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2005年10月21日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#10

 グナッデンの取引相手は偽名を使っており、結局、わからずじまいだった。警備隊はことの次第を王都セントメフィアの法務官に伝え、王立魔法科学研究所が獣を分析する手はずになっている。追って〈疾風の源〉亭では、獣の遺体を運ぶための護衛が募集され、そこそこの腕の傭兵たちが選ばれたようだった。
 残りの二体の獣はどこへ消えたのか。それを含め、警備隊の仕事は尽きない。
「ルルグがぼやいていたよ。最近は世の中が物騒過ぎる、家族と過ごす暇もありゃしないってね。どうも、また新たに連続誘拐事件なんかも発生しているようだし」
「冒険者には、ありがたい話かもしれないけどね」
 新たな事件は、また新たな冒険者の生活費の種になるに違いない。そう思いながら、リンファはカウンターの上で丸くなっている黒猫を撫でた。
 今は、朝食には遅く、昼食には早い時間帯だった。人気の高い〈疾風の源〉亭でも、この時間は空いている。
「それで、この子、どうするの?」
 のどを鳴らして喜ぶ猫を目で示し、スープを器に盛っているマスターに問う。
「張り紙でもして里親を捜そうかと思ってたんだけど、昨日一日で、ずいぶんここが気に入ったようで……いやねえ、普段は来ないような親子連れまで、また会いに来るって言うから……うちの看板猫にするのもいいかなと」
「マスターも、動物が好きなのね」
「そういうわけじゃ……ウェイトレスのシェサが、もう名前までつけちゃって、それで、さ」
 リンファの珍しい笑顔を向けられ、マスターは困ったように頬をかいた。
「名前、何にしたの?」
「フート、だってさ。エルカコムの古い部族のことばで、黒い天使、だと」
 自分が呼ばれたと思ったのか、黒猫が返事をするように、にゃあ、と鳴いた。
 すっかり馴染んだ様子にマスターは苦笑して、スープと柔らかい焼きたてのパンを載せた盆をカウンターに置く。
「しばらく、うちでゆっくりしていくといい。ときには、長期休暇も必要だからね」
「そうさせてもらうわ……彼が、長い間ひとつのところに留まろうとしてくれるならいいんだけどね」
 盆を受け取り、彼女は二階に向かった。〈疾風の源〉亭の宿泊用の部屋が空いたので、近くの宿から移って来たのだ。
 隅にある部屋に戻ると、目に馴染んだ姿が、端に備え付けられたベッドに横たわっていた。カーテンを引いた窓からの淡い光で、ベッドの上に長い髪を流した、いつもに増して女性的な横顔が照らされている。
 眠ってはいなかったのか、彼は入ってきた気配で目を開く。
「マスターがせっかく作ってくれたなら、残せないね」
 盆の上で湯気を立てている料理を見て、彼は苦笑交じりに言う。
「無理はしなくていいの。食べられるなら、それが一番だけど」
 白い長袖の襟付きシャツ姿のシリスは、乱れた髪を撫で付けながら、上体を起こす。昨夜は青ざめていた頬には赤みが差し、むしろ、普段より色づいていた。
 ベッドの横の机に盆を置き、引き寄せた木椅子に腰を下ろすと、リンファは熱を計るように、相手の額に手を当てた。
「だいぶ下がったみたいだけど……ちゃんと、すっかり治るまでは休んでいなくては駄目よ。風邪は万病のもと、って言うんだから」
 シリスは、わずかに上気した顔に、嬉しそうなほほ笑みを浮かべた。
「わかってるよ」
「口で言うのは簡単なんだけどね」
 数々の無茶を覚えている美女は、形のいい眉をひそめ、スプーンで野菜と魚肉の団子入りのスープをすくう。
「ほら、口を開けて」
 おいしそうな香りを漂わせるスプーンの先を押し付けられて、シリスの目が点になる。
「食べないの?」
「いや、食べますけど……あの、な……何でもないです」
 観念したのか、シリスは口を開き、スープがなくなるまで、リンファに食べさせられる。食欲がなかったのも、ついでにスープの味も、頭の中からどこかへ飛んで行った。彼の頬が熱だけではない理由で赤く染まっていることに、リンファは気づかない。
「あなたの具合が悪かったとはいえ、あれだけ苦戦した獣があと二体も野放しになってるなんてね。何だか、余りすっきりした解決にはならなかったわね」
 空になった食器を盆に戻し、不意に、リンファは昨夜のぎりぎりの戦いを思い出したように言う。
「うん……一体誰が、カナルに獣を生み出すのを依頼したんだろう」
 ベッドに入って毛布を被り、すねたようにパンをかじっていたシリスが、魔女の疑問に応じた。
「そんな物騒なものを作ったんだもの。カナルにも、それなりの動機があったのでしょうね。彼自身、利用するつもりだったのかもしれない」
「そうかな……」
 言いかけるシリスに、あの猫のことを考えれば、気持ちはわかるけど――と、リンファは口を開きかけ、やめる。今は余り、落ち込ませるようなことは言いたくなかった。
 しかし、彼女の予想に反し、シリスは確信を持っているようだった。
「獣は、カナルのところに戻って来るって、グナッデンが言っていたじゃないか。きっと、獣にとってのカナルは、信頼できる人だったんだよ。そうでなければ、戻ってくる習性なんて、顧客にとって邪魔にしかならないはずだよ」
 少し速い呼吸を繰り返し、整えて、彼は続ける。
「彼らにも、本当は人間と同じだけの知能や感情が、持てたかも知れないのに……普通の人間として暮らせたかもしれない」
「カナルは、誰かに脅されていたのかもしれないわね。だから、獣にそこまでの知能を与えるわけにはいかなかったのでしょう」
 カナルやグナッデンの取引相手の姿をくらます手腕を考えれば、獣を欲した者たちは、かなりの力を持っているのだろう。権力、金、戦力、経験――あるいは、それらすべてを備えた存在か。
「物騒な目的を持った人間が、そもそもの元凶ね」
「何か、大きな事件につながらなければいいな」
 毛布を掛けなおしてやりながら、リンファはうなずく。
「それにしても、他の二体も、逃げ出したらセルフォンに戻ろうとするのかしら。今回のように街中で出会うと厄介だと思うの。せめて郊外で会えば、一気に片付けられるんだけど」
「リンファ……ルルグさんの剣が獣に効いて良かったよ」
 熱のせいで少し潤んだ目で、病人は美しい顔を見上げた。
「もしリンファが大技を使っていたら、きっとスラムの大半は吹き飛んで痛っ!」
「そうならなくてよかったわね」
 否定もせず平然と言ってのけながら、魔女は、頬をつねられ大げさに悲鳴を上げるシリスの額に、濡れたタオルをのせてやった。


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