ホワラたちと別れて彼女が魔法学院の塔を出たのは、大体昨日と同じ時間帯だった。
 彼女が歩き出すと、背後のほうから、多くの視線を向けられているのを感じる。いつものことなので、あえて振り返ることもなく、彼女は門をめざした。
 いつもの姿が門に寄りかかり、腕をさすっている。
「寒いの?」
「いや……何でもないよ」
 シリスは、ほっとしたように笑顔を向ける。まるで、リンファではなく彼のほうが一人では安心できないことを理由に、わざわざ迎えに来ているかのようだ。
 リンファは相手のことばをまともに受け取らず、素早く彼の腕を取った。シリスは、引っ張られて転びそうになる。
 リンファが袖をまくってみると、色白な腕に、青いアザができていた。
「転んでできたアザには見えないわね。どうしたの?」
 有無を言わさぬような視線にたじろぎながら、吟遊詩人は首を振った。
「治そうと思えば自分で治せるし、大したものじゃないよ」
 答えようとしないシリスに、女魔術師は、ずいっと顔を突きつけた。シリスは少し首をすくめ、口ごもりながら、素直に答える。
「その……ちょっと、石を投げられて」
 いつも表情の少ないリンファが、目を見開いた。
「一体どこから? 〈ボムフィスト〉の一発でも撃ち込んでやるわ」
「ま、待ってリンファ、落ち着いて!」
 こちらを見下ろすシルエットが並ぶ塔の窓を見上げるリンファの手を引き、シリスが慌てて止める。
「こんなの、どうってことないんだから!」
「そういう問題じゃないでしょう? 何より、わたしの気がすまないの」
「そのために、これまでの苦労とか、これから先に手に入るはずの情報とか……そういうものを投げ打ってまでやることじゃないよ」
 もともと本気ではなかったのか、それとも、シリスの至極正論なことばで本来の目的を思い出したのか。リンファは仕方なさそうに、身体の向きを元に戻す。
「そうね。彼らにはもう少し、猶予をあげましょう」
 振り返った彼女の目に、腕を押さえる、シリスの手が映った。
「そう言えば、グローブ、まだ買ってなかったのね」
「ん、ああ……明日にでも、市場に行って来ようかな」
 今気づいたように、吟遊詩人は繊細な手を開いてみた。彼は急に風の冷たさを感じて、今度は手をさすった。
 窓から見下ろす無数の視線を背に受けながら、二人は、門を出て歩き出す。噴水のある広場には、恋人同士らしい若い男女が何組か、姿を見せている。
 雲が二つの月を覆い隠しており、夜闇が濃く感じられた。今日は空より、街灯のオレンジの明りが強い。
「シリス、あなた、わたしが来るまでは広場のベンチででも待っていたほうがいいわ。魔法学院には、攻撃魔法ひとつで入学が許されたような、良くわからない者もいるから」
 それは、確実にリンファも含まれているな、と、シリスは密かに思った。
「何だか、嫌な予感がするんだけどね……まあ、門の近くのベンチなら、塔の出入口も見えるから変わりないか」
「心配性ね」
 シリスの嫌な予感は軽視できないと知っているが、リンファには、今までそうだったようにどんな危機も回避できるという自信があった。
「明後日まではカナルに関係がありそうな講義もないし、特に新しい情報はないわ。それまでは、退屈な講義をなんとか受け流すだけよ。たまには、興味深い講義もあるし」
「それで済めばいいんだけど……」
 不安げなシリスをよそに、リンファはやはり、平然としていた。
 翌朝、〈疾風の源〉亭を出て魔法学院に姿を見せたリンファは、昨日の朝と同じように、ホワラとティアマリンに囲まれる。
「ねえ、もしかして昨日、ケンカしてたんじゃない? 駄目よ、多少我慢してでも、彼氏は大事にしなきゃ」
「そうそう。言い寄る男はたくさんいても、いい男ってのは少ないんだから」
 二人のからかうようなことばに、今日もまた、リンファは肩をすくめたのだった。

 誘拐事件が起こるのは夜だけであり、昼間に降りかかる危険はそう多くない。大抵の危険は、リンファ一人で何とかできる。シリスが同行するのは、夜の帰り道だけだ。
 〈疾風の源〉亭の前で学院に向かうリンファと別れ、シリスは一人、港の方向へ歩き出した。
 港町だけあって、この都市の朝は早い。特に港と人々の生活をつなぐ北通りは、人の姿も、運ばれる荷物も多い。幅の広い道の端には人込みができ、中央では、馬車や人力車、馬に乗った人間たちが行き交う。
「さあ、安くしとくよー奥さん。このデルビ魚の干物なんて、三枚で一カクラムだ」
「汚れ物はないかね? どんな染みも魔法のように綺麗さっぱり消してしまうよ。いやあ、実は実際魔法なんだけどね」
「セルフォン港名物、氷まんじゅうはいらないか? 水氷系魔法を利用した、中は冷たく外は温かい、画期的なまんじゅうだよ。甘い物は疲れを取るよ」
 市場だけでは飽き足らず、港付近の道端には、様々な商品を扱う露店が並んでいる。ほとんどは、手に入った意中外のものをここで売りさばいて荷物を少なくしようという、仕入れの商人だ。
 シリスは、丈夫そうなグローブを売っている店はないか見回しながら歩いた。そうしているうちに、綺麗なアクセサリーを売っている店を見つける。
「やあ、お嬢さん……じゃなかった、お兄さんか。何か探しているのかい?」
 何となく近寄っていくシリスに声をかけた店主は、まだ若い青年だった。色黒で、頭に独特の模様が編みこまれた布を頭に巻きつけた姿からして、南方の国の出身らしい。
「ああ、グローブの店を捜しているんだけど……これ、きみが作ったのかい?」
 広げられた集めの布の上に並ぶアクセサリーを見下ろし、彼は、商人には見えない店主にそう問うた。

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2005年11月 8日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#24

 金髪の、そこそこ美男子といっていい容姿の長身の青年が、頬を掻きながら声をかけてくる。
「あんた……凄い魔法の使い手なんだな。地元の出身なのか?」
「いいえ。ここには、宿から通っているの」
「そうか。なあ、体験期間が終わったら、正式に入るんだろ?」
「それはまだ、わからないわ」
 リンファが相手の意図をつかめずに答える周りで、三人の少女たちは、なにやら期待のこもった目で成り行きを見守っていた。
「その、もしよかったら、今夜家に来ないか? オレは家から通ってるんだ。夜道の一人歩きは危険だし、何なら一緒に帰るだけでも……」
 ここまできて、ようやくリンファも、相手の言わんとすることに気づいた。
「送り迎えなら当てがあるの。親しくもない人の家に行くことなんてしないわ。女友だちが欲しいなら、他を当たるのね」
 青年はがっくりと肩を落とし、友人に慰められながら退散していく。いつの間にか食堂じゅうが注目していたらしく、静まり返っていた辺りにざわめきが戻ってくる。青年は、テーブルで待っていた友人たちに、「抜け駆けするなよ」「元気出せよ」などと声をかけられていた。
「彼、けっこういいところのお坊ちゃんだよ。もったいない。それにしても、会ったその日にとは、大胆だね」
「あたしたちには見向きもしなかったわね」
 年頃の娘らしく、ティアマリンとホワラが興味津々で男性陣のほうを盗み見る。レレナのほうは、すでに関心を無くし、本に集中しているが。
 同じくらい平然としているリンファに、ホワラが他人の事情を面白がるときの独特の笑顔を向けた。
「ねえ、送り迎えの当てって、男の人?」
「ええ……そうよ」
 少し考えてから、別に隠すこともないだろうと判断し、リンファは答えた。
 ふと、シリスは今頃何をしているだろうか、という思いが脳裏をよぎるが、それを顔に出したりはしない。
 彼女の答に、なぜか、ホワラとティアマリンは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ねえ、どんな人なの? その人って、もしかして……」
「そろそろ、午後の講義が始まるわよ」
 レレナが言い、立ち上がる。
「待ってよ、まったくレレナはせっかちなんだから……」
 ティアマリンが慌てて空の食器が載った盆をカウンターに運ぶ。
 それを眺めながら、ホワラはリンファのとなりでささやいた。
「こういうことは、余り詮索するべきじゃなかったわね。でも、気が向いたら教えてくれる?」
「そのうち教えるわ」
 リンファの適当な答えに、ホワラは嬉しそうにうなずいた。
 その後、午後の講義の時間は問題なく過ぎていった。基礎的な魔法知識や実践など、どれもリンファにとってはすでに知り尽くしたことばかりだったが、退屈だからといって怠ける性質でもない。彼女は、基礎のおさらいという気持ちで講義を聴いていた。
 食堂での夕食を挟み、最後の講義が終わる頃になると、外はすっかり陽も落ちていた。
「明日もあたしが案内するから、わからないことがあったら何でも言ってね。それじゃあ、バイバイ」
「お疲れさま」
 玄関で最後まで付き合っていたホワラと別れ、階段を登っていく背中を見送ると、リンファは魔法学院の塔を出る。
 夜のひんやりとした空気に包まれ、ふと見上げると、満天の星々が輝く。街の喧騒はすぐそこにあるのに、この建物の周囲だけは、静けさに包まれている。
 中央広場を囲む通りへの、石畳の道を少し歩くと、前に連なる石の囲いの中央、門の隅に、見慣れた姿を見つける。
 まだこちらには気がついていないのか。竪琴を背負った青年は、つまらなそうに、通りに目を向けている。
「シリス」
 歩み寄って声をかけると、吟遊詩人は驚いたように振り返り、次に、嬉しそうな笑顔を見せた。
「リンファ。けっこう遅いんだね。これは、住宅街に住んでる地元の女子院生は大変そうだな」
「だいぶ待たせたみたいね」
 二人は肩を並べ、〈疾風の源〉亭への帰路を歩き出す。
「それで、どうだった、院生生活は?」
「調査はまだ、下調べの段階だけど……とりあえず、退屈はしなさそうね」
 周囲には、人の姿が少なくなりつつある。ただ、飲食店が並ぶ西通りは、昼間よりも賑わっている。
「ところで、あなたは今日、店で一日じゅう歌ってた、というところかしら? 通りに出たとき、見当たらなかったものね」
「午後は警備隊の本部に行っていたよ。確かに、思う存分歌ってたけどね」
 西通りに入って間もなく、何度も目にした看板が掲げられている。窓から洩れる明りに映る影や、談笑する声からして、今夜も〈疾風の源〉亭は、周囲の食堂や酒場に劣らぬほど賑わっているらしい。
 ドアを開けると、壁掛けのカンテラやテーブル上のランプに照らされた店内のざわめきが押し寄せてくる。
 カウンターに座っていたフートが、一声鳴いて二人を迎えた。
 テーブルがすべて埋まっているので、シリスとリンファは、黒猫のそばの、カウンターの席につく。
「やあ、帰ってきたねえ、院生さん」
 マスターがウェイトレスのシェサに料理を渡しながら、機嫌よくリンファに声をかける。向こう一週間だけ見習いということになった女魔術師は、ええ、と生返事をして、夜食のメニューを考える。
 リンファは、片ゆで卵のパイといつものハーブティー、シリスは米団子の串焼きを注文した。マスターが厨房に入る間、シリスが周囲に注意を向けながら、口を開く。
「警備隊の人から話を聞いたけど、エンデーヌ将軍がセントメフィアの軍に入ったのは、一二、三年ほどまえのことらしいね。そのとき、魔術師も一緒に部下として入ってきたようだよ」
「王国軍では、身元は調べなかったのかしら?」
「実力を見て、それで許可が下りたようだね……リンファも言ってたじゃないか。〈ヘイルストーム〉の一発も見せたら、魔法学院から許可が下りたって」
「実力主義の世界だものね」
 先に出されたハーブティーの香りを楽しみながら、リンファは納得した。
 戦いに賭けられたものは、命や国、財産など、どれも重大なものだ。そして、戦いに必要なのは地位や名誉、確かな身元などではなく、戦うための能力、ただそれだけである。
 その上、優れた魔術師は、一人でも兵士何人分もの働きをする。魔術師を一人でも多く確保するのは、各国々の重要課題だ。
「あと、誘拐事件についても、ちょっと聞いて来たんだけど……」
 マスターが料理を運んで来たので、シリスは一旦ことばを切って、盆を受け取る。串をつたい、蒸した米を練って作った団子の中から、飴色の餡が漏れ出していた。
「昨日は、夜中にスラムの近くを歩いていた娘さんが誘拐されたらしい。警備隊は、聞き込みを本格化させているようだ……スラムや周辺の捜索もしているよ。今日の夕方には、警備隊員が郊外で奇妙な焼け跡を発見したらしい」
 リンファの、パイの皮をフォークで突き崩していた手が止まる。
「南の焦げ跡とクレーターなら、今朝わたしがやったことだけど?」
 平然とした彼女のことばに、シリスは椅子から落ちそうになる。
「リンファ……魔法学院の授業で、一体、なにをやったんだい……?」
「大したことじゃないわ。魔法の実践の講義で、攻撃魔法を使ってみろというから、やって見せただけ」
 嘘をついているとは思わないが、一体どんな講義なんだろう、という思い入れで、吟遊詩人はふう、と一息ついて、話を続ける。
「まあ、南の郊外ではないよ。西の林の辺りらしいんだ。旅人が一泊しただけかもしれないけどね」
「街がすぐそこにあるのに?」
「ああ、何か事情がないと、セルフォンの目と鼻の先で野宿なんてしないだろうな。東に不審者が良く出入している洞窟があるとか、スラムのいくつかの廃屋に人が寝泊りしていた形跡があったとか、他にも可能性は狭まっていないよ」
 マスターが出したココアを一口すすり、すり寄って来たフートの顎を撫でる。のどを鳴らしながら、黒猫はシリスの膝の上に移り、丸くなった。
「今夜もまた、誘拐事件の犠牲者が出るのかしらね……」
 溜め息混じりに言って、リンファは窓の外を見る。
 この世闇の中でまた、新たな犠牲者が助けを求めているのかもしれない。
 何も不安なことなどないはずなのに、どこか、気の重い時間が過ぎていった。

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2005年11月 7日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#23

「行きましょう。遅れちゃう」
 ホワラがリンファの手を取って、早足で歩き出す。その歩き方から、彼女が相当頭に来ているのは明らかだ。
 不思議がる他の院生や道行く人々にかまわず、二人は早めに郊外に辿り着く。
 講義の生徒が全員集まったと見ると、アリッシャーは少し南方訛りのある話し方で攻撃魔法の基礎を簡単に説明し、続けて呪文を唱え、大きな氷塊を出現させた。
 氷塊を五つほど作り出して、彼は生徒たちを見回す。
「いいかい、〈ファイアーボール〉だ。まずはわたしがやってみせよう」
 言って、彼は呪文を唱え始め、緋の月の力を導く。魔力が手のひらの上に収束し、やがて、炎の球となって浮かび上がる。
 息を飲んで見つめる院生たちの前で、教授はそれを、余り力がこもっていないような調子で放り投げた。
 燃えさかる拳大の球体が、氷塊のひとつを蒸発させた。白い蒸気が噴き上がり、すぐに宙に消える。
 どうやら、実力のほうはそれなりにあるらしい、と、リンファは評価した。
 教授は再び周囲を見回し、近くにいた院生にやってみるよう言った。攻撃魔法を知らないらしい金髪の青年に呪文を教え、〈ファイアーボール〉を使わせる。この講義に出る者は皆、精神コントロールなどの基礎はすでに学んでいるらしい。
 青年の手のひらに、少し頼りない火炎の球が現われる。それを投げつけると、火球はふらふらと宙を飛んでいき――氷塊の手前で、かすかに煙を残して消える。
 どっと笑いが起こった。青年は恥ずかしそうにうつむく。
「先生、あたしがやるわ」
 笑いが収まりかけたとき、自ら進み出たのは、赤毛の、ムーナという、あの赤毛の女だった。
 彼女は流暢に呪文を唱え、教授に劣らぬ大きさの火球を作り出すと、一番大きな氷塊めがけて投げつけた。火球は勢いを失うことなく飛び、一番大きな氷塊を蒸発させた。
 今度は拍手が起こり、彼女は胸を張る。
「素晴らしい。誰か、彼女に続こうという者はいるかね?」
 アリッシャーが周囲の顔ぶれを見回すが、多くの者は、首をすくめた。ただ、ムーナは勝利の笑みを浮かべ、口を開く。
「だったら、彼女に挑戦してもらえばいいと思いますわ、アリッシャー先生。初日にこの講座に出るなんて、よほど自信がおありなんでしょう?」
 彼女が指をさしたのは、今までこの講義になかった姿――リンファだった。
 本人は平然と周囲の注目を受け止めるが、横から、ホワラが慌てて前に出る。
「今日初めて学院に来た人に、いきなり実践をやらせようなんて無茶よ。体験入学はできるだけ多くの講義をとるようにカリキュラムを組んであるんだから、この講義に出たっておかしくないじゃない」
「べつに、失敗して単位を落とすってこともないのよ?」
 意地の悪い笑みを浮かべ、ムーナは答えた。
「できないなら、それでいいじゃない。さっきの子みたいに、ちょっとみんなに笑われるくらいのものだわ」
 先ほど皆に笑われた青年は、隅で落ち込んでいる様子だった。ムーナはそちらを一瞥すると、軽い調子で言う。
 ホワラがキッと睨みつけ、口を開きかけると、軽く腕を引かれる。
「いいの、ホワラ。挑戦してみるわ」
「でも……」
 驚く相手を視線で黙らせ、リンファは前に歩み出る。
 どこかから、口笛が聞こえた。男性陣のなかでは、何か小さくささやき交わすような声も洩れている。
「さあ、見せてもらいましょうか」
 ムーナが薄ら笑いを浮かべて場所を空けると、リンファは無言で歩み出る。
 彼女にとっては、ムーナの視線も、周囲のざわめきも、どうでもよかった。あっさり意識の外に締め出し、早口に呪文を唱える。
 オレンジ色の球体が、のばした手のひらの上に出現する。ほのかに温かい感触に目を向けると、ムーナと教授、院生たちが少し驚いたような顔をしていた。
 ひょいと、人さし指で氷塊が並ぶ中心を示す。
 尾を引いて、火球が勢いよく飛び出した。それは氷塊の表面にぶつかると、炎を噴き上げて爆発し、地面にクレーターを作る。
 氷塊は、すべて霧散した。
 一部始終を見届けて周囲に並ぶ者たちは、茫然と目を見開く。
「やりすぎちゃったかしら」
 細く煙が立ち昇る辺りを見て、リンファは肩をすくめた。

 講義の半分以上を終えたところで、昼食となる。寮と通路で続いた建物にある食堂で、ホワラと一緒に食事をとっていると、二人組みの少女が近づいてくる。
 長い黒髪の少女はレレナ、茶色の短髪の少女がティアマリンと名のる。二人は、ホワラの友人だという。
「さっきのは、本当にすっきりしたよ。あいつら、いつも嫌味なことばかり言ってるからねえ」
 串焼きの焼き魚に、豪快にかじりつきながら、ティアマリンは周囲の目も気にせず笑った。幸い、というべきか、ムーナとその取り巻きの姿はない。
「あんまりそういうこと言ってると、恨みをかうわよ。ただでさえ、最近物騒なんだから」
 レレナはすでに昼食を食べ終え、コーヒーを飲みながら本を読んでいる。本の表紙には、『合成魔術理論』と表題が書かれていた。
「物騒って、誘拐事件のことかしら?」
 海草サラダを口にしながら、リンファは何気ない調子で問うた。
「そう、その事件よ。寮に入ってる子はともかく、家から通ってる子は注意したほうがいいわ。ティアは地元だし、夜遅くまで講義がある日もあるんだから」
「誘拐犯があたしの前に現われたら、魔法でぶっとばしてやるよ」
 友人のことばに、ティアマリンは自信満々に胸を張る。
 その様子に、薄切りチーズと肉を挟んだパンを手にしたホワラが、あきれたように肩をすくめた。
「そう言って、もう三人も誘拐されているのよ。イルニッドなんて、精神コントロール講座で一番だったじゃない」
 どうやらこの三人は、被害者とは直接の友人というわけではないものの、面識くらいはあるらしい。
「事件は、警備隊が捜査してるんでしょう? 何か、被害者に共通する、誘拐される理由になりそうなことはないの? みんな家が金持ちだったとか、特定の分野が得意だったとか」
 カナルについては、カルヴェラ時代を知らない院生らにきいても仕方がない。リンファはとりあえず、単純な興味で誘拐事件の情報を集めてみることにした。
 彼女の質問に、三人は考え込むようにうつむき、あるいは天井の辺りを見る。
「んー……サミサは西方出身のお金持ち、イルニッドは五年前にフィアリニアから引っ越してきた宿屋の娘だし、アラマダは地元に住んでた普通の家の子だし……得意分野だって、特に共通点は……」
「うん、特にないと思う」
 ホワラのことばに、ティアマリンが同意する。
「みんな、夜遅くに家に帰ろうとして、家までの間に足取りがつかめなくなった……目撃者は誰もいない、という点だけがそれぞれの誘拐事件の共通点ね」
 本を読み進めながら、レレナが付け加えた。
 どうやら、警備隊で聞くことができた以上の話は聞けそうにない。リンファはそう結論付けて、ハーブティーに手をのばす。
 すると、前方から、並んだ正方形のテーブルの間を縫って、三人の青年たちが近づいてくる姿が視界に入る。
 彼らがテーブルを挟んだ向かい側に立つのを見ながら、リンファは、なぜ閉じられた空間に暮らす者たちは徒党を組もうとするのだろう、と思っていた。

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2005年11月 5日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#22

「な、何でもないよ。リンファはオレよりしっかりしているから、警備隊でも上手く情報を手に入れられるだろうな、って話をしていただけ」
「本当かしらね」
 余り関心のない調子で言って、女魔術師は、吟遊詩人の向かいの席に座った。
「色々と話は聞けたわよ。獣の身体の分析のほうは、進展がないそうだけど」
 マスターが、リンファのためにハーブティーを作り始めた。すでに閉店時間が差し迫っており、自主的に去って行く客の姿が目立ち始めている。
「カルヴェラ革命時代にここにいた警備隊員のなかに、あの魔術師らしい男を知っている人がいたの。昔は魔術師学院にいて、ヨナスと名のっていたらしいわ」
 セルフォンの中央広場に面した施設の中に、魔法を学ぼうという者たちが集う、魔法学院がある。魔法大国フィアリニアには及ばないものの、ナーサラ大陸最大の国であるパンジーヒアも、魔法研究の分野には熱を入れていた。
「魔法学院か……当時いた人に話を聞けないかな」
「あの学院は排他的なところがあるの」
 溜め息交じりに言って、リンファはマスターから受け取ったカップ入りのハーブティーを口にした。
「でも、魔術師の素質があれば、入るのは簡単なのよね。一週間の体験週間、というのもあるらしいの」
 彼女の言わんとするところを察して、シリスは目を見開いて相手を見つめる。その顔に浮かぶのは、心配そうな表情。
 無表情だったリンファは、かすかに苦笑した。
「大丈夫よ、何も心配するようなことはないんだから。実は、もう手続きは済ませてきたの。〈ヘイルストーム〉の一発も見せてあげたら、即許可が下りたわ」
 〈ヘイルストーム〉なら、周囲への被害は大きくない。シリスは、リンファが得意の火炎系魔法を選ばなくて良かった、と密かに思う。
「しかし、魔法学院と言えば、女子院生で誘拐事件の被害者になった者も多いね。地元の者が、学院から家に帰る間に消えるパターンが半分くらいだ」
「やっぱり心配だな。宿に戻るときには迎えに行くよ」
 マスターのことばを聞き、真面目な顔で言うシリスに、リンファはおもしろがるような、意地悪な表情で目を向けた。
「そんなに心配なら、あなたも一緒に学院に潜入したら? 魔力はあなたのほうが強いんだし、ちゃんと勉強すれば、わたし以上の魔術師になれると思うわよ」
 彼女の提案に、シリスは、突然飛んできた石に当たったような顔をする。
「オレは、勉強なんて向いてないよ。そんな時間があるなら、新しい曲を考えていたほうがずっと有意義だよ」
「まあ、シリスは神聖魔法向きかもしれないね」
 ぶんぶん首を振る吟遊詩人の様子に吹き出しそうになりながら、マスターが助け舟を出す。
 周囲は、徐々に静けさに包まれていく。このまま〈疾風の源〉亭に宿泊する客以外は、すでにほぼ全員が代金を払い、帰路についていた。
 窓の外では、蒼の月が三日月の緋の月の光を押しのけ、家へ急ぐ人々の行く手を照らしている。
 故郷も知れぬ旅人たちに、家はない。シリスとリンファにとっての家が、この店なのだろう。
「そろそろ、休もうか」
 温かいベッドが恋しくなって、黒猫の背中を撫でながら、シリスは階段を見上げた。
 旅人たちにとっては大切なことのひとつに、安心して休めるときに安心して休めるところで休む、ということもある。ときに緊張の連続にもなる、明日に備えるために。
「おやすみ、マスター」
 間もなく閉店となった一階の酒場から、旅人たちの姿が消えていく。
 ランプの火を吹き消し、暗くなった店内を見回しながら、マスターは、リンファが戻ってくる前に感じた妙な気配を思い出し、胸騒ぎを覚えていた。

 セルフォンの中央広場に面した、塔のような建物が、魔法学院である。ナーサラ大陸のどの国、どの町でも、優れた魔法の使い手には、働き口が約束されている。冒険者志望の者だけではなく、さまざまな目標のために魔法を学ぼうという院生が通い、あるいは、寮生活を送っていた。
 リンファは一週間の体験入学生として、アマリという名の担当者に、各講義の生徒や教授に紹介された。
 その、人の目を引き付けずにはおられない容姿である。彼女の名は、すぐに学院全体に響くことになった。
「何か、興味のある分野はある? あたし、案内するわ」
 すぐにリンファとともに行動するようになったのは、アマリから案内役を任された、ホワラという名の若い女だった。長い栗色の髪を三つ編みにした、見るからに真面目な優等生といった様子の院生だった。
 院生は、皆、灰色の地味なローブを身につける。当然リンファもローブ姿だが、それで彼女の美しさが損なわれることはない。
「そうね……攻撃魔法でどこまで破壊力を強くできるか、とか……どこまで痛みも気配もなく、相手に気づかれずに目的を遂行できるか、とか」
 どの講義を取るかは、それぞれの院生が欲しい知識による。リンファが渡された一覧には、『基礎魔法学』、『魔法の歴史』、『属性学』、『精神コントロール・集中力講座』、『魔法戦術理論』、『限界に挑戦する攻撃魔法』などといった講義名が並んでいた。
 リンファの物騒な選択に、ホワラは少し引き攣ったような笑みを浮かべる。
「それじゃあ、アリッシャー先生の攻撃魔法の講義だね。ちょっと怖いけど……」
「怖い? あなたは、攻撃魔法の使い手にはならないの?」
 リンファが問うと、ホワラは首を振る。
「あたしの家は伝送者の家系で……あたしも、魔法で遠くの魔術師と連絡をとる仕事を継ぎたいの。できれば、空を飛ぶ魔法も使えるようになりたかったけど、魔力がそんなに高くないから……」
「練習すれば使えるわ」
 あっさり言うリンファに、彼女は、自信なさそうにうなずく。余り、相手のことばを本気にしていない様子だ。
「うん……そろそろ行こう。講義が始まっちゃう」
 実戦をともなう攻撃魔法の講義は、大抵屋外で行われる、と彼女は説明した。白髪混じりのアリッシャーという茶色のローブの男は、集まった院生を郊外に案内する。
「あら、ホワラがこの講義に出るなんて珍しい。体験入学生のお守り?」
 郊外へ向かって通りを行く間、赤毛の女が、取り巻きらしい少女たちとともに近づいてくる。
「やめてよ、ムーナ。そんな言い方、失礼じゃない」
「顔は良くっても、頭のほうは、どうかしら? 二つの月は同時に満ちない、って言うものねえ」
 ホワラの注意も聞かず、ムーナと呼ばれた女はあからさまに挑発する。
 リンファはただ、黙っていた。

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2005年11月 4日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#21

  第三章 セルフォンの悪夢

 〈疾風の源〉亭は、いつも通りの賑わいを見せていた。ただ、一階の酒場は、そろそろ営業時間も終わろうかという頃合である。
 二日酔いも厭わずしばらく逗留しようという旅人や、多くは船乗りである地元の常連客、それに、中央区の賑やかな店ということでたまたま、あるいは、有名な店と知った上でふらりと立ち寄ってみた冒険者など、居合わせた客は、今夜は主に、類稀な容姿の吟遊詩人をかまうことで時間を潰していた。
 誰かが曲をリクエストするたびに、美しい声と竪琴の奏でる音色が外にまで洩れ、それもまた、新たな客を誘う。

 鳥は舞う 鳥は飛ぶ
 鳥はさえずり歌う
 風にのり 空に浮き
 雲を追ってどこまでも

 人は歩く 人は走る
 人は夢を追い続ける
 人は笑う 人は泣く
 絆をつなぎどこまでも

 鳥の空は彼方へ広がる
 人の道は彼方へのびる
 歌おう 笑おう どこまでも行こう
 雲が流れる先へ 絆が続く先へ

 吟遊詩人が歌い終えると、この店の新しい住人がカウンターの上から、にゃあ、と鳴く。
「いいぞフート、もっと歌え」
 酔っ払いに、すっかり馴染んだその名を呼ばれると、黒猫は気を良くしたようにもう一度鳴き、のどを鳴らし始める。
 吟遊詩人――シリスは、困ったように笑った。
「今は、フートがここの顔役だね」
「嫉妬してるのかい?」
 上機嫌のマスターが、カウンターの奥から声をかける。
「いいや。フートの歌声にはかないそうもないよ」
 シリスは竪琴をテーブルに置き、注文したまま手をつけていなかった、チーズシチューのパイ包みにスプーンを入れる。だいぶ冷めてはいるが、舌触りのいい、チーズのとろみと、程よい固さの芋、薄く味のついた鶏肉といい、どれも充分においしい。
 いつもながらおいしそうに料理を口にするシリスを見て、マスターは自分の腕が落ちていないことを確認する。
「フートも人気だが、きみの歌が客を呼んでくれているのも確かだからね」
 礼のつもりで、ココアを作ろうと、木目のカップを手に取る。
 不意に、フートがカウンターからシリスのテーブルの上に跳び移った。マスターは、チーズの匂いにつられたかと思ったが、黒猫はきょろきょろと周囲を見回すばかりだ。
 その様子を見ているうちに、マスターも、妙な気配を感じて周囲を見回す。彼が冒険者だったのは十年以上も前のことだが、その勘の鋭さはまだ失われてはいない。
 冒険者が集まる店である。今までも何度となく、物騒な客を叩き出すような場面があった。その直前、必ず、問題を起こす客が怪しい行動をとる。
 妙な気配は、意図的に近くに意志を向けているように思えた。ふと思いついて、一番近くのテーブルで残り少ないシチューをかき混ぜるシリスに目を向ける。
「シリス、何か感じないか?」
 平然としている吟遊詩人に問うと、相手は、料理を食べながら小さくうなずき、
「……感じているけど、こういう人が多いところではいつものことさ。べつに危険なことはないと思うよ」
 笑顔で言うが、何度か危険な目に遭っていることを、マスターは知っている。リンファほどではないが、彼の容姿は、街の中にあってもかなり目立つのだ。リンファはその美貌が周囲に起こす反応を知った上で無視しているが、シリスは少々、己の容姿の影響に関する警戒心が欠けていた。
 ただでさえ、先ほどまで店内の注目を受けて歌っていたところなのだ。多くの視線が、ラベンダー色の髪と色素の薄い赤い瞳を持つ吟遊詩人に集まっている。
 だが、目を向けている者たちの中には、異質な気配はない。では、店の外、通りに気配のもとがあるのだろうか。
 窓に目を向けた瞬間、ふっと、気配が消える。
「ニャー」
 フートが退屈そうにあくびをして、カウンターの上に戻ってくる。
「やれやれ……番犬ならぬ、番猫にもなりそうだな」
 ほっと息を吐いて、マスターがシリスのもとにココアを運ぶ。
「そういえば、リンファ遅いね。警備隊で何か進展があったのかな」
「だといいけど……こっちは、余り情報をつかめなかったから。まあ、これから集まることを期待しよう」
「セントメフィア方面からの旅人が訪れれば、いくらか希望が持てそうだがね」
 ココアをテーブルに置くのと替わって空になった食器類を盆に載せ、〈疾風の源〉亭の主人はカウンターの向こうにさがった。
 ラウリ村から帰還して店に直行したシリスは、昼食後に警備隊へ情報収集に行くというリンファと別れ、店内でエンデーヌ将軍と魔術師の周辺の噂話を聞いていた。あちこちに魔物討伐に駆け回ってる将軍は、冒険者の中でも、それなりに話題になっている。
 マスターが今まで耳にした噂話によると、エンデーヌ将軍はパンジーヒアの南西の小さな村の出身で、一五のときに王国警備隊に入り、剣術大会で優勝するなど剣の腕で武勲を立て、王国軍幹部まで出世したのだという。
 そして、彼が将軍になるときにはすでに、かたわらにつき従う魔術師の姿があった。
 ときに賞賛を、ときに嫉妬を、ときに疑念をもって語られる伝聞のウワサをまとめると、大体はそういった話である。
「一体、いつからあの魔術師が将軍のそばにいたのか……せめて、それがわかるといいのだけど」
「まあ、これだけ時間がかかってるんだし、警備隊で門前払いということもないだろうさ。事件で情報を知ってそうな者が出払っていて待たされてる、という可能性もあるけど」
「一緒に行けば良かったな……」
 カップの中のチョコレート色の液体に視線を落として、シリスは少し心配そうにつぶやいた。
 その顔色を見て、マスターは少し驚く。
「へえ、シリスがリンファを心配するとは。何か、気がかりなことでもあるのかい? ああ、例の事件?」
 最近の事件を思い出して、彼は納得した。
 ここしばらく、毎晩のように女性が誘拐され行方不明になる事件が起きていた。獣が起こしていた連続殺人事件の次に、人々の口によくのぼるようになった事件だ。
「リンファが、誘拐なんてされるタマだと思うかい?」
 マスターが問いかけると、シリスは苦笑した。
「有り得ないな。リンファは、オレより強いからね」
「誰が、あなたより強いって?」
 突然の声に、シリスは、椅子から転げ落ちそうになる。
 リンファは時々、何の予兆もなく現われることがあった。詳しく聞いたことはないが、シリスは、これが魔術師の能力の一端なのだろうと理解している。

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