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2010年7月 8日 (木)

古に眠る炎竜#60(長編連載小説DB)

 今の彼は老人の手を握り、その濁った目を見る。
「あの、ご家族は?」
「さあ……娘夫婦は出かけてて、妻はどこかこの近くに……」
 焦点は合わず、何も見えていない。かすかに聞こえていたらしい聴覚も急激に失われていく。
「ああ、今日は温かいスープを作って妻に食べさせる約束をしていたんだ……今日はもう無理だ、早くあいつを見つけてまた今度、スープ……を……」
 どんどん声は小さく弱くなり、やがて聞こえなくなった。脈を確かめたときにはすでに事切れている。
 思考停止しかけて、吟遊詩人は急いで立ち上がった。
 ここから逃げなければ。
 彼はこれから起きることを知っている。頭の中はただひとつのことに占められ、身をひるがえした。
 だが、背後から聞こえてはいけない声が聞こえてくる。
「シリス!」
「おーい、無事か?」
 振り返る目に映るのは、見覚えのある姿。
 でっぷりとした体型の竜に似た獣を乗り物代わりにした、斧と弓を手にした二人の戦士に、その横を仕方がなさそうについてくる女剣士。
「サリウル、ベクトラン、ルキフェア……」
 もう遥かな時の彼方の出来事であり、その顔も長らく見ていないというのに、吟遊詩人の澄んだ声はよどみなく三人の声を紡いだ。仲間としてともに戦ってきた三人の名を。
「おい、待てよ!」
 制止の声を無視して走り続ける。一刻も早くこの場を離れるために。
 だが間に合わないのもわかりきっていた。
 空から突如光が降ってくる。魔王の一撃が仲間たちを直撃した。
 衝撃に大地が跳ね爆風が起こる。煙を幾筋も四方八方に散らしながら、大きなクレーターが焦げた地面に刻まれている。
 そこにいたはずの姿は、跡形もなかった。
「あ……」
 見てはいけないと、わかっていたのに。
 空中から羽虫のように群がって降下してくる有翼魔族たちとわずかに見える魔王らしきものの姿。
 右手が熱い。半ば茫然としながらその手を目線まで持ち上げると、手は青白い炎に包まれていた。
 ――やはり。
 どこか頭の片隅にあったあきらめと確信が現実になる。
 あふれ出す力を抑えきれない。自然と動悸が激しくなり、突き上げる怒りと悲しみになにもかもがどうでもよくなる。
 これが、絶望。
 実感しながら、シリスは我が身に張り詰める強烈な感情と力の一方で、意識が曖昧に白く塗りつぶされていくようだった。

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