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2005年10月18日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#07

 おびき出す場に選ばれたのは、通路を封鎖する必要もない、血の匂いを充満させても苦情の来ない、スラムだった。創造主であるカナルを探しているというなら、やはりスラムに潜んでいる可能性が高いだろう、というのがリンファの見立てだった。
 グナッデンを捕らえてから陽が落ちるまでの間に、警備隊の詰め所で、一行は獣についての詳細を聞き出している。
 獣は、鋭い爪と牙、爛々と赤く輝く目を持っていること。その筋力は、人間はもちろん、普通の獣も及ばぬほど強力であること。姿を消すことはできるが、影までは消せないこと。そして――その姿は、人間を基礎にしていること。
「脳は人間のものだし、知能もそれなりに高いかもしれないわね」
 瓦礫を利用して作った洞穴のような空間に身を寄せて、リンファは夜闇に目を凝らしていた。
 彼女のそばには、毛布を膝にかけたシリスと、警備隊からの応援要請で作戦に参加することになった、愛の女神ミュレーアの神官、エリーナが待機している。
 エリーナは二〇代後半の、ゆるくウェーブがかかったブロンドを持つ、落ち着いた雰囲気をまとった女性だった。カルヴェラ革命時に負傷者の救済に当たった神官たちのうちの一人で、当時カルヴェラを訪れていたシリスとリンファとも面識があった。
「あれからずいぶん経つのに、お二人は本当にお変わりになりませんね。綺麗なままですわ」
 ミュレーアの赤い紋章が縫い付けられた白い法衣と帽子姿で、彼女は柔らかいほほ笑みを浮かべた。
「あなたも、充分若々しいままよ。でも、昔に比べると、神官としての落ち着きや風格もあるわ」
「ふふ、ありがとうございます」
 リンファは、お世辞は言わない。そのことを知っているエリーナは、嬉しそうにほほ笑んだ。
 静かな、冷ややかな夜だった。周囲には警備隊の隊員たちが潜んでいるはずだが、上手く気配を消しているらしい。空には星々が瞬き、破壊と革新の力を司る緋の月が、満月に近い形で浮かび上がる。魔法により導かれるその力も、やはり力の源となる月が満月に近いほど強力になる。
 風向きのせいか、血生臭い匂いも届かない。澄んだ空気が辺りを支配し、それはどんな小さな異変も伝えてくれそうだった。
「今までの出没時間だと、人々のほとんどが眠った頃が多いわね。でも、外を歩く者が完全には途絶えない、そんな時間」
 リンファが今までの犠牲者についてまとめたメモを見ながら、退屈な時間を埋めるように、自らの考えを口にした。
「求めるものがすぐそこにあるから、今夜はいつもと勝手が違うかもしれないけど」
 夜が深まるにつれ、気温もどんどん下がっていく。かすかに震える声を上げ、シリスは毛布を抱いた。
「また、コートを着てきたほうが良かったんじゃない?」
「ああ……」
 猫の毛だらけになったコートを宿に置いて来た吟遊詩人は、相棒のことばに答えようと口を開きかけ、急に立ち上がった。
 何か、黒く冷たいものが心の底に湧き上ってくるような、奇妙な感覚。今までも覚えのある、異変が起きる前兆。その嫌な予感に、何度助けられたことか。
 付き合いの長いリンファは、すぐにシリスが感じたものを察し、レイピアの柄に手をやった。
 途端に、悲鳴にも似た、甲高い音が夜の静寂を切り裂く。周囲に潜む警備隊員たちの、警笛の音だ。
「来ましたか……!」
 杖を手に、エリーナも立ち上がる。すでに、シリスとリンファは闇の中へと駆け出していた。
 警備隊たちと三人は、十字路に置かれた囮を取り囲むような位置に陣取った。周囲から囮の上に向けて、いくつもの魔法の光が飛ばされる。警備隊にも、下位魔法なら使えるものが何人かいるらしい。
 シリスとリンファ、エリーナ、警備隊員が四人と、今回のために雇われたらしい、傭兵らしき剣士が二人。慎重にそれぞれの武器を手にして、食い散らかされた動物の内臓を囲んでいた。
 鼻をつく血の匂いに顔をしかめながら、リンファは抜き放ったレイピアをかまえ、シリスも背負っていた槍を右手に握る。
 地面を照らす明りの中に、影が揺れた。丸まったようなその形は、腰を落とした人間のものだと、今は知れている。
 影は、周囲に現われた気配に気づくと、むさぼっていた臓物を放り捨てた。そして、小さく身体を揺らす。
 不思議がっているのか。怯え、警戒しているのか。
 否、そのどれでもないことを、一同は間もなく思い知る。
「あああ!」
 叫びがスラムに響いた。警備隊員の一人が、左腕から血を噴き出し、カンテラを落とす。
 そばにいた警備隊員が、何もないかに見える空間に剣を突き出した。
 ひゅおおぉぉぉぉぉ……
 人とも獣のものともつかない咆哮が、冷たい空気を震わせる。赤い血が、石畳の上に線を引いた。
「怯むな、行け!」
 負傷者を治癒の魔法の使い手であるエリーナに任せ、ルルグが号令をかける。剣を手に警備隊員と傭兵たちが駆け寄り、シリスとリンファは呪文を唱えた。
 相手は、多くの魔物たちの能力を付け加えられた、合成獣だ。油断はできない。
 そう、肝に銘じる二人の前で、剣を手にした五人は、逃げ道を作らないよう、上手く相手を追い詰めていく。
「いいぞ、一旦下がれ!」
 ルルグが指示して場所を開けさせると、彼は、拳大の玉を投げつけた。中には色粉を溶かした水が詰められており、赤い水が獣の姿を浮き上がらせた。まるで、すでに血まみれになったような凄惨な姿。
 太い腕と脚は長い体毛が生え、肌は硬い鱗状の鎧に包まれた、戦獣。髪は無造作に伸ばされ、鋭い目は殺意にきらめき、口からは長い牙が伸びている。
 獣は舌なめずりすると、巨体を縮め、跳んだ。
 怯んだ警備隊員の一人が慌ててかわそうとするが、間に合わない。重い身体は予想以上の速さで落下した。
「〈ボムフィスト〉!」
 唱えていた呪文を中断し、シリスが押し潰されかけている警備隊員を助けた。衝撃波をぶつけられた獣はわずかに身体の軸を傾け、宙で身を回転させてバランスを取り戻し、少し離れた所に着地する。
「〈フレアブラスト〉」
 リンファが、指先から高熱の赤い光線を放つ。
 獣は、軽く腕を振った。太い腕を覆う籠手のような鱗の隙間から、鋭い刃が突き出る。鏡のように滑らかな刀身が光線を跳ね返し、背後の地面に爆発を起こす。
 魔法を防がれたことは、何度もある。それでも、この予想外の防ぎ方に、魔術師はわずかに表情を変えた。

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