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2005年11月 4日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#21

  第三章 セルフォンの悪夢

 〈疾風の源〉亭は、いつも通りの賑わいを見せていた。ただ、一階の酒場は、そろそろ営業時間も終わろうかという頃合である。
 二日酔いも厭わずしばらく逗留しようという旅人や、多くは船乗りである地元の常連客、それに、中央区の賑やかな店ということでたまたま、あるいは、有名な店と知った上でふらりと立ち寄ってみた冒険者など、居合わせた客は、今夜は主に、類稀な容姿の吟遊詩人をかまうことで時間を潰していた。
 誰かが曲をリクエストするたびに、美しい声と竪琴の奏でる音色が外にまで洩れ、それもまた、新たな客を誘う。

 鳥は舞う 鳥は飛ぶ
 鳥はさえずり歌う
 風にのり 空に浮き
 雲を追ってどこまでも

 人は歩く 人は走る
 人は夢を追い続ける
 人は笑う 人は泣く
 絆をつなぎどこまでも

 鳥の空は彼方へ広がる
 人の道は彼方へのびる
 歌おう 笑おう どこまでも行こう
 雲が流れる先へ 絆が続く先へ

 吟遊詩人が歌い終えると、この店の新しい住人がカウンターの上から、にゃあ、と鳴く。
「いいぞフート、もっと歌え」
 酔っ払いに、すっかり馴染んだその名を呼ばれると、黒猫は気を良くしたようにもう一度鳴き、のどを鳴らし始める。
 吟遊詩人――シリスは、困ったように笑った。
「今は、フートがここの顔役だね」
「嫉妬してるのかい?」
 上機嫌のマスターが、カウンターの奥から声をかける。
「いいや。フートの歌声にはかないそうもないよ」
 シリスは竪琴をテーブルに置き、注文したまま手をつけていなかった、チーズシチューのパイ包みにスプーンを入れる。だいぶ冷めてはいるが、舌触りのいい、チーズのとろみと、程よい固さの芋、薄く味のついた鶏肉といい、どれも充分においしい。
 いつもながらおいしそうに料理を口にするシリスを見て、マスターは自分の腕が落ちていないことを確認する。
「フートも人気だが、きみの歌が客を呼んでくれているのも確かだからね」
 礼のつもりで、ココアを作ろうと、木目のカップを手に取る。
 不意に、フートがカウンターからシリスのテーブルの上に跳び移った。マスターは、チーズの匂いにつられたかと思ったが、黒猫はきょろきょろと周囲を見回すばかりだ。
 その様子を見ているうちに、マスターも、妙な気配を感じて周囲を見回す。彼が冒険者だったのは十年以上も前のことだが、その勘の鋭さはまだ失われてはいない。
 冒険者が集まる店である。今までも何度となく、物騒な客を叩き出すような場面があった。その直前、必ず、問題を起こす客が怪しい行動をとる。
 妙な気配は、意図的に近くに意志を向けているように思えた。ふと思いついて、一番近くのテーブルで残り少ないシチューをかき混ぜるシリスに目を向ける。
「シリス、何か感じないか?」
 平然としている吟遊詩人に問うと、相手は、料理を食べながら小さくうなずき、
「……感じているけど、こういう人が多いところではいつものことさ。べつに危険なことはないと思うよ」
 笑顔で言うが、何度か危険な目に遭っていることを、マスターは知っている。リンファほどではないが、彼の容姿は、街の中にあってもかなり目立つのだ。リンファはその美貌が周囲に起こす反応を知った上で無視しているが、シリスは少々、己の容姿の影響に関する警戒心が欠けていた。
 ただでさえ、先ほどまで店内の注目を受けて歌っていたところなのだ。多くの視線が、ラベンダー色の髪と色素の薄い赤い瞳を持つ吟遊詩人に集まっている。
 だが、目を向けている者たちの中には、異質な気配はない。では、店の外、通りに気配のもとがあるのだろうか。
 窓に目を向けた瞬間、ふっと、気配が消える。
「ニャー」
 フートが退屈そうにあくびをして、カウンターの上に戻ってくる。
「やれやれ……番犬ならぬ、番猫にもなりそうだな」
 ほっと息を吐いて、マスターがシリスのもとにココアを運ぶ。
「そういえば、リンファ遅いね。警備隊で何か進展があったのかな」
「だといいけど……こっちは、余り情報をつかめなかったから。まあ、これから集まることを期待しよう」
「セントメフィア方面からの旅人が訪れれば、いくらか希望が持てそうだがね」
 ココアをテーブルに置くのと替わって空になった食器類を盆に載せ、〈疾風の源〉亭の主人はカウンターの向こうにさがった。
 ラウリ村から帰還して店に直行したシリスは、昼食後に警備隊へ情報収集に行くというリンファと別れ、店内でエンデーヌ将軍と魔術師の周辺の噂話を聞いていた。あちこちに魔物討伐に駆け回ってる将軍は、冒険者の中でも、それなりに話題になっている。
 マスターが今まで耳にした噂話によると、エンデーヌ将軍はパンジーヒアの南西の小さな村の出身で、一五のときに王国警備隊に入り、剣術大会で優勝するなど剣の腕で武勲を立て、王国軍幹部まで出世したのだという。
 そして、彼が将軍になるときにはすでに、かたわらにつき従う魔術師の姿があった。
 ときに賞賛を、ときに嫉妬を、ときに疑念をもって語られる伝聞のウワサをまとめると、大体はそういった話である。
「一体、いつからあの魔術師が将軍のそばにいたのか……せめて、それがわかるといいのだけど」
「まあ、これだけ時間がかかってるんだし、警備隊で門前払いということもないだろうさ。事件で情報を知ってそうな者が出払っていて待たされてる、という可能性もあるけど」
「一緒に行けば良かったな……」
 カップの中のチョコレート色の液体に視線を落として、シリスは少し心配そうにつぶやいた。
 その顔色を見て、マスターは少し驚く。
「へえ、シリスがリンファを心配するとは。何か、気がかりなことでもあるのかい? ああ、例の事件?」
 最近の事件を思い出して、彼は納得した。
 ここしばらく、毎晩のように女性が誘拐され行方不明になる事件が起きていた。獣が起こしていた連続殺人事件の次に、人々の口によくのぼるようになった事件だ。
「リンファが、誘拐なんてされるタマだと思うかい?」
 マスターが問いかけると、シリスは苦笑した。
「有り得ないな。リンファは、オレより強いからね」
「誰が、あなたより強いって?」
 突然の声に、シリスは、椅子から転げ落ちそうになる。
 リンファは時々、何の予兆もなく現われることがあった。詳しく聞いたことはないが、シリスは、これが魔術師の能力の一端なのだろうと理解している。

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