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2005年10月15日 (土)

セルフォンの赤い悪夢#05

 なかは、家の広さの数倍はある様子だった。明りに照らされている辺りには本の切れ端やメモらしきものが散乱しているが、壁際に並ぶ本棚は空になっている。
 とりあえず、敵意や殺気は感じない。半分闇に溶け込んだベッドにも、その周囲にも、人の気配はなかった。
「様子はどう?」
 出入口から、リンファがのぞき込む。正方形の青空を背景にしたその姿を、眩しそうに見上げながら、茶色のコートを着込んだ吟遊詩人はうなずいた。
「もぬけのカラだよ……でも、その辺の書類に何か書いてあるかもしれない。これは、古代文字のようだね」
「それじゃあ、わたしの力が必要ね」
 魔女は、ふっと、嬉しそうにほほ笑んだ。他人には、滅多に見せることのない笑み。
 その笑顔もほんのわずかな間に消え、ふわり、と地下室の床に降り立つ。
「実験道具も全部持ち出されている……ということは、革命を逃げ延びたのかしら」
「その辺の暗いところで干からびてないといいけど」
「じゃあ、捜してみる? ……冗談よ、それなら、誰が実験道具や本を持ち出したのか、ということになるもの。それなりの魔術師が時間をかければできそうだけど、カナルに魔術師の知り合いはいないようだし」
 すべての私有物を持ち出すような面倒なことを、本人以外がするかしら、と、彼女はつけ加える。
「ここに散らばってる物も、本人にとっても余り意味の無いような物ばかり……」
 床に落ちている紙切れをかき集め、目を通しては後ろに放り、第二の山を築いていく。
「ゼッカロダケ四本……今日の天気は晴れ、明日は雨と予想する……ビーフシチューの作り方……固い肉は、アカニ草と一緒に煮ればよい……」
「料理好きな人だったのかな」
 となりで膝を抱えてうずくまるシリスが、ぽつりと感想を口にした。
「肉は、実験の残りかもしれないわ。人間のものだったりして」
「怖いこと言わないでよ……」
 いつも聞かないような弱気なつぶやきを耳にして、リンファはシリスの顔色をのぞこうとした。
 彼女がそっと身をのり出した、静寂の支配するはずの数秒の間に、
 ガサッ。
 と、衣擦れの音が鳴る。
「誰?」
 声をかけながら、シリスが跳ね起きる。右手の、先端に小さな女神像が刻まれた槍の穂先は、ベッドのほうに向けられていた。
 もちろん風はないというのに、端から垂れ下がったベッドのシーツが揺れる。
 リンファが、光球をベッドのそばに飛ばした。周囲の闇が、取り払われる。しかし、不意にめくれ上がったシーツの下から現われたのは、闇色のもの。
 リンファは肩をすくめ、シリスは目を見開いてほほ笑んだ。
 黒い毛の塊が、みゃあ、と一声鳴いて、足もとに擦り寄ってくる。
「良く、今まで生きてたわね……あった、長持ちキャットフード」
 丸められていたメモの一つを広げ、リンファは納得し、同時に呆れた。
「おいで。寂しかったかい?」
 シリスは顔をほころばせると、擦り寄ってきた猫を抱え上げた。黒猫は大人しく、その腕の中で丸くなる。
 暖かな毛に頬を寄せ、彼は、少しいたずらっぽくほほ笑む。
「ねえ、リンファ……きっと、ここの錬金術師はいい人だよ」
「動物が好きだから?」
「猫のために、新しい食べ物を作ってあげる人だよ。カナルさんは、動物に対する新しい食文化を研究していたに違いない」
「そう、文献で読んだの?」
 天井に視線を泳がせながら、根拠のない結論を出す吟遊詩人に、美女は冷めたような、おもしろがるような、奇妙な目を向ける。
「この子は、使い魔、というやつかな?」
「魔力は感じないけど、使い魔にしようと育てていたのかもしれないわね……ほら、借り物のコートに毛がつくわよ」
 苦笑して、黒猫から馴染み深い横顔に視線を移動すると、リンファはその視界に、白い紙切れを捉える。どうやら、本棚の影になっていたものが猫にひっかけられ、通路に出てきたらしい。
 どうせ紙屑が増えるだけだろうと思いながら、彼女はそれを拾い上げた。
 途端に、その目が細められる。
「何か書いてたのかい?」
 まるで今までずっとそこを寝床にしていたかのように、のどを鳴らしてくつろぐ猫の頭をなでながら、シリスは眉をひそめ、相棒の手元をのぞく。
「パーレル・グナッデン、午後二時……これだけね。でも……」
「セルフォンにいると楽なんだけどね」
 やっと手がかりを手にした二人のことばに、ふにゃ、と猫が声を上げた。

 スラムを出て猫を〈疾風の源〉亭のマスターに預けた二人は、昼食も取らず、警備隊の詰め所に駆け込んだ。
 ベテラン警備隊員の一人が、グナッデンの名を知っていた。詐欺の前科があるという男が住む東区に、シリスとリンファに、ベテラン警備隊員三人が加わり、二人が来たときと同じく、慌しく出発していく。
 夜になれば、また、犠牲者が出る。それまでに、事件を解決してしまいたかった。
「この先です」
 建物の角で、先導していた隊員が声をかける。ルルグという名の、〈疾風の源〉亭のマスターの旧友の一人だった。
「詰め所に来る間に前を通りますが、少なくとも、今朝は家にいたはずです。表と裏に別れて捕らえましょう」
「では、わたしたちが裏に回りましょう」
 丁寧な物腰の警備隊員に応じて、リンファがシリスとともに、東通から一本前の小路に入る。
 シリスは、コートを宿の部屋に置き、マントを着けていた。陽は頂点まで高く昇り、多くの人々には暑いほど気温が高く、今の彼にとっても快適だった。
 警備隊の動きに遅れないよう、彼らは早足でグナッデンの家の裏に向かう。
 小路に、他に通行人の姿はない。周囲は静かで、背の高い建物が多いせいか、少し薄暗い雰囲気を漂わせていた。
「あそこか」
 並びの中でも小さな、木造の家がパーレル・グナッデンの家らしかった。裏口のドアが、軽く開いている。
 開いている……?
 一瞬、二人はそれが意味するものに気づかなかった。奥に誰がいる気配もなく、半開きになったドア。足音につられて目をやると、後ろを気にしながら走る、布を頭に巻きつけた男。
 そこまで見て、初めて二人は駆け出した。
「グナッデンはこっちよ! 急いで!」
 表側にいるはずの警備隊に声を張り上げながら、レイピアを抜き、呪文を唱え始める。普通に追いついて捕まえるためには、気づくのが遅過ぎた。
 距離が開いているので、魔法で何とかしなければならない。だが、走りながら精神を集中して魔法を使うまでには、シリスは快復していない。重い身体をひきずりつつ、彼は無力感で唇をかむ。
 となりで、魔術師が射程の長い下位攻撃魔法を放つ。
「〈エアボミング〉」
 爆風が、グナッデンの背中に押し寄せた。足を取られ、男は転倒する。立ち上がろうとする男の前に、先回りした警備隊員たちが姿を現わした。
「パーレル・グナッデン、観念しろ!」
「お前が錬金術師カナルに関係しているのは調べがついている。神妙にしろ」
 パンジーヒア王国の紋章が刻まれた剣を手に、三人の警備隊たちが声を上げる。
 後ろには、追いついたシリスとリンファ。男は慌てた様子で、前と後ろの顔ぶれを何度か見比べ――
 やはり、体格のいい警備隊員たちより、美しくも華奢な二人組みを選んだようだった。

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