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2005年11月21日 (月)

セルフォンの赤い悪夢#34

 リンファは、人の姿で賑わう街の中心を離れ、ひたすら静かな方角へと足を進めた。
 暗い小路から閑静な住宅街に入り、普段は誰も近づくことのない、そして、近づくことの禁じられている地区へ。闇が、このセルフォンの東の一角では、より濃く感じられる。
 緋と蒼の半月の明りを頼りに、魔女は汚れた石畳の上を歩く。家々の残骸が四方に広がる景色は不気味で、好んでここを訪れる者はいないだろう。
 その、不気味な景色の中を、見ている者のいないことが惜しまれるほどの美女が、迷いなく歩いていく。
 見覚えのある、木製の家の残骸。
 目的地に辿り着くと、リンファはその周辺を回り、慎重に探り始めた。そして、いくつかの地点に目を留め、魔法で細工を施す。
 そのうちに、覚えのある気配が、闇の中に生まれた。
「思ったより、遅かったのね」
 振り返ったそこにあるのは、予測通り、闇色のマントとフードに、頭からつま先までを覆った姿。
 黒衣の魔術師は、ゆっくりと、対照的に白い服をまとった女魔術師に歩み寄る。
「なぜ、ここに来るとわかった?」
 くぐもった、余り感情を含まぬ声が、冷ややかな夜の空気を震わせる。
 相手に向き直り、リンファは腕を組んだ。右手は、いつでもレイピアを抜ける位置になる。
「戦獣たちは、主のもとに戻ってくる……そう聞いたわ。主のもと……その研究所のここは、人目にもつかないし、待ち合わせに都合のいい場所だもの」
 黒尽くめが、数歩で届く距離まで間を詰める。
「そして、エンデーヌ将軍がセルフォンに到着する前……戦獣が活発に動く夜闇が降りた後、できるだけ早く獣たちと合流したいでしょうね」
「ご明察だな」
 その手が、マントの内側から出される。リンファには、魔力を秘めた指輪が輝く手に、少しずつ魔力が収束していくのが見えた。
 リンファは、スラリとレイピアを抜く。
「早く戦獣が駆けつけて来てくれるといいわね」
「ずいぶん、自信があるのだな。剣を使うのか……魔術師としても、かなりの手練だと見える」
「ずいぶん謙虚なのね」
 黒尽くめの手のひらに、充分な魔力が集う。それは、蒼白く冷たい輝きを放つ、光球の形をとった。
「油断はしない主義なだけだ。己より経験の浅い魔術師になど、負けるつもりはない」
 淡々と応じるそのことばに、魔女は、形の良い口もとにふっと笑みを浮かべる。
「わたしは、容赦はしない主義なの。忘れないでね、カナルさん」

 どうやら、上手く振り切れたようだ――人で埋め尽くされた通りを脱出し、小路に身を潜めて、シリスは息を吐く。
 呼吸を整えようとするが、あきらめて、重い身体を引きずるように歩く。当ては無かったが、足は東に向かっていた。
 さすがに、夜でも賑やかな西や北に、あの魔術師が現われるとは思えない。中央広場を横断して、静かな住宅街に向かう。
 東通りの一本となりの狭い道を歩きながら、思い出す。パーレル・グナッデンを捕らえたのが、この道だった。
 幸い、人の姿はない。西に比べ街灯も薄暗い石畳の道を歩きながら、シリスは空を見上げた。
 余り見られることのない、緋と蒼の半月。それを覆う、風に押され水が流れるように速く行き過ぎる雲の、黒い霧のような影が、不吉な混沌とした雰囲気を漂わせる。
 身につけているのが、なんとか見つけ出してきた薄手の女物の服一枚だけあって、寒い。腕をさすりながら、人気のない辺りへ歩き出す。
 さすがに、近くに戦いがあればわかるはずだ。セルフォンは広いが、戦える場所となれば、いくつか候補は絞られる。
 もう少し通りから離れようと、家と家の間に入ったところで、急に、手を引かれた。
「え……」
 振り返ると、水夫らしい、体格のいい若い男が、笑みを浮かべていた。しかも、男の背後には同僚らしい姿がふたつ、見えている。どこかでシリスを見つけ、後をつけていたらしい。
 普段なら、気配を察知できるはずだった。しかし、じっと立っているのもままならない状態では、無理な話である。
「こんな夜道を一人で歩いているなんて、危ないよ、お嬢さん」
 フード代わりに被っていたシーツが、男の手で取り払われる。まとめて押さえつけていた長い髪が、背中に流れた。
「ほお……綺麗なお嬢さんだ。一人で行かせるのは危険過ぎる。オレたちが案内してやろうじゃないか」
「そうだ、仲良くしようぜ」
 相手の顎をつかんで顔を上げさせ、覗き込みながらの男の提案に、その同僚たちも同調する。
 恐怖や焦りより、情けなさで一杯になりながら、シリスは考えをめぐらせる。腕力での勝負はともかく、ごろつきの数人など、いつもなら軽くあしらえるはずだ。
 魔法を試してみようかと、目を閉じ、精神を集中する。
「いさぎよいな。顔が赤いぜ? そんなに恥ずかしがらなくても……」
「〈ボムフィスト〉」
 もっとも発動が簡単な魔法は、無事、解き放たれたようだった。しかも、手加減などできない今回のその威力はいつもより大きく、水夫たちの身体が、大きく吹き飛ばされる。
 それに、腕をつかまれていたシリス自身も引きずられた。
「いっ……たぁ……」
 すぐに手は離れたものの、数歩分引っ張られ、石畳に転倒する。額と手の甲に擦り傷を負ったらしく、ひりひりと痛んだ。
 よろめきながら立ち上がろうとしたところで、誰かに肩をつかまれ、ぎくりとする。まさか、他にも仲間がいたのか?
 狭い通路の向こうに目をやると、最初に絡んできた三人は、重なり合うようにしてのびている。
 新手かもしれない。そう思い、再び精神を集中しようとする彼の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「大丈夫ですか?」
 反射的に振り返る。そして、焦りと驚きに顔色を変える。
 だが、本当に驚いたのは、相手――警備隊員、ルルグのほうだろう。
「シリスさん……? シ、シリスさんは、女性だったのですか?」
「そ、それは違っ……!」
 この状態を、一体どのように説明すべきか。迷いながら、周囲を見回す。
「えっと、その……とにかく、リンファが戦獣やその主と戦うって言うから、あの、戦獣を……引きつけようと……」
 上手い言い訳が見つからず、混乱するままに適当なことばを口にする。
「シリスさんは一度、戦獣の主である誘拐犯に誘拐されたと聞きました。それに、戦獣の主が、あなたたちが顔を合わせたことのある相手だったとか」
「ああ……」
 シリスは詳しいことは知らないが、彼を見つけたリンファが、その後警備隊に通報したに違いない、と想像する。
「リンファさんが、というより、誰でも、被害者をまだ捕まっていない犯人と合わせようとしませんよ。だから、変装して脱出してきたというところでしょう」
 多少の誤差はあるもの、さすが、ベテラン警備隊員の推理だった。
 シリスは嫌な予感を覚えて立ち上がろうとするが、簡単に両手首を絡め取られてしまう。
「は、放して、べつに犯人と会ったところで何ともないから!」
「大人しくしてください。ご本人が大丈夫だと言ったところで、信用できません。宿にお連れします」
「お願い、誰か助けて! わたしには、家で待つ夫と子どもたちが!」
「ふ、不穏当な発言は止めてください!」
 人通りのない小路で押し問答をしていると、不意に、夜闇の向こうで小さな破裂音がした。
 二人は動きを止め、セルフォンでも、最も静かな地区へ目をやる。
 小さな、それも無数の蛍のような光が尾を引いて、踊っているかのように見えた。

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