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2005年10月19日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#08

「全身武器みたいだな」
 傭兵の一人が舌打ちして、大剣を手に獣へ肉薄する。それに、警備隊員二人も続いた。
 しかし、その足を、何かに絡め取られる。
 倒れ込む彼らの身に何が起こったのか。一歩前に出るなり、リンファは身を持ってそれを知る。
 獣の、かざした左手。その指先から、極細の糸が伸び、足首にからみついていた。
「リンファ!」
 シリスが慌てて、槍を振り上げる。先端についた女神像の翼が刃になっており、封魔槍デウスの名をとるその槍は、切り裂くこともできるように作られていた。
 シリスが糸を切るとほぼ同時に、シューッと音をたて、無数の蜘蛛の糸のようなものが獣の手から発射された。足を取られていた傭兵たちと警備隊員二人は、さらに縛り上げられる。
「動くな、じっとしてろ」
 ルルグとエリーナに治療された警備隊員が、繭のように重ねられた糸から仲間を助け出そうと駆けつけた。
 その間に、白い糸を指先から離し、獣が動きを開始する。
 身動きが取れるのは、シリスとリンファ、それにエリーナだけだ。
 獣は、動けない相手に向かおうとしていたところを、立ち塞がる相手に、あっさり標的を移す。
 効率や安全性ではない。戦闘意欲。血を求める本能。それが、獣の行動の最上位にあるらしい。
 そして、その肉体の限界まで改造された筋肉は、獣の欲望に忠実な瞬発力と破壊力を生み出す。
「くっ……!」
 五歩の距離が、一瞬で詰められた。ほとんど勘で身を引いたシリスの左肩を、長い牙がかすめ、丈夫な旅用の服を軽く裂き、浅く肌をえぐる。
 その脇を過ぎた獣は前転して、標的に向き直る。
 間合いを取り過ぎると、攻撃が当たらない。しかし、今の間合いでは、相手の速さにはついていけない。
 肩の痛みを意識の外に追い出し、槍をかまえ、シリスは感覚を研ぎ澄ます。向かってくるのはわかっているのだから、接触する瞬間に突きを見舞うしかない。
 音もなく、赤い獣の足が動いた。
「〈ボムフィスト〉!」
 敵の姿は見えない。リンファはただ、シリスの前に衝撃波を放つ。
 足止めの一撃は、その役目を果たした。獣の身体が横に倒れかけ、わずかな間、動きが止まる。
 そこへ、いつでも打ち込める体勢でいたシリスが、隙を逃さず、槍の鋭い穂先を突き出した。
 鱗の間に、刃が食い込む。確かな手応えが伝わる。
 仲間の手でやっと糸から解放された傭兵や警備隊員たちが、期待の目で見上げた。これで、この命を削る戦いにも、終幕が降ろされるかもしれないと。
 しかし、彼らの目に映ったのは、青白い火花を散らす槍から、のけぞりながら慌てて跳び退くシリスの姿だった。
 槍は、確かに獣の腹に突き立っていた。だが、致命傷にならない、浅い傷である。
 いつもの体調なら、今ので仕留めていたはずだ。
 周囲の者よりショックを受けながら、シリスは後ずさった。獣が槍を腹から抜いて放り投げ、追いすがるのを、リンファが魔法で妨害する。
 獣は足を止め、腕を振り上げた。
「次は何を出すつもりだ?」
 糸から解放された傭兵が、大剣を両手で握りしめながら、警戒の目を向ける。
 獣は、左右の腕から突き出ていた刃を力任せに引いた。わずかに血を滴らせて、刃を十字に組み合わせたものが抜き出される。それを、獣は器用に、同時に投げ放った。
 闇のなかを舞う刃に、血しぶきと悲鳴が上がる。小さな銀光の奇襲を受けて、警備隊員二人が倒れる。
 駆けつけたエリーナが顔をしかめながら呪文を唱え始めた。彼女の表情を目にした者は、毒が塗られていたらしいと気づく。
「〈ボムフィスト〉!」
 リンファが何度も刃を弾くが、それは即座に必ず獣の腕に戻り、獣が投げ放つと、また新たな悲鳴が上がる。
 槍を拾い上げたシリスは、地面に撃ち落された十字の刃に糸が伸び、獣の元に引き戻されるのを見た。腕力だけではなく、糸を使い、自在に操っているのだ。
 傭兵たちが傷を追いながらも獣に駆け寄る後ろで、シリスは糸を切った。リンファが弾き飛ばしては獣が糸を絡ませるのを、そのたびに断ち切る。
 オオオォォ……!
 イラついたように、獣が吼えた。そして、傭兵の脇をかすめるように跳ぶ。
「がっ!」
 爪が、革の鎧ごと、傭兵の脇腹を切り裂く。
 その隙に、もう一人の傭兵が横薙ぎの一撃を振るう。だが、獣の毛むくじゃらの皮膚は、想像以上に硬いのか。それとも、毛に刃が滑って力が入らなかったのか。
 それは、浅く表面を傷つけただけに終わる。
 獣の瞬発力は凄まじい。すぐに反撃が来る。
「〈ヘイルストーム〉!」
 リンファが、無数の氷のつぶてを獣に投げつけた。獣が視界を失う間に、傭兵は第二撃を叩き込む。
 感触で、傭兵は目を見開く。
 その剣を、獣の手が軽く受け止めていた。長年剣を手に戦場を渡り歩いてきた、飾り物ではない筋肉を身につけたベテラン剣士の剣が。
 踏み込みも、力の入れ方も斬り込み方も、完璧な一撃だったはずだ。
 十字の刃を打ち出しながら、獣は剣ごと、驚きで少しの間動きの止まった傭兵を地面に叩きつける。何かが折れるような、鈍い音がした。
「大技が必要かもしれないわね」
 壁となる剣士たちの大部分が倒れ、獣の脅威が目の前に迫る中でも、リンファの声は平然としていた。
「少し離れたところにいるから、合図をしたら逃げて」
「わかりました」
 負傷者たちと、それを治療するエリーナをかばうように前に出たルルグが、余計なことは聞かず、簡潔に応じる。
 リンファは、獣から間をとろうとした。もともと離れた場所にいた彼女にとっては、容易なこと――の、はずだった。

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