『セルフォンの赤い悪夢』2

2005年11月 2日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#20

「奥が研究室、あとの二つは壁に文字が書いているだけの部屋です。おそらく、寝泊りするための空間でしょうね。すべて見て回りますか?」
「ええ」
 リンファが即答した。
 魔術師である彼女のほうが、遺跡や魔法関係の研究についても詳しい。シリスは、ここはリンファの判断に任せることにする。
 レックスは、カンテラを高く掲げて足元を照らし、手前から順に入ってみることにしたらしい。
 一番手前にある出入口をくぐると、ドーム状の空間が広がった。天井は高く、壁との間につなぎ目はない。床に近い部分と出入口の縁は暗い赤で塗られ、クリーム色の壁を、等間隔に、文字や絵が描かれた帯が横断していた。
 帯に書かれた文字は、それぞれの帯によって違うらしかった。
「確かに、超魔法文明時代の遺跡のようね」
 周囲を見回し、リンファはそれだけを口にして沈黙する。
 彼女には、描かれた古代文字から、もっと様々な情報が読み取れているはずである。それを声に出さないのは、得た情報を王国兵に知られたくなのだろう。
 王国兵はリンファが古代文字を読めることなど露知らず、次の部屋に移る。
 三つ並んだうちの中央にある部屋は、最初の部屋と良く似ていた。ただ、天井に、大人がくぐれそうなくらいの穴が開き、外からの光をかすかに注いでいた。
「煙突か……それとも、脱出口かしら?」
「住んでいた人々は研究者か、魔術師らしいですからね。脱出口かもしれません」
 上はチラリと見ただけで、壁の帯に並ぶ文字を指先でなぞりながら、リンファが大した興味もなさそうに言う。それに律儀に答えて、レックスはうなずいた。
「ここも、先ほどの部屋も、学者たちにとっては余り発見のない部屋かもしれませんね。次の部屋が、興味を引きそうですよ」
 旅人たちが一通り見終えたと判断すると、王国兵は、最後の部屋に案内する。
「触れると石が落ちてくるので、気をつけて」
 入口で、すねの高さに鎖が張られているのを警告しながら、彼は、今までの部屋より大きな空間の中央まで先導する。
 壁際に、牢屋のような、格子がはめられた空間が三つ並んでいた。その向かいには段差があり、部屋じゅうを見渡せる一番高い所に、石造りの四角い屋根と長椅子が見える。
 一番奥には、少し高くなった正方形の床に、魔方陣のような紋様が刻まれていた。その近くには、逆に、正方形のくぼみもある。
「ここで、様々な研究を行っていたのかもしれません。まあ、同僚の中には、ここは研究室じゃない、拷問部屋だったに違いない、というヤツもいますけどね」
 苦笑するレックスの横から、急にリンファが歩き出す。
「何かありました?」
 王国兵とシリスが追うと、リンファは、魔方陣のようなものの前で立ち止まり、その紋様を覚えようとするかのように見渡した。
「……何でもない。ただ、書物で似たようなものを見た気がしたの。でも、違ったわ」
「そうですか……まあ、学者が見れば、色々とわかることもあるでしょうね」
「そうね……それじゃあ、帰りましょうか」
 もう、この遺跡で見るべきところは見た。
 そう判断した彼女の意思に従い、三人は来た道を引き返していく。どうやら、何か新しいことがわかったようだと、シリスは思う。
 将軍への礼を言付け、レックスとは、遺跡の出入口で別れた。すでに朝食は済ませているが、誰か知っている顔ぶれに会えるかもしれないと思い、とりあえず村に向かう。
「何か発見はあったかい?」
 林の中で、シリスは前を行く魔術師に問いかける。
「ええ……あれは、錬金術師の研究所ね。それも、合金ではなく合成獣を研究するための、ね」
「それじゃあ、昨日の魔物も……?」
「その可能性はあるわ」
 肯定する彼女のことばに、シリスは、腕を組んで考えをまとめようとした。
 彼の頭の中心にあるのは、宿屋に泊まっている特殊魔法部隊のことだった。リンファが説明した内容からして、エンデーヌ将軍が魔物一掃のために使った手段と無関係とは思えない。
 村に戻ると、二人は宿屋をのぞいてみた。主人の話では、早朝、村を出て行ったという。
「一晩だけの滞在だったみたいね。やはり、掃討作戦のために来たとしか思えないわ」
「一体、何を使ったんだろう……? 遺跡の調査のためかと思っていたのに、掃討のためだけにあれだけの人数が来たのかな」
「その割には、全員宿にこもったままだったようだけど」
 宿を出て、村の出入口に向かう道すがら、リンファはふと、立ち止まった。
「わたしは、あの魔術師が気になるの。エンデーヌ将軍が登用されたとき、一緒に魔術師も軍に入ったと聞いた気がするけれど……詳しいことを調べるには、ここでは無理ね」
「セントメフィアに行くか、そこに情報源を持たないとね」
 シリスは小さく肩をすくめた。
「とにかく、一旦セルフォンに戻ろう。そこでセントメフィアに行く準備をするなり、〈疾風の源〉亭のマスターに知恵を借りるなりすればいいさ」
「また、依頼料の出ない仕事が増えそうね」
 嫌そうに言いながら、女魔術師は吟遊詩人の肩を引き寄せ、灰色のマフラーを首に巻いてやった。
「おーい」
 聞き覚えのある、若い声が呼びかける。少し照れくさいのか、シリスは慌ててリンファから離れ、早足で近寄ってくる姿を振り返った。
 現われたのは、少年剣士のローグと、エルフの僧侶セリオだ。自警団の見回りの途中らしい。
「もう帰るのか?」
「ああ。遺跡の見学は終わったからね」
 少し名残惜しそうなローグに、シリスはほほ笑みを返した。
「昨日は、自警団の実力を見せてもらったね。きみたちなら、何があってもこの村を護り切れそうだな」
「昨日は、王国兵やあんたたちがいなかったら勝てなかっただろうし……」
 少年剣士は相手から目をそらし、照れたように頭をかいた。日焼けした頬が、心なしか赤く染まっている。
「まだ、礼も言ってなかったよな。あんたが助けてくれなかったら、オレは溶解液を頭から被ってたかもしれない。助かったよ」
「そんなことか。どういたしまして」
 言いにくそうなローグの様子をほほ笑ましく見ながら、吟遊詩人は気楽に応じる。
 その彼の前に、成り行きを眺めていたエルフの僧侶が進み出た。
「昨日は本当に、助かりました。あなたたちには戦う義務もなかったのに、ラウリのために力を貸してくださったこと、忘れません。また機会があれば、是非ジェッカ教会にも寄ってください」
 言って、彼は右手を差し出す。
 最初に会ったときとは、表情も雰囲気も、まったく違う。端正な顔にのんびりした笑みを浮かべ、彼は旅人たちを見つめた。
 信頼を得たかな、と思いながら、シリスはセリオの手を握った。
「ジェッカ教会には、お世話になることも多いからね。次に来たときは、真っ先に教会に行こう」
「〈緑のオアシス〉亭にもだぜ」
 ローグが付け加え、シリスは苦笑しながらうなずいた。
 話が一段落したと見て、リンファが前に出る。
「そろそろ、行きましょうか。他のみんなにも、よろしく伝えておいて」
「ああ。気をつけてな」
 ローグとセリオに見送られて、二人の旅人は、村を出た。その背中が消えてから動き出す自警団の若者たちは、いつか旅立ちの日を迎えることを夢見ながら――再び見回りへ。
 セルフォンへは、歩いてでも、昼過ぎには到着する。旅人たちはのんびりと、草原の真ん中にのびる、土を固めただけの道を歩いた。
 村を出て間もなく、リンファはようやく存在を思い出したように、ベルトで留めて背負っていた、エンデーヌ将軍に渡された剣を取り出した。
「まあ……毛皮のマントの分は、取り返したかも知れないわね」
「オレは赤字だよ。マントのほうが残念だけど……」
 と、シリスは、普段は革のグローブに包まれているはずの両手を開いてみせる。
「セルフォンで新調しましょう。一番欲しいのは情報だけど」
「マスターに頼んで、警備隊や他の冒険者から、将軍関係の情報を引き出せるといいな。セントメフィアへ行くには、さすがに遠いからね……」
「あの獣の分析のほうも、何か進展があるかもしれないわ。どこまでセルフォンの警備隊に伝わるかが問題だけど」
 肩をすくめ、剣を背負いなおし、女魔術師は吟遊詩人と並んで歩く。
 行く手の晴れた空を見上げ、シリスは、ふとそれが闇色の霧に見えて、頭を振った。もう一度見上げたそこには、ただ紺碧の空が広がっているだけだった。
 朝露に輝く茂みの葉を見ながら、少女は、桶を手に花壇に水をやっていた。ラウリの畑はほとんどが野菜のためのもので、観賞用の植物を植えることは少ない。
 少女が持つことを許された少ない空間に、彼女は、半分に芋とママルを、半分に花を植えた。姉と二人暮らしの彼女たちの食糧は、姉が作る分の作物でこと足りた。
 茂みが、不意に揺らいだかに見えた。
「誰?」
 声をかけてみる。
 すると、素直に、相手は姿を現わした。
 まるで、巨人のように大きな身体。白髪に金色の目で、腰から下は鱗が形作る鎧のようなものに覆われている。背中には、灰色の、閉じた翼のようなものが突き出していた。
 不思議と、怖くはなかった。殺気や闘気というものが、まったく感じられないせいか。
「ねえ……どうしたの?」
 奇妙な目で周囲を見回す男に、少女は、慎重に話しかけてみる。
 男は、どこか困ったように、一度彼女を見た。
 泳いでいたその目が、少女の背後の鮮やかな花々の上に留まる。
 それに気がついた少女は、花の中から、彼女が一番気に入っている紅色のものを一本折り、振り返った。
「よかったら、これ……」
 差し出した先に、男の姿はなかった。
 一陣の風が、どこかから葉を吹き流す。男が立っていたはずの地面にも、彼の痕跡は何ひとつない。
 彼は行ってしまった。もう、行ってしまった。
 妙な寂しさを感じながら、少女はしばらくの間、花を掲げながら、立ち尽くした。


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2005年11月 1日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#19

「お姉ちゃん!」
 妹の前で太腿に火傷を負い、サンディアが転がる。セリオが彼女を離れた所に誘導し、治療魔法用の呪文を唱える。 
「〈マナグラント〉」
 リンファが早口で呪文を唱えると、ローグの剣に魔力を込める。
 少年剣士は、剣が軽くなったような気がした。今までにない感覚に少しだけ戸惑うが、戦闘中に驚いているわけにはいかない。薄っすらと赤い輝きを放つ刀身を一瞥すると、振り回される脚のひとつに斬りつける。
 あっさりと硬い脚が斬り飛ばされ、彼は気をよくして、別の脚に向かうが――
「くっ」
 溶解液が飛び散り、慌てて身を引いた。肩から白い煙が昇るが、かまわず、溶解液ごと斬りつける。魔力を帯びた刃は、液に触れても少しも傷むことはない。
 分厚い甲羅が、ほんの少し力を込めただけでぱっくり裂けた。さらに切り裂こうと力を込めたところで、口が向けられ、緑色の血が混じった溶解液が降りかかる。
 横から、シリスが身体をぶつけてきた。ジュウウ、と何かが焦げる音と血の臭いに顔をしかめながら、少年は、長い髪に隠れた吟遊詩人の顔を見上げた。
 即座に身を起こし、振り向きざまに、槍の穂先をローグがつけた傷口に突き刺す。その正確さは、多くの戦いを切り抜けてきたことを想像させる。
「デウスよ!」
 槍の先を魔物の体内に埋めたまま、シリスは澄んだ声を響かせる。その声に応えるように、槍を包む、蒼白い淡い輝きが、一瞬強くなった。
 何かが、切り裂かれる音がする。緑の血が傷口から噴き出した。
 その血もまた、溶解液と同じ性質を持つのか。手を包むグローブが溶け始めると、シリスは槍から手を放してそれを脱ぎ捨てる。
「みんな、下がって」
 リンファの冷静な声がそう指示した。
 すでに、魔物の脚はほぼすべて切り取られ、目も多くが潰され、あるいは燃やされていた。頭部を振り回し、少なくなりつつある溶解液を振り撒くくらいが精一杯だろう。
 息の根を止めてやろうというのか、女魔術師は、長めの呪文を唱え始める。
「あとは、お任せしてよさそうですね」
 ローグが立ち尽くしていると、いつの間にか、セリオが背後に回っていた。エルフの僧侶は、自警団の仲間のために、治癒の魔法を準備する。
「〈オールバーン〉」
 恨みがましく吼える魔物の前で、リンファが高位の火炎系攻撃魔法を完成させる。
 小さな点が現われたかと見えると、それを始点に赤い線が宙に走り、上下にのびて口を開ける。地獄の業火のようなオレンジ色の炎の絨毯が広がり、魔物の巨体を包み込んだ。
 炎の壁の中で、魔物は吼える。しかし、動くこともままならないその身体が塵と化すまでに、そう時間はかからない。
「終わったか……」
 ローグは、魔力が消え去った剣の刃を草で拭い、鞘に収める。セリオの魔法で身体の痛みも消え、戦いの興奮も、冷たい夜風に薄れていく。ただ、周囲の景色とところどころ穴が開いた服が、戦闘の余韻を残す。
 セリオは、負傷者の治療をして回った。しかし、ただ一人、最初に魔物と戦って倒れていた王国兵の一人は、少し離れた所に寝かされたままだった。
 治癒の魔法も、万能ではない。使い手の力量にも左右されるが、余りに性質が変化した肉体は、再生が不可能なこともある。
「大丈夫?」
 自警団の若者たちが仲間の無事を確認している間に、魔物の最期を見届けたリンファが、うなだれているシリスに歩み寄った。
 シリスは、泣き出しそうな顔でマントの端を持ち上げる。
「せっかくもらったのに……」
 灰色の毛皮のマントに、いくつもの穴が開いていた。とても、マントの用を成せるように見えない。
 やはりそれなりに高価だったのか、リンファはわずかな間、無念の表情を浮かべるものの、やがて、笑い出した。
「溶解液を被らずに済んだんだもの、安いものよ。それに、マフラーくらいなら作れるでしょう」
「ああ……」
 少し気を取り直して、吟遊詩人はマントを筒状に丸めて抱える。
「それにしても、あの魔物は遺跡からやってきたのかしら? 普段からああいう魔物が徘徊しているとは思えないし」
 意見を求めるように地元の自警団の者たちを見回すと、皆、うなずきを返す。
「この辺りにたまに出るっていったら、せいぜいゴブリンやオーガ、森の中でジェリー、といったくらいだよ。あんな魔物、今まで見たことなかったな」
「屋敷の魔物事典でも見たことがないな」
 ローグとシャードがことばを交わすうちに、周囲が騒がしくなってくる。戦いの物音を聞きつけた村人たちが起き出したらしい。
「仕方がない。とりあえず、〈緑のオアシス〉亭で王国軍の帰還を待とう」
 王国兵二人が仲間をかつぎ、自警団と、二人の旅人の後に続く。
 王国軍が遺跡の魔物を一掃して帰還したのは、一行が、煙の番をしながら村人たちに事情を説明しているマスターのもとに帰って間もなくだった。
 翌朝、マスターの好意を受けて〈緑のオアシス〉亭で一夜を明かしたシリスとリンファは、領主の屋敷に呼び出された。執事のラーソンに再び案内されたのは、質素な、エンデーヌ将軍の臨時執務室である。
 室内に、あの魔術師の姿はない。少し疲れたような顔をした将軍だけが、立って二人を迎え入れた。
「きみたちには、礼を言わねばならないね。自警団ともども、本当によく村を護ってくれた」
「あの魔物は、やはり遺跡からのものなんですか?」
 シリスが、単刀直入に問う。
「ああ……我々はどうにか相手を追い詰めたが、魔物のうちの一体が逃げ出しましてね。我々には、どうしようもなかったのです。激しい戦いでした、今回の任務での殉職者は三名にもなります」
 沈痛な面持ちで、将軍は机に置いていた一振りの剣を両手に取った。翼を模したような美しい装飾が施された、両刃の直刀である。
「遺跡の見学は可能ですが、安心して一夜を過ごして頂けなかったようですからな。約束通り、この剣を差し上げましょう」
 シリスが断ろうと口を開きかけるのを、リンファが遮って剣を受け取る。彼女の見立てでは、二百カクラムは下らない値打ち物だった。
「遺跡には、王国兵を一人つけましょう。魔物はいなくなりましたが、危険な場所もありますからな」
「えっと……」
 部屋を出かけて、シリスがふと、気になっていたことを口にする。
「以前こちらにいらっしゃった魔術師は、どこかに用事ですか?」
 この問いに、将軍は少しだけ、バツの悪そうな顔をする。
「あ、ああ。軍ともなると、色々と面倒な手続きや報告もあるものでして。そのためにも、彼には色々と役に立ってもらっていますよ」
 魔法が遠方との通話に使われるのは、珍しいことではない。
 しかし、エンデーヌ将軍の顔色からして、魔術師の「用事」には裏がありそうだ、とシリスは思った。
 屋敷の玄関から、案内を命じられたらしい兵士が二人を先導した。林の中までの道のりは、昨日自警団に案内されたため、旅人たちも記憶している。
 昨日もいた見張りの二人に軽く挨拶してから、レックスと名乗った案内役は、長方形の出入口から中に入る。
 しばらく、狭い廊下が続く。壁や天井は、赤茶けた色をしていた。
「造られたのは、約一五〇〇年ほど前と言われています。専門家の鑑定がまだなので、あくまで壁に書かれた古代文字を、少々詳しい同僚が読み取ったことから推理してのことですが」
 先頭を歩きながら、レックスは親切に説明する。
「古代文字によると、何かの研究所のようですね。ほら、研究室が見えてきました。足元に注意してください」
 廊下が終わり、広い空間に出る。段差を降りて見回すと、三つの大きな出入口が口を開けていた。

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2005年10月31日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#18

 畑の間を抜けると、低い唸り声と、金属音が聞こえた。続いて、何かがバリバリと引き裂かれ、倒れる音。生臭い、不快な匂いが鼻をつく。
 闇の奥にうごめく巨大なものを感じ取って、ローグは父親からのお下がりの、手入れの行き届いた剣を抜いた。シャードとセリオがかまえるのは、領主が自警団に贈った、金属製の槍だ。
「おい、大丈夫か!」
 一緒に駆けて来た王国兵が、木立ちの向こうから必死の形相で逃げてくる同僚に呼びかけた。
 目を凝らすと、王国兵の鎧姿がもうひとつ、地面に横たわっている。昼間〈緑のオアシス〉亭で見た姿だと、ローグは気がついた。
 怪我をしているのか、それともすでに事切れているのか。確かめている場合ではない。逃げてくる王国兵の後ろに、木をなぎ倒して近づいてくる、不気味な魔物の姿があった。
 目らしき黒い球体がいくつも突き出た頭部に、甲羅に覆われた胴体、その下で忙しく動く六本の脚。姿かたちは昆虫のようだが、誰も、そのような昆虫を見たことはなかった。
 木をなぎ払い、視界が開けると、魔物の頭部の下がぱっくりと割れる。それが口だと気づくのには、少し時間がかかる。
「離れろ!」
 シャードが叫ぶ。
 左右に分かれて身をかわす彼らの間に、どろりとした液体が流れ落ちた。それは地面の草を濡らすと、ジューッと音を立てて葉を溶かす。
「溶解液か」
「気をつけてください。溶かされた身体はそう簡単には元に戻りませんよ」
 セリオが注意してから、護りの力を導こうと、呪文を唱え始める。
 恐れていても仕方がない。相手の動きは意外に早く、村のなかに入れさせないためには、早く仕留めるほかはない。
 ローグは鎧を着ていないことに少しだけ不安を抱くが、呪文を唱えながらためらいなく前に出るシャードを見ると、負けてはいられない。勇気を奮い立たせ、目を狙って剣を突き出す。
 自警団の二人と王国兵二人が、魔物の目を潰した。だが、無数ある目の一部を傷つけられたくらいでは、巨体は止まらない。
 硬そうな毛の生えた脚が、素早く地を薙いだ。王国兵の一人が、大きく吹き飛ばされる。
「散開しよう!」
 セリオが地面を転がった兵士に向かうのを横目で見ながら、ローグが声を張り上げた。
「〈マナウォール〉!」
 蒼の月の力を導き、防御の魔法を解放すると、セリオはすぐに、治癒の魔法用の呪文を唱え始める。
 魔物の横に回りこみながら、シャードも、いくつか使える魔法のうちのひとつを放つ。
「〈ライトニング〉!」
 宙を蛇行する青白い光の線が、魔物の頭部をつらぬく。外は硬い甲羅で覆われていても、内部に広がる電撃は、確実に相手にダメージを与えるはずだ。
 魔物が、きしんだ床板のような鳴き声をあげる。大きく飛び退くシャードの目の前に、反撃の脚が振り下ろされ、地面をえぐってくぼみを作る。
「ローグ!」
 近づいてくる足音と聞き慣れた声を背中に受けながら、少年は身を引いた。
 身体に対して細過ぎる六本の脚が折り曲げられ、次に、一気に伸ばされる。巨体が、信じられないくらい高く跳んだ。
「みんな、下がれ!」
 駆け寄ろうとしていた少女たちに叫び、自ら魔物と距離を取る。
 浮き上がった魔物が、勢いよく落下した。草が混じった土埃が舞い、地面が轟く。揺れに足を取られ、しばらくの間、動くことができない。
 魔物は揺れの中でも、滑らかに動いた。脚の一本が、ローグを叩きつけようとする。
 少年の背後から、素早く、サンディアが動いた。つま先に鉄板を仕込んだブーツで魔物の脚を蹴り上げ、狙いを逸らす。
 姉の後ろで、カナディアは弓に矢をつがえ、ナセリーは針を手にしながら、相手の注意を引こうと目の上を飛び回った。
「溶解液に注意しろ」
 王国兵が言いながら、魔物の脚の節を狙い、剣先を突き出す。ローグもまた、それに倣った。
 セリオが治療を終え、もう一人の王国兵とともに戦線に復帰する。ローグとシャード、サンディアとセリオ、王国兵二人が、魔物の脚を一本ずつ相手するように陣取る。
 カナディアとナセリーは、それを援護し、目を潰すことに集中した。
「てっ!」
 脚に転がされながら、ローグは剣を手放さず、待った。確実に脚の弱い部分へ攻撃が入る角度を捉えるタイミングを。
 素早く動く脚にも、止まる瞬間がある。攻撃の直後、先端が地面に着く、その一瞬を、彼は捉えた。
 体重をのせ、前のめりになるようにして、かまえた剣を脚に突き刺す。
 ギイイイイィィィ……
 奥底から鳴り響くような悲鳴を上げ、魔物は、身体を跳ね上げる。
 カナディアが、甲羅を背負った背中より柔らかそうな腹部を狙い、矢を射る。深い傷ではないが、それは確かに、魔物の腹部に突き刺さった。
 顎が割れる。シュウシュウと音を立てる液体が、人間たちに向かって吐き出される。
 大切な剣を力任せに引き抜こうとしていたローグは、慌てて地面を転がって避けようとする。
「〈エアボミング〉!」
 爆風が、目を見開いてローグの無事を祈るばかりのカナディアの横を行き過ぎた。溶解液が吹き散らされ、一部は魔物の目に降りかかる。
 数滴の溶解液が左腕にかかり、服と皮膚を溶かす。ローグは顔をしかめながら、新たに駆けつけてきた姿を振り返った。
 昼間、〈緑のオアシス〉亭で顔を合わせ、領主の屋敷に案内した旅人二人が、それぞれの武器を手にしていた。爆風の魔法で少年剣士を助けたシリスは灰色の厚めのマントをまとい、リンファは呪文を唱えながら、レイピアを抜き放つ。
「助かった!」
 礼を言い、ローグは剣をかまえなおす。左腕にはひりつくような痛みがあるが、動かせないほどではない。
「〈フレアブラスト〉」
 リンファが赤い光線を発射した。光線が魔物の頭部に当たると、爆発が起こり、炎が複数並ぶ目の半分までを包む。唸りが再び、夜の空気を震わせた。
「見たことのない魔物だわ」
 魔法を解放してから、リンファが形のよい眉をひそめる。
 大勢の人間に取り囲まれ、傷つけられ、魔物はいよいよ本能のままに暴れ回る。脚が無造作に周囲を払い、足もとをすくわれたシャードと王国兵が草の上を転がった。
 追撃をかけようとするその動きを、サンディアとセリオが攻撃を加え、停止させる。
「あんたの相手は、こっちだよ!」
 ナセリーが飛び回りながら、針で魔物の目を突いた。
 その攻撃で、魔物の動きは確かに止まった。動きを止め、頭を振りながら、その場で口を大きく開く。
 溶解液が飛び散り、肉が焼けるような、嫌な臭いがした。

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2005年10月29日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#17

「魔物が外に出てきているのかしら……?」
「それとも、離れた所にいた魔物が遺跡の魔物に引き寄せられたとか……とにかく、警戒しておくに越したことはないね」
 槍を引き寄せ、闇に目を凝らす。危険は、いつも突然襲い掛かるものだと、長く旅を続ける者たちは知っていた。
 とはいえ、先ほどの声だけで言えば、それほど近くというわけではなかった。むしろ、遺跡の周辺から発されたように思える。
「大丈夫よ。結界も張ってあるし」
「オレたちはともかく、村や遺跡の掃討に来た王国兵も心配だな。まあ、よほど強力な魔物でなければ、あのエンデーヌさんの自信は打ち砕けない気もするけど」
「そろそろ、王国軍が動き出してもいい頃だものね」
 ことばを交わし、耳を澄ます。
 どこかで、葉がふみしめられるような、ギュっ、ギュッという音がする。それも、一人分ではない。
 狭い遺跡の内部では、大勢で魔物退治とはいかない。村や外の見張りも考えると、掃討作戦に参加するのは、せいぜい、五、六人程度か。
「みんな無事に帰って来れるといいな」
 少し心配そうな表情で、シリスは木々の向こうに目を向ける。
 エンデーヌが、あれほど自信を持っているのだ。何も気にすることはない……と、頭では理解していても、なぜか、不安が胸の奥に湧き上がってくる。
 本人に自覚のないその理由を、鋭い洞察力を持つ魔術師が見て取った。
「シリス……何か、悪い予感を感じているんじゃない?」
 シリスの、良く当たる第六感。その感覚がこの感覚だと、本人もようやく気づく。
「掃討作戦が失敗するかもしれない……ということかな?」
 迷うように、赤い目が槍の上を泳ぐ。
 リンファは、彼のそばから向かいに戻り、川の水を瓶に入れ、再び火の横に置く。カップの中に残っていたハーブティーは、すっかり冷え切っていた。
「考えても仕方がない。掃討作戦は王国兵の役目よ。わたしたちがすべきことは、失敗した後の自分たちへの被害を減らすこと」
「それでいいのかな」
 エンデーヌを含む王国兵の中に、死傷者が出るかもしれない。シリスは、それが気になるのだ。自分に関わりのないものには興味を持たないリンファと違い、彼は、己が知った、できるだけ多くの者を助けよう、護ろうと考える。
 だが、確かに掃討作戦は、軍の仕事なのだ。彼はあきらめ、小さくなりかけていた火に新たな薪をくべる。
 闇が完全に夜に馴染み、風はないものの、陽光の余韻が消えた大地は冷え始めていた。貰ったばかりの毛皮のマントで身を包んで、シリスはふと、村の方向を見る。
 そこには、一筋の煙が、村の中央から星々の瞬く空へ向け、立ち昇っていた。
 自警団の巡回は、いつもは夜も行われていた。しかし、今は王国兵に任されている。
 ゆっくり眠れるはずの夜だった。王国軍は遺跡の魔物たちを一掃し、村は何事もなく朝を迎えるに違いない。
 そう確信しながらも、ローグは眠ることができず、剣を取って散歩に出た。
 二つの月と満天の星が照らす夜道は明るく、林の方向もよく見えた。彼は、もうすでにエンデーヌ将軍らが出発したのを、鎧の鳴る音で知っている。
 村の周囲を歩くうちに、彼は、ジェッカ教会の前を通りかかった。木の陰に、見覚えのある長身痩躯の法衣姿があるのが見える。
「考えることは一緒だな」
 声をかけると、エルフの僧侶はようやく少年剣士の存在に気づき、表情のなかった顔にほほ笑みを浮かべた。
「眠れないのか?」
「ええ。何だか、胸騒ぎがして……今日は、静か過ぎる気がします。まあ、気のせいだと思いますけど」
 セリオは木の陰から出ると、ローグと並んで歩き始めた。
「セリオの胸騒ぎって、なんか心配だな……何か、魔物の気配を感じないか?」
 冗談のつもりで、笑いながらエルフを振り返る。しかし、彼の目に映ったのは、いつもはぼんやり開かれている目を珍しく細めて茂みをにらむ、セリオの姿だった。
 反射的に、愛剣の柄に手をやる。何かの気配が、素早く茂みの中を駆け抜けた。
「動物……か?」
 一瞬だけローグにも感じ取れた気配は、すぐに彼らの元を離れた。動物のものとは違う感触に思えたが、五感ではない不確かな感覚に触れるものに対しては、自信が持てない。
 動物だったのだろう、と、彼は結論付けることにした。セリオも、それを否定はしない。肯定もしないが。
「まあ、今夜はきっと何も起こらずに……」
 言いかけて、口をつぐむ。
 視界の端に、白い煙が昇っていく。急に、少し離れたところから、カンカンという軽い金属音が聞こえてきた。その煙、その音――どちらも、自警団の異常事態発生の合図だ。
「なに? 何があったの~?」
 ナセリーが眠い目を擦りながら、教会を飛び出してくる。
 しばらく、硬直したように茫然と立ち尽くしていたローグとセリオは、背中を押されたように駆け出した。それを、まだ状況を理解しないまま、慌ててナセリーが追う。
 村の中央、自警団の集合場所に指定されている共同井戸がある辺りで、煙をよく出すフム草が燃やされていた。
 王国兵が一人と、〈緑のオアシス〉亭のマスター、そして昼間の格好のままのシャードが、駆けつけた三人を迎えた。
「村の北に魔物だ。王国兵が二人、足止めしてる。オレたちは応援に行くから、ナセリーはカナディアとサンディアが来たら誘導してくれ」
「わかった」
 留守番を任されたナセリーは少し膨れた顔をするが、駄々をこねている場合でないのはわかっていた。
 なぜ、今夜魔物が現われたのか。どんな魔物が現われたのか。ローグも、シャードに色々とききたいことはあったが、無駄なことは一切言わない青年の切羽詰ったような様子を見ていたら、口を閉じているべきだと実感する。
 シャードと若い王国兵、ローグ、セリオは、小さな村のなかを走った。何事かと家から顔を出す者もいるが、気にしている余裕はない。
「魔物が外に出てきているのかしら……?」
「それとも、離れた所にいた魔物が遺跡の魔物に引き寄せられたとか……とにかく、警戒しておくに越したことはないね」
 槍を引き寄せ、闇に目を凝らす。危険は、いつも突然襲い掛かるものだと、長く旅を続ける者たちは知っていた。
 とはいえ、先ほどの声だけで言えば、それほど近くというわけではなかった。むしろ、遺跡の周辺から発されたように思える。
「大丈夫よ。結界も張ってあるし」
「オレたちはともかく、村や遺跡の掃討に来た王国兵も心配だな。まあ、よほど強力な魔物でなければ、あのエンデーヌさんの自信は打ち砕けない気もするけど」
「そろそろ、王国軍が動き出してもいい頃だものね」
 ことばを交わし、耳を澄ます。
 どこかで、葉がふみしめられるような、ギュっ、ギュッという音がする。それも、一人分ではない。
 狭い遺跡の内部では、大勢で魔物退治とはいかない。村や外の見張りも考えると、掃討作戦に参加するのは、せいぜい、五、六人程度か。
「みんな無事に帰って来れるといいな」
 少し心配そうな表情で、シリスは木々の向こうに目を向ける。
 エンデーヌが、あれほど自信を持っているのだ。何も気にすることはない……と、頭では理解していても、なぜか、不安が胸の奥に湧き上がってくる。
 本人に自覚のないその理由を、鋭い洞察力を持つ魔術師が見て取った。
「シリス……何か、悪い予感を感じているんじゃない?」
 シリスの、良く当たる第六感。その感覚がこの感覚だと、本人もようやく気づく。
「掃討作戦が失敗するかもしれない……ということかな?」
 迷うように、赤い目が槍の上を泳ぐ。
 リンファは、彼のそばから向かいに戻り、川の水を瓶に入れ、再び火の横に置く。カップの中に残っていたハーブティーは、すっかり冷え切っていた。
「考えても仕方がない。掃討作戦は王国兵の役目よ。わたしたちがすべきことは、失敗した後の自分たちへの被害を減らすこと」
「それでいいのかな」
 エンデーヌを含む王国兵の中に、死傷者が出るかもしれない。シリスは、それが気になるのだ。自分に関わりのないものには興味を持たないリンファと違い、彼は、己が知った、できるだけ多くの者を助けよう、護ろうと考える。
 だが、確かに掃討作戦は、軍の仕事なのだ。彼はあきらめ、小さくなりかけていた火に新たな薪をくべる。
 闇が完全に夜に馴染み、風はないものの、陽光の余韻が消えた大地は冷え始めていた。貰ったばかりの毛皮のマントで身を包んで、シリスはふと、村の方向を見る。
 そこには、一筋の煙が、村の中央から星々の瞬く空へ向け、立ち昇っていた。
 自警団の巡回は、いつもは夜も行われていた。しかし、今は王国兵に任されている。
 ゆっくり眠れるはずの夜だった。王国軍は遺跡の魔物たちを一掃し、村は何事もなく朝を迎えるに違いない。
 そう確信しながらも、ローグは眠ることができず、剣を取って散歩に出た。
 二つの月と満天の星が照らす夜道は明るく、林の方向もよく見えた。彼は、もうすでにエンデーヌ将軍らが出発したのを、鎧の鳴る音で知っている。
 村の周囲を歩くうちに、彼は、ジェッカ教会の前を通りかかった。木の陰に、見覚えのある長身痩躯の法衣姿があるのが見える。
「考えることは一緒だな」
 声をかけると、エルフの僧侶はようやく少年剣士の存在に気づき、表情のなかった顔にほほ笑みを浮かべた。
「眠れないのか?」
「ええ。何だか、胸騒ぎがして……今日は、静か過ぎる気がします。まあ、気のせいだと思いますけど」
 セリオは木の陰から出ると、ローグと並んで歩き始めた。
「セリオの胸騒ぎって、なんか心配だな……何か、魔物の気配を感じないか?」
 冗談のつもりで、笑いながらエルフを振り返る。しかし、彼の目に映ったのは、いつもはぼんやり開かれている目を珍しく細めて茂みをにらむ、セリオの姿だった。
 反射的に、愛剣の柄に手をやる。何かの気配が、素早く茂みの中を駆け抜けた。
「動物……か?」
 一瞬だけローグにも感じ取れた気配は、すぐに彼らの元を離れた。動物のものとは違う感触に思えたが、五感ではない不確かな感覚に触れるものに対しては、自信が持てない。
 動物だったのだろう、と、彼は結論付けることにした。セリオも、それを否定はしない。肯定もしないが。
「まあ、今夜はきっと何も起こらずに……」
 言いかけて、口をつぐむ。
 視界の端に、白い煙が昇っていく。急に、少し離れたところから、カンカンという軽い金属音が聞こえてきた。その煙、その音――どちらも、自警団の異常事態発生の合図だ。
「なに? 何があったの~?」
 ナセリーが眠い目を擦りながら、教会を飛び出してくる。
 しばらく、硬直したように茫然と立ち尽くしていたローグとセリオは、背中を押されたように駆け出した。それを、まだ状況を理解しないまま、慌ててナセリーが追う。
 村の中央、自警団の集合場所に指定されている共同井戸がある辺りで、煙をよく出すフム草が燃やされていた。
 王国兵が一人と、〈緑のオアシス〉亭のマスター、そして昼間の格好のままのシャードが、駆けつけた三人を迎えた。
「村の北に魔物だ。王国兵が二人、足止めしてる。オレたちは応援に行くから、ナセリーはカナディアとサンディアが来たら誘導してくれ」
「わかった」
 留守番を任されたナセリーは少し膨れた顔をするが、駄々をこねている場合でないのはわかっていた。
 なぜ、今夜魔物が現われたのか。どんな魔物が現われたのか。ローグも、シャードに色々とききたいことはあったが、無駄なことは一切言わない青年の切羽詰ったような様子を見ていたら、口を閉じているべきだと実感する。
 シャードと若い王国兵、ローグ、セリオは、小さな村のなかを走った。何事かと家から顔を出す者もいるが、気にしている余裕はない。

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2005年10月28日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#16

「それとも、人目につかない夜を選んだのは、見られてはまずいことがあるから?」
「王国兵の精鋭たちの戦い、だものね。何か、魔物たちを一掃する戦い方の秘密でもあるのかしら」
 余り興味がないような調子で言い、スプーンで雑炊を掬って口にする。濃過ぎず薄過ぎない塩気が、具の旨みを引き立てていた。
「相変わらず、いいお嫁さんになれそうね」
 彼女の感想に、吟遊詩人は苦笑した。炎で、その横顔が橙色に照らされる。
 雑炊を食べ終えると、シリスはデザートにしようと、セルフォンで買っておいた卵状の果実、ママルを取り出しかけ、ふと、思い出す。
「そうだ。これを試してみよう」
 彼が肩掛けカバンから出したのは、ダグルの缶詰だった。珍味だと言って勧める、セルフォンの露店商から買ったものである。
「北方大陸の上流階級の味、だったかしら?」
「オカラシアのラフディウムで作られているそうだな。まあ、北のほうがこういう技術は進んでるから、当たることはないだろう」
 自分に言い聞かせるかのように言って、シリスはナイフについている缶切で缶詰の上部を切り取る。
 なかには、赤みがかった豆が、ぎっしりと詰まっていた。
「匂いはよさそうね」
「ああ、食べられそうだね」
 未知の食べ物なので、無意識のうちに、最大の警戒心をもって豆を注視する。
 右手だけグローブを外し、シリスは、豆を一粒、摘み上げた。茹でた豆は柔らかく、指の腹で簡単に押し潰せる。
「ほら、食べてみたら?」
「うう……リンファ、お先にどう?」
「こういうのは、所有者が一番先に手をつけるべきものよ。わたしは、遠慮させてもらうわ」
 恨みがましい目を向けるシリスに、リンファのほうは、面白がるような視線を向ける。
 一体どうなるか、見ものだわ――そう言いたげな美しい女魔術師が見守る中、シリスはじいっと豆を凝視した後、ゆっくりと口に放り込み、何度も噛みしめた。
 急に、その動きが止まる。わずかに表情を変えた顔が、赤く染まった。
「大丈夫?」
 少し心配になってきたリンファがきくと、吟遊詩人は跳び起き、小川に這いずるように駆けつけて口をすすぐ。
「まずかったの?」
 水でのどを湿らせてから、彼は首を振る。
「辛い……」
 シリスが戻ってきてへたりこむと、向かいにいたリンファが、そばに移動した。彼女は無造作に、平らな石の上に置かれた缶詰に指を伸ばし、ダグルを口に放り込む。
 驚いたように目を見開くシリスの前で、リンファは平然とそれを飲み下す。
「あら……おいしいじゃない。お酒に合いそうね。ワインの一本でも、持って来るんだったわ」
「リンファ……平気なの?」
「辛いのは、結構好きなの」
 茫然と見ている吟遊詩人に、美女は、笑顔を見せた。
「これ、譲ってくれる?」
 と、缶詰を持ち上げる彼女に、
「ええ、是非」
 彼女以外に周囲にいる唯一の人物は、こくんとうなずいた。
 とりあえず、缶詰を確保しておいて、彼女はさらにシリスに近づき、手を伸ばす。
「具合を確かめたかったのに、何だかわからなくなってしまったわね。まあ、辛いものを口にして、少しは体が温まったでしょう」
 長い髪を指ですかれ、頬に手を当てられ、シリスはようやく、リンファが宿の高い部屋に泊まりたがっていた理由を知る。
「もしかして……体調を心配して、野宿を嫌がってたのかい? オレのことなんていいのに……」
「良くない」
 キッパリ言って、魔女が彼を抱き寄せた。その一瞬のうちに、何か柔らかい感覚が周囲を包む。
 見下ろす目に映ったものに、シリスは驚いた。
 彼の肩に、丈の長い毛皮のマントがかけられていた。灰色の毛に覆われた表面は暖かく、手触りもいい。
 倹約家のリンファが荷物を増やそうとするのは、いつもなら考えられないほど珍しいことだった。
「そうね……おいしい夕食のお礼、ということにしておくわ。あなたにあげる」
「ほんとに? ありがとう」
 心地よい毛皮に頬ずりしながら、吟遊詩人は、無邪気に笑う。嬉しそうな顔を見て、思わず顔をほころばせていたリンファは、照れたように顔を逸らせる。
「セルフォンの市場の古着屋で、安く買ったの。これならいつものマントの上から着られるし、毛布代わりにもできるわ。使わないときは、背負い袋の代わりにでもしておけばいいから」
「中古ったって、それなりに高価だったろう。大事にするよ」
 気持ちよさそうにマントを抱き、屈託なく笑う彼の顔をまともに見れず、リンファは遺跡の方向に目を向けた。
 セルフォンの宿では、深夜も周囲に人の生活の気配を感じたが、ラウリの夜の郊外には、確かな気配は何もない。ただ、どこか奥に多くの生命が動いているのは感じ取れるが、涼しい水音のほかには、時折かすかに、葉の擦れるような音が耳に届く程度だった。
 夜闇に満ちた木々の間には、動くものは何もない――そう思えたものが、一瞬で変わる。
 フシュウウウゥゥゥ……
 空気が震えた。
 シリスの笑顔が凍りつく。何かの唸りのような音は、すぐに静寂に消え去り、幻聴にも思える。
 だが、お互いの顔を見合わせれば、それが気のせいではないのは明らかだった。
「狼か何かかな……」
 どこかで聞いた気がするのが心にひっかかるものの、シリスは、自分の望みも含めて、そうつぶやいた。
 しかし、彼にもわかっていた。闇の中から聞こえてきた声は、村の周囲に近寄るような獣のものではない。

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2005年10月27日 (木)

セルフォンの赤い悪夢#15

 空は、端から少しずつ、朱に染まっていた。もともと、一目外側を見るだけの予定だったので、彼らは早々に村に引き上げる。
「お二人は、宿に泊まるんですか?」
 井戸のある広場で、八人は輪になってお互いを見た。
 周囲を駆け回っていた子どもたちも家へ帰り、畑に出ている姿も少なくなっている。
「そうだね。せっかくだから、村に一軒の宿屋に泊まらせてもらうことにするよ。ジェッカ教会に泊まるほうが安上がりかもしれないけど」
 どこの教会も、泊まるところのない者の為に軒先を解放している。質素な食事を与えられることもある、という程度の居心地だが、野宿よりは遥かにマシである。
 シャードは旅人たちを家に招こうかと考えていたが、数少ない客を待つ宿屋に配慮しようという吟遊詩人の笑顔を向けられると、何も言えなくなる。
 セリオとナセリーは教会へ、他の者はそれぞれの家へ。宿に向かう旅人たちと別れ、去っていく。
「たまには、高い部屋を取りましょう」
「そのほうが、宿の人も喜んでくれるだろうしね」
 夕暮れの道を歩いて、シリスとリンファは、〈日干し草の宿〉という小さな宿屋の扉をくぐった。
 しかし、事態は、二人の予想を大きく裏切る。
「王国兵は、領主さんの屋敷に泊まってるはずじゃ……」
 宿に入って間もなく、シリスは、カウンターの向こうの主人に、困り果てたような目を向ける。
 宿の主人のほうも、申し訳なさそうに旅人たちを見た。
「それが、急に王国軍の特殊魔法部隊とかいう方たちがいらっしゃって……もう、馬小屋から倉庫まで貸切というありさまでして」
「特殊魔法部隊?」
「魔物や魔法の戦術的な使い方、遺跡から発掘された道具を戦闘用に研究したり、新しい攻撃魔法を編み出そうという軍隊直属の研究機関よ」
 耳慣れない単語にシリスが首をかしげると、リンファが横から説明し、泊めた相手を良く知らなかったらしい宿屋の主人も感心する。
「うーん、ともかく、うちにはもう、お客さまを泊める場所も、お食事も用意できませんので……申し訳ありません」
「まあ、仕方がないよ」
 肩をすくめ、縮こまっている主人に見送られて、宿を出る。
 太陽は、山の連なりの向こうへ姿を隠したようだ。地平線を包むようなシリスの髪の色に似た薄紫色に陽光の余韻があるものの、空の高い部分に濃紺が広がり、いくつか星が輝いていた。
「野宿かな」
 見上げたまま、吟遊詩人はポツリと言う。
 その横顔に、魔女は強い意志を秘めた目を向けた。
「それは駄目よ。今からでも、どこかに泊めてもらうか、教会にでも行きましょう」
「珍しいね。こういうとき、いつもリンファが真っ先に、無駄な出費はいらない、野宿で充分だって言うと思うんだけどな」
「今日は、高い料金を払ってでもゆっくりするって決めていたの」
 見返してきたシリスから視線をはずし、彼女は顔をそらす。
 家々の窓から、明りが洩れていた。空に、いくつもの煙が昇っている。
「もう、どこも夕食を作っている頃だし、今から行けば迷惑になる。……リンファ、オレが外で携帯食じゃない料理をご馳走するって言うのはどう?」
「いいけど、それはいつもやっていることだと思うの」
 言い返してから、彼女は、仕方なさそうに肩をすくめた。
「そうね……郊外にいるほうが、王国軍の動きもわかるかもしれないし。遺跡の近くに野宿するのもおもしろそうだわ」
「じゃあ、急いで行こうか」
 もう、夕食時である。早く夕食の準備をしようと、二人は西の林に向かった。
 星の明りを頼りにして、遺跡がある丘から少し離れた所にある小川のそばに、足場の良い場所を見つける。
 シリスは土を少し掘り起こし、できた穴の周囲を石で囲むと、薪にする枝と一緒に拾ってきた先が二又になった木の枝を、左右に一本ずつ立てた。
 その上にナイフで細かい枝を切り落とした棒をひっかけ、小川の水をくんだ鍋を吊るす。薪を並べた上に、リンファが短く呪文を唱え、火種を移した。
「こういうとき、魔法は便利だって思うね」
「あら。こういうときじゃないと、思わないの?」
 リンファがいたずらっぽく言うと、シリスは慌てて首を振った。
「そ、そういうわけじゃないよ。何度命を救われたか、数え切れないくらいなんだから」
 彼は枝で薪と枯葉を動かし、火が上手く鍋に当たるように調整する。鍋の中身が沸騰すると、刻んだ干し肉と何種類かの乾燥豆、米と味付け用の塩を入れ、焦げないようかき混ぜる。
 シリスが夕食を作っている間に、リンファは金属製の瓶に水を入れて火のそばの石に立てかけ、湯を作っていた。瓶の口から湯気が昇ると、彼女は、溝が噛み合った二つのカップを取り出す。取っ手も折りたためるようになった、小さく収納できる旅人に人気のカップだ。
 次に、常に持ち歩いている乾燥ハーブと、蜂蜜を正方形に小さく固めたものを二個、それぞれのカップに入れる。
「王国軍の作戦は、深夜かな」
 香り付けのハーブを鍋に入れてかき混ぜ、シリスはすっかり闇に染まった空を見上げた。赤と青の月が星々とともに光をそそぎ、周囲は松明も必要ないほど明るい。
 彼は鍋を下ろし、金属製の丈夫な食器に雑炊を盛る。食欲をそそる香りが、鼻腔をくすぐった。
「深夜になれば、魔物は活発になるはず。相手は、深夜にならなければ戦いにくいタイプの魔物なのかしら」
 ハーブティーを作ったカップを手渡しながら、リンファは遺跡の方向に目をやる。
 昼間は眠っており、眠っている間は甲羅に護られ攻撃の通用しない相手や、夜にならなければ実体の現われない精神生命体系の魔物、というものも存在する。そういった相手でなければ、魔物の相手は昼間にしたほうが、いくらか有利のはずだった。

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2005年10月26日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#14

 王国兵は、屋敷の西部分に宿泊しているらしかった。西には馬小屋があり、廊下の窓からは、王国軍の馬と、その身体を洗っている世話役の姿が見える。
 視線を戻し、シリスは、執事の後ろ姿を、そしてその向こうにあるドアを見た。
「この奥が、エンデーヌ将軍の臨時執務室になっております。どうぞ、お入りください」
 ドアの横に立ち、取っ手を回して引き開ける。執事からは部屋の中は見えず、部屋の内部の人間からも、彼の姿は見えない。
 必要以上に姿を知られたくないのか、と思いながら、机と椅子だけの質素な部屋に入る旅人二人を、しかし、エンデーヌは意外に陽気な調子で迎えた。
「やあ、よくいらっしゃった。わたしが遺跡の安全管理の責任者、イルヘム・エンデーヌだ」
 茶色の髪に顎鬚を生やした体格のいい青年は、紺のローブに茶色のマントを羽織っただけの軽装だった。椅子に座り、ドアを背にした将軍は、武器のひとつも身につけていない。
 だが、その理由は、一見してわかっていた。部屋の中で一番目を引く存在――黒いフード付マントを頭からすっぽり被った、魔術師らしい姿が、将軍のかたわらに控えている。
 フードからのぞく口もとは白く、唇や顎の形は整っている。頬にかかる細やかな金細工のような髪は、黒一色の中にあって、淡く輝いていた。
「わたしはリンファ、こちらはシリス。遺跡発見の報を聞きつけて、後学のためにも是非見学したいと思い、参った旅人です」
 シリスに比べ堅苦しい会話も得意とするリンファが、ためらいなく口を開いた。彼女の外見は、交渉の場でも高い威力を発揮する。特に、相手が男性の場合は。
「それはそれは、感心ですな。ただ、今夜、我々は魔物たちの残りを一掃するつもりです。その準備のために、今日は夕刻にはなかを閉鎖する予定なのです。明日には、中もご覧になれるとは思うが」
 説明して、将軍は魔術師を一瞥した。黒衣の魔術師は、淡い金色の目を、まばたきもせずに訪問者たちに向けている。
「明日ですか……夕刻には、村を発つつもりなのですが」
 黒尽くめの視線を気にしないことにして、リンファは意味ありげにそう応じた。本当に今夜で魔物を片付けられるのか、という問いかけだ。
 一瞬だけ痛いところを衝かれた、という表情を浮かべ、将軍は苦笑する。
「わたしが保証しよう。もし、今夜で決着をつけられなかったら……そうだな。お詫びに、わたしが予備に持っている、特製の剣をプレゼントすることにしましょう」
「ずいぶん自信がおありのようですね」
 リンファが内心ほくそ笑みながら言うと、将軍は再び魔術師の男に目を向け、全身で答えるかのように自信に満ちた様子で笑った。
「ええ、必ずや、我々の奥の手で魔物どもを一掃してみせましょう。……今日は、遺跡の外観をご覧になられたらどうでですか? それくらいなら、魔物の掃討を待つこともない。必要なら、部下を案内にやりますが」
 エンデーヌ将軍の申し出を丁寧に断って、二人は部屋を出る。背中に突き刺さるような視線を感じながら。
 ドアが閉まり、ほっと息を吐く二人を不思議そうな顔で迎えた。
 旅人たちがロビーでことの顛末を簡単に説明すると、ローグたちは遺跡への案内役を買って出た。それを半ば予想していたシリスとリンファは、彼らとともに、村の西に出る。
 西には、山並みの端まで、緑の木々が広がっていた。村の周辺からは見ることはできないが、森のあちこちに、エルフの集落があるはずである。
 遺跡が発見されたのは、森と村の間にある丘の下だという。
「木こりのおじさんが、少し遠出したときに偶然発見したんだ。王国兵は、超魔法文明時代の遺跡だって言うけど」
 先頭に立って遺跡の前まで辿り着くと、少年剣士は、自分が知っているすべての情報を説明した。
 丘の土のなかから、文字や蔓のような絵が刻まれた、石造りの壁面が顔を出していた。その、なだらかな坂になった壁の中央に、長方形の入口が開き、その左右で、王国兵が目を光らせている。
「確かに、超魔法文明時代の魔法語が刻まれているようね」
 リンファが遺跡に一歩近づき、壁面の文字を読む。
 一二〇〇年前、大天神ルテらと邪神セイリスらの戦い、後に消魔大戦と呼ばれる戦いがあるまで、セルティスト界には、高度な魔法文明が存在したという。ナーサラ大陸にある遺跡の大半は、超魔法文明時代のものだ。
「凄い。なに書いてるか、わかるの?」
 カナディアが、目を輝かせて女魔術師を見上げる。
 少女の視線を、まんざらでもない様子で受け止めながら、美女は壁面に書いてある文字を読み上げる。
「我ら闇を払う、命を守る……ここに住まいしは神のしもべなり……防御系の魔方陣を構成する呪文に多い文句ね。たぶん、住処を守るために刻まれたのだと思うの」
「昔の住居、でしょうか?」
 セリオが少し興味を引かれたように、身を乗り出す。
「なかに入ってみないとわからないけど、誰かが、それも複数の人間が住んでいたのは確かね……人間、とは限らないけど」
 エルフに目をやって、リンファは付け加える。

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2005年10月25日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#13

「村の案内なら、まっかせて!」
 待ってましたとばかりに、小妖精が飛び出した。南方大陸でも珍しい小さな姿に、吟遊詩人は目を見開く。
「この村は、個性的な自警団に守られているのね」
 美女がハーブティーを傾ける手を止め、ほほ笑む。
 ローグが慌ててフェアリーを追いかけ、右手で小さな身体を捕まえた。
「ナセリー、屋敷の場所は見りゃわかるんだから、案内なんていらないだろ」
「何よ、ローグだって乗り気のクセに」
「案内するにしても、シャードが決めることだろ」
 言って、少年が振り返ると、淡い茶色の髪の青年は、立ち上がって歩み寄ろうとしているところだった。
「わたしは、ラウリ候レイモンドの息子、シャード・ルクセラ・カイゼルです。王国兵は屋敷に滞在しているので、遺跡を見学なさりたいなら、エンデーヌ将軍のもとにご案内しましょう」
 慣れた調子で、自警団のまとめ役でもある彼が言うと、楽しそうにローグとナセリーの言い合いを見ていた詩人は、立ち上がってシャードを迎えた。
「それじゃ、案内はよろしく頼むよ。自警団の皆さん」
 彼がそう告げると、テーブルに残ったままで話を聞いていた少女たちも、嬉しそうに笑顔を見せる。
 旅人二人が食事を済ませる間に、彼らと自警団は、簡単な自己紹介を済ませ、吟遊詩人はシリス、美しい女魔術師はリンファ、と名のった。
「あと、セリオってのがいるんだけど……まあ、屋敷に行くまでに教会があるから、途中で寄ってみよう」
「教会って、ジェッカの?」
 店を出て歩き出したところで、リンファがローグのことばを聞きとがめる。
「そうだよ。エルフに一番関係が深い神さまだからな」
 ジェッカは、自然と平静、医療を司る神である。病院を運営していることが多く、その神殿は、人々に一番馴染みが深い。
 木造の住宅が並ぶ、草を刈っただけの小さな通りを歩いて間もなく、村の端に、緑の紋章を掲げた小さな教会が見えてくる。白い石造りの教会からは、丁度、金髪緑眼の神官服が出てきたところだった。
 長身痩躯に、整った顔立ち、長い金髪からのぞく、先のとがった耳。一見して、エルフだとわかる。
「セリオ! 丁度良かったわ」
 呼び止められて目を丸くすると、彼は次に目を細め、一行の中にある見知らぬ姿を、その奥にあるものを推し計るかのように、じっくりと眺めた。
「……珍しいですね。旅の方ですか?」
「そうだよ。こっちの吟遊詩人がシリスで、そっちの美人さんがリンファ」
 と、紹介したのは、旅人たち本人ではなく、彼らの頭上を飛び回ったあげく、エルフの僧侶の肩に腰かけたナセリーだった。
 肩を振り返ってほほ笑むと、セリオはシリスとリンファに向き直り、
「ぼくは、セリオス・ミリコットといいます。近くのエルフの森出身ですが、この村の教会でジェッカさまに仕える僧侶の端くれ、とでも言いましょうか」
「よろしく、セリオ」
 礼儀正しく自己紹介するところへ、シリスが手を差し出した。セリオは一度戸惑ったように相手の革のグローブに覆われた手を見下ろしてから、手を握る。
 長年付き合っているローグやサンディアからは、セリオがいつになく警戒しているのがわかった。決して人見知りするほうではないし、むしろ、誰とでも気軽に話すエルフの僧侶だ。それも、相手は、やはり人懐っこい雰囲気を持つ吟遊詩人である。
 何か、警戒すべき理由があるのかと、ローグはシリスを見た。吟遊詩人のほうは何の警戒も怪しい動作もなく、結局、少年にはセリオの警戒の理由はわからない。
「これから、シャードの屋敷に行くの。セリオも来るでしょう?」
 クッキーの残りを手渡しながら、カナディアが灰色の目を向ける。
 少しぼんやりしていたエルフの僧侶は、慌ててうなずいた。
「ええ、もちろん。ぼくもご一緒させていただきますよ。今なら、王国兵もみんな屋敷にいるみたいですし」
「エンデーヌ将軍や部下の魔術師も、治療を受けた負傷者たちと一緒に、屋敷に戻ったみたいだな」
 シャードがそう確認すると、先頭に立って、再び歩き始める。
 小さな村なので、村人全員が知り合いのようなものだ。畑をいじっている男や、共同使用の井戸に水汲みに出て来た婦人などと声を掛け合い、自警団志望の小さな子どもたちが駆け回る先を横切りながら、迷わずある方向をめざす。
 領主の屋敷は、村の北の、丘の上にあった。村のどこからでも見ることができる、ローグが言った通りに見ればわかる場所にある屋敷だ。
 屋敷の両開きの扉まで辿り着くと、当然ながら慣れた様子で、シャードがノッカーを鳴らす。
 間もなく扉が開かれ、白髪を後ろに撫で付けた、スラリと痩せた体躯の老人が顔をのぞかせる。
「こんにちは、ラーソンさん」
 ローグたちが声をかけると、愛嬌のある目を丸くして、執事は玄関前に並ぶ顔ぶれを眺める。
「これはこれは、坊ちゃんとお友だち、それに……そちらのお二人はどちらさまです?」
 シャードはあまり、坊ちゃん、と呼ばれるのを気に入っていないのか、顔に仕方なさそうな苦笑いを浮かべて応じた。
「ああ、旅の方たちがエンデーヌ将軍にお会いしたいとおっしゃるので、ご案内したんだ。将軍に知らせてくれるかい?」
「はい、ただいま」
 姿勢を正して答えると、執事は素早く奥に消え、入れ替わりに、若いメイドが一行をロビーのテーブルに案内した。
 メイドの入れたハーブティーとラーソン作のクッキーで時間を潰し始めて間もなく、再び執事が現われ、シリスとリンファを呼び出す。
「オレたちは留守番か」
 ローグが、少し残念そうに肩をすくめた。彼はまだ、一度もエンデーヌの顔を見たことがないのだ。
「食べられないように気をつけてねー」
 クッキーにかじりつきながらのフェアリーのことばに、執事とリンファに続いて歩き始めていた吟遊詩人は振り返り、苦笑した。
「ああ、頑張ってくるよ」

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2005年10月24日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#12

「そんなことより、サンディア、他の四人はどうしたんだよ」
 食後のコーヒーを飲んでいた少女は、ほっと一息ついてから、幼馴染みのぶっきらぼうな問いかけに答える。
「カナディアとナセリーはシャードの家。ラーソンおじさんがクッキーを焼いて、分けてくれるって言うから、シャードと一緒に取りに行ったわ。セリオは教会」
 村の者なら、シャードが領主の息子であることも、ラーソンが領主の屋敷の執事であることも知っているだろう。
 しかし、領主の屋敷に宿を取っているはずの王国兵たちは少年たちの話に無関心なのか、硬い表情のまま店を出て行く。
「ずいぶん、緊張した感じだったわねえ」
「ああ、状況が余り良くないようだからね」
 思わず兵士たちが出て行ったドアを見つめるサンディアに、マスターが声をかけた。自警団を組織する若者たちはほぼ毎日この店に集うので、マスターとは顔馴染みである。
「状況……って、怪我人でも出たのか?」
 思わず身を乗り出すローグに、マスターは首を振った。
「怪我をしたら魔法で治せば良いだけだしね。そうではなくて、倒せない魔物がいたのさ。何体か、非常に強力な魔物が最後の壁になっているようだ」
「何せ、軍隊は少人数の戦いに慣れていないからな」
 そう付け加えたのは、ドアを開けて入ってきた、長身の青年だった。金に近い茶色の髪を後ろで束ね、知的に輝く目は、北方大陸製の眼鏡のレンズに覆われている。
 彼の後ろには、金髪を三つ編みにした少女が紙袋を抱えて続き、その周囲を、半透明な羽根を背にした手のひらサイズの人型種族――フェアリーが飛んでいた。
「シャード、何か変わったことはあったか?」
 待ちかねたように、ローグは領主の跡取りに問うた。
「ああ。オレは軍隊には近づけないが、おじさんが言うには、今夜、強力な魔物を倒すために、何か強力な兵器を使うらしい。さすがに、詳しいことは聞けないようだが」
「国家機密、ってやつか」
 内心、魔物の掃討のための戦力に呼ばれるかと期待していた少年は、溜め息を洩らした。
「ローグは、戦いたかったの?」
 二歳違いの姉のとなりで笑いながら、カナディアは紙袋を広げ、クッキーの山をテーブルの上に置いた。甘い香りが、ふわっと周囲に広がる。
「ほんっと、この年頃の男の子は、血気盛んね~」
 小妖精のナセリーが、クッキーのひとつを掠め取る。彼女の身体に対して大き過ぎるそれを、カナディアが細かく砕いてやった。
「せめて、王国兵の戦いぶりを見たかったのに……掃討中は、遺跡に近づくのも禁止だなんて」
 腹いせのように、少年剣士は丸いクッキーを口に放り込み、噛み砕く。料理好きな執事はシャードの好みに合わせたのだろうが、甘過ぎない素朴な味のバタークッキーは、彼の好みにも良く合っていた。
「セリオの分も残しておいてやれよ。もうすぐ来るはずだから」
 身体に似合わず、勢い良くクッキーの欠片を食べ尽くしていくナセリーに、シャードが苦笑を向けた。
「甘いものはいくらでも入るの。ほら、シャードももっと食べないと、大きくなれませんよ」
「ナセリーは大きくなるつもりなのか?」
「ううん。あたしのお腹には異世界に続く穴が開いてるから、これ以上は大きくなれないの」
「自分で言ってりゃ世話ないな」
 ローグの突っ込みに、笑いが起こる。人の姿は少ないが、この酒場はいつも、賑やかだった。
 笑い声に重なるように、小さな音が鳴った。
 建てつけの悪いドアが、キイ、と小さな悲鳴を上げる。大げさな音ゆえに、誰もが、ドアが開けられたことに気づいた。
 注目の中、店に入って来た姿に、皆は一瞬、ことばを失う。
 それは、一度目にすると忘れられないような容姿をした、二人の旅人だった。一見女二人にも見えるが、もう少し注意して見ると、体型から、どうやら一組の男女らしいとわかる。
 吟遊詩人らしい若い男と、女神のように美しい女。二人は店内を見渡すと、カウンターに近いテーブルに席をとる。
「やあ、いらっしゃい」
 少しの間目を見張っていたマスターが、すぐに営業スマイルを取り戻した。
「ここに旅人が訪れるとは珍しい。どこから来たか、聞いてもいいかな?」
「近場だよ。しばらくセルフォンに逗留していて、そろそろ、またどこかに出かけようかと思って」
 背負っていた槍と竪琴を降ろし、吟遊詩人が優しげなほほ笑みを浮かべて答える。ローグたちはクッキーをつまみながら、背中でマスターと旅人の会話を聞いていた。
「それじゃあ、これからまたどこかへ?」
「いや、新しく発見された遺跡を見ようと思ってたんだ。でも、王国兵が閉鎖しているようだし、見学は無理かな?」
「魔物退治の間以外なら、見学くらいはできるよ。魔物がいる辺りはさすがに入れなはずだし、王国兵が案内することになるだろうけどね」
 各テーブルに配置されているメニューに目を落としていた美女が、吟遊詩人に注文をきき、昼食を注文した。
「今夜掃討作戦が終わるっていう話だから、もう少し待てば、ゆっくり見られるかもしれないよ」
 注文された料理を手早く作り、盆に自慢の採れたて野菜の鶏肉巻きや自家製ジャム入りパン、じゃがいものミルク煮と団子入りスープなどを載せ、テーブルに運ぶ間に、先ほどのシャードの話を思い出し、マスターが付け加える。
「急ぐ旅じゃないけど、遺跡の調査をする学者さんの邪魔になるのも何だから、すぐに済ませてしまうつもりなんだ。王国兵の部隊の責任者の人に許可を取ろう」
 素朴な料理を見て嬉しそうにほほ笑み、吟遊詩人が答えた。
「それなら、案内を頼むといい」
 マスターが、意味深長に少年少女たちを見る。
 ローグやサンディアは知らないふりでクッキーを頬張るが、ナセリーはあからさまに、期待の目で受け止める。
「案内か。頼めるものなら頼みたいものだけど」
 パンをかじりながら吟遊詩人が言うと、マスターは苦笑を押し殺した様子で、ことばを続けた。
「王国軍の責任者エンデーヌは、領主の館に泊まっているんだ。そこにいるシャードが、領主の息子だよ。自警団の若者たちに、屋敷まで案内してもらうといい」

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2005年10月22日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#11

  第二章 古の鼓動

 草原の真ん中を縦断する道を、一台の荷馬車が、コトコトと南に向かっていた。暖かい陽射しを受け、遮るものもなく、だいぶ歳をとっているらしい馬が上機嫌で馬車を引く。
 荷台の上の半分は、干草の束で埋め尽くされている。もう半分、端のほうには、二人の旅人が腰かけていた。
「まったく、軍隊が近くに来てるなんて、信じられないのどかさね」
 何の異状もない草原を見回して、リンファは退屈そうにぼやいた。
 彼女のとなりでは、シリスが気持ちよさそうに仰向けになっている。目を閉じたその顔を、そっと女魔術師はのぞき見た。不意に吟遊詩人の目が開かれ、目と目が合う。
「気分は悪くなさそうね」
「ああ……こうして、馬車に揺られているだけだしね」
 頭を掻き、シリスは草原の彼方に視線を向ける。
 戦獣の一件が一応解決し、熱が下がると、シリスはすぐにもセルフォンを発とうとした。リンファが珍しく行きたい場所があると言い出したのは、彼に無理をさせないための配慮である。
 行き先は、セルフォンから遠くない場所にある。最近になって郊外に遺跡が発見された、ラウリという名の小さな村だ。
 歩いても数時間で着くが、たまたまラウリ行きの荷馬車と会い、護衛がてらに乗せてもらえることになった、というのが、今までのいきさつだった。
「まあ、たまには、こうしてのんびりするのもいいかな。ほんの一部とはいえ、王国軍が魔物討伐に来るくらいなんだから、村は大変なことになっているかもしれないけど」
 発見された遺跡は、小さなものだった。しかし、同時に内部にはびこっていた魔物たちも目覚め、家畜に被害が出ているという。
 今は二〇人の王国軍に守られているが、村人たちは、緊張を強いられているだろう。
「すぐに、王国軍が掃除をしているでしょう。最近は、イルヘム・エンデーヌとかいう新しい将軍の指揮で、積極的に討伐に乗り出しているみたいよ」
「ああ、そのエンデーヌさんが、うちの村にも来てるんだよ」
 手綱を握る、黒い口髭をたくわえた男が、口を挟んだ。
「小さな村だけど、すぐにやってきてくれた。部下の人たちもだけど、いい人だよ。おかげで、怪我人も出なかったしねえ」
「遺跡の魔物は、もう掃討されたんですか?」
 身を起こし、シリスが干草の山の向こうに目を向ける。
「もう、半分くらいはやっつけたかな。でも、さすがに人数が少ないんで、一気に全滅させるわけにはいかなかったんだ。村の警備もやらないといけないし」
「それじゃあ、魔物討伐はこれからかしら」
 リンファの目が、怪しく光る。何とか、分け前にありつけるかもしれない……というときの輝きだと、シリスは知っている。
「リンファ……遺跡の魔物討伐がしたかったのかい?」
 少しあきれを含んだをとなりに向けると、類稀な容姿を持つ美女は、しらじらしく空を仰ぐ。
「遺跡の見学のついでに、お小遣い稼ぎができれば一石二鳥じゃない。あなたは、宿で休んでいていいから」
「ラウリに、宿屋があったかな?」
「ああ、あるよ」
 村の者である男が、再び口を挟む。
「うちは、西にある森のエルフとも貿易が盛んだからね。小さな村だけど、けっこう旅人が訪れるのさ」
 エルフとは、先の尖った耳と美しい容姿、高い魔力を持つ、長命の森の妖精である。
 かつて、セルティスト界全体を巻き込む戦いがあった。その直後、約一二〇〇年前に、世界は四つに分断される。エルフの大半は精霊界に移住したが、この表層界〈フォース〉にも、一部の者が残り、ひっそりと暮らしていた。
「エルフにとっても、遺跡の魔物は厄介でしょうね。まあ、それならもう、エンデーヌが手を打っているでしょう」
 少し残念そうに言い、リンファは、地平線から顔を出しつつある緑の稜線へ視線を向けた。
 ラウリは、農耕を主な産業とした、小さな村である。かつて貿易の拠点として栄えていた名残か、セントメフィアの貴族の血筋をつぐ一族が領主として村をまとめているが、争いごとなど滅多に起きない、のどかな村だ。
 その一方、魔物に対する警戒は常に怠らず、数少ない若者たちは、自警団を組織して周囲を巡回していた。
「ねえ、ローグ。いつもより、暇になったと思わない?」
 金髪を肩の上で切りそろえた少女が、碧眼をとなりにむけた。そこには、遅い昼食にサンドウィッチを頬張る、栗色の髪の少年の姿がある。
 村に唯一の酒場〈緑のオアシス〉亭は、いつもの昼食時に比べ、混雑していた。もっとも、いつもはテーブルひとつのみ埋まっているのが、二つに増えただけのことだが。
「まあ、ありがたいことに、王国軍第七師団の人たちが見回ってくれるからな。これで、みんな安心さ」
「その割には、つまらなそうよね」
「べつに……余った時間で、これから剣の訓練でもしようって考えてただけだ」
 壁際のテーブルで静かに昼食をとっている王国軍の兵士の姿を横目に、ローグはホットミルクでサンドウィッチを胃に流し込んだ。
 エンデーヌの率いる王国軍の兵士は、一般的な歩兵とはいえ、機能的で洗練された軽鎧を身につけていた。しかも、選び抜かれた精鋭である。その動きには無駄がなく、外見的にも内面的にも機能美を思わせた。
 一種の憧憬と、かすかな嫉妬。それが、ほんのわずかの間、少年の黒い瞳に浮かんで消えた。

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