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2005年10月28日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#16

「それとも、人目につかない夜を選んだのは、見られてはまずいことがあるから?」
「王国兵の精鋭たちの戦い、だものね。何か、魔物たちを一掃する戦い方の秘密でもあるのかしら」
 余り興味がないような調子で言い、スプーンで雑炊を掬って口にする。濃過ぎず薄過ぎない塩気が、具の旨みを引き立てていた。
「相変わらず、いいお嫁さんになれそうね」
 彼女の感想に、吟遊詩人は苦笑した。炎で、その横顔が橙色に照らされる。
 雑炊を食べ終えると、シリスはデザートにしようと、セルフォンで買っておいた卵状の果実、ママルを取り出しかけ、ふと、思い出す。
「そうだ。これを試してみよう」
 彼が肩掛けカバンから出したのは、ダグルの缶詰だった。珍味だと言って勧める、セルフォンの露店商から買ったものである。
「北方大陸の上流階級の味、だったかしら?」
「オカラシアのラフディウムで作られているそうだな。まあ、北のほうがこういう技術は進んでるから、当たることはないだろう」
 自分に言い聞かせるかのように言って、シリスはナイフについている缶切で缶詰の上部を切り取る。
 なかには、赤みがかった豆が、ぎっしりと詰まっていた。
「匂いはよさそうね」
「ああ、食べられそうだね」
 未知の食べ物なので、無意識のうちに、最大の警戒心をもって豆を注視する。
 右手だけグローブを外し、シリスは、豆を一粒、摘み上げた。茹でた豆は柔らかく、指の腹で簡単に押し潰せる。
「ほら、食べてみたら?」
「うう……リンファ、お先にどう?」
「こういうのは、所有者が一番先に手をつけるべきものよ。わたしは、遠慮させてもらうわ」
 恨みがましい目を向けるシリスに、リンファのほうは、面白がるような視線を向ける。
 一体どうなるか、見ものだわ――そう言いたげな美しい女魔術師が見守る中、シリスはじいっと豆を凝視した後、ゆっくりと口に放り込み、何度も噛みしめた。
 急に、その動きが止まる。わずかに表情を変えた顔が、赤く染まった。
「大丈夫?」
 少し心配になってきたリンファがきくと、吟遊詩人は跳び起き、小川に這いずるように駆けつけて口をすすぐ。
「まずかったの?」
 水でのどを湿らせてから、彼は首を振る。
「辛い……」
 シリスが戻ってきてへたりこむと、向かいにいたリンファが、そばに移動した。彼女は無造作に、平らな石の上に置かれた缶詰に指を伸ばし、ダグルを口に放り込む。
 驚いたように目を見開くシリスの前で、リンファは平然とそれを飲み下す。
「あら……おいしいじゃない。お酒に合いそうね。ワインの一本でも、持って来るんだったわ」
「リンファ……平気なの?」
「辛いのは、結構好きなの」
 茫然と見ている吟遊詩人に、美女は、笑顔を見せた。
「これ、譲ってくれる?」
 と、缶詰を持ち上げる彼女に、
「ええ、是非」
 彼女以外に周囲にいる唯一の人物は、こくんとうなずいた。
 とりあえず、缶詰を確保しておいて、彼女はさらにシリスに近づき、手を伸ばす。
「具合を確かめたかったのに、何だかわからなくなってしまったわね。まあ、辛いものを口にして、少しは体が温まったでしょう」
 長い髪を指ですかれ、頬に手を当てられ、シリスはようやく、リンファが宿の高い部屋に泊まりたがっていた理由を知る。
「もしかして……体調を心配して、野宿を嫌がってたのかい? オレのことなんていいのに……」
「良くない」
 キッパリ言って、魔女が彼を抱き寄せた。その一瞬のうちに、何か柔らかい感覚が周囲を包む。
 見下ろす目に映ったものに、シリスは驚いた。
 彼の肩に、丈の長い毛皮のマントがかけられていた。灰色の毛に覆われた表面は暖かく、手触りもいい。
 倹約家のリンファが荷物を増やそうとするのは、いつもなら考えられないほど珍しいことだった。
「そうね……おいしい夕食のお礼、ということにしておくわ。あなたにあげる」
「ほんとに? ありがとう」
 心地よい毛皮に頬ずりしながら、吟遊詩人は、無邪気に笑う。嬉しそうな顔を見て、思わず顔をほころばせていたリンファは、照れたように顔を逸らせる。
「セルフォンの市場の古着屋で、安く買ったの。これならいつものマントの上から着られるし、毛布代わりにもできるわ。使わないときは、背負い袋の代わりにでもしておけばいいから」
「中古ったって、それなりに高価だったろう。大事にするよ」
 気持ちよさそうにマントを抱き、屈託なく笑う彼の顔をまともに見れず、リンファは遺跡の方向に目を向けた。
 セルフォンの宿では、深夜も周囲に人の生活の気配を感じたが、ラウリの夜の郊外には、確かな気配は何もない。ただ、どこか奥に多くの生命が動いているのは感じ取れるが、涼しい水音のほかには、時折かすかに、葉の擦れるような音が耳に届く程度だった。
 夜闇に満ちた木々の間には、動くものは何もない――そう思えたものが、一瞬で変わる。
 フシュウウウゥゥゥ……
 空気が震えた。
 シリスの笑顔が凍りつく。何かの唸りのような音は、すぐに静寂に消え去り、幻聴にも思える。
 だが、お互いの顔を見合わせれば、それが気のせいではないのは明らかだった。
「狼か何かかな……」
 どこかで聞いた気がするのが心にひっかかるものの、シリスは、自分の望みも含めて、そうつぶやいた。
 しかし、彼にもわかっていた。闇の中から聞こえてきた声は、村の周囲に近寄るような獣のものではない。

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