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2005年10月14日 (金)

セルフォンの赤い悪夢#04

 翌朝、夜のうちに雨雲はどこかへ吹き散らされたのか、空は異変など何事も無かったかのように晴れ渡った。ただ、地上に点々と残る痕跡が、その小さな水面に青空を切り取っている。
 雨も夜も去り、セルフォンの大部分は活気ある貿易都市の姿を取り戻している。市内にいながら、あえてその活気から離れようという者は、数少ないに違いない。
 その数少ない者のなかにシリスとリンファが加わったのは、間もなく昼食時になろうかという時間帯だった。
「大丈夫?」
 少し頼りない足取りのシリスを振り向き、美女は声をかけた。
 吟遊詩人は、〈疾風の源〉亭のマスターに借りた、少し大きめの毛皮のコートをまとっていた。いつも身に着けている、丈夫な繊維で織られたマントがないのを本人は不安に思うが、今は彼にとって、刃や攻撃魔法より、寒さを防ぐほうが重要なのだ。
 昨夜より幾分顔色も良くなっていたものの、身体がだるいのか、その動きは鈍い。
「ああ、何とか……今日が、暖かい日で助かったよ。できるだけ気温が高いうちに、解決できるといいな」
 リンファの横に立つと、彼はルビーのような瞳を、周囲に向ける。
 焼け焦げ、朽ち果てた家々に、ひび割れた石畳。ところどころ、何か黒いものがこびりつき、かすかに残る嫌な臭いを放つ。
 何度か清掃も行われ、どのようにこのスラム街跡地を使うかという案も色々と出されている。しかし結局、未だ放置されたままだ。
 普段、立ち入り禁止になっているが、時折、そばを通りかかった者が奇妙な明りを見た、足の無い女を見たと言って噂になる。セルフォンの人々と旧スラム街の関わりは、大体その程度のものだった。
「スラム街の、北の端……だったね」
 街を囲む城壁に突き当たり、二人は壁沿いに北へと歩き出す。
 シリスが覚えていた錬金術師について、警備隊が市の記録を調べたところ、スラム街に住んでいたカナルという名の男が浮上した。男はスラム街の端に小さな家を持っていたが、革命のときに焼け出され、行方不明だという。
「何か、手がかりでも残っているといいけど」
 望みは薄いだろうと思いながら、シリスは歩いた。在りし日のスラムの姿を、頭に浮かべて。
 古い木の板を組み合わせただけの家や、藁を敷いた上に身を寄せ合う一家、布をつなげて屋根にした家の下から目を覗かせる幼い兄弟たち。
 出自を隠し、今もセルフォンで暮らす元住民はいる。だが、大部分のスラムの人々は、カルヴェラ王の命で放たれた火により、生きながら焼け死んでいった。
「嫌なことを考えているでしょう?」
「えっ」
 リンファのことばが、シリスを追憶から引き戻す。美女は歩調を合わせて歩きながら、横から青年の顔をのぞき込んでいた。
「病は気から……なんて信じてないけど、余計に疲れるのは確かだと思うの。悪い思い出なんて、早く忘れてしまいなさい」
 少し年上ぶって注意する相手に、シリスはできるだけいつもと同じものになるよう努力しながら、柔らかいほほ笑みを浮かべて見せた。
「ありがとう。前向きに考えないと、解決するものもしなくなるものね」
「でも、前向きと無理も別物だから、それも忘れないで」
 注文をつけながら、しなやかな手がレイピアの柄を確かめる。彼女が目をやる先には、黒く煤けた、木造の小さな家の残骸が散乱していた。
 それは、他の家々とは少し離れた所に、ぽつんと立っていた様子だった。木造で粗末な家とはいえ、周囲のものと比べると、かなり立派な、家らしい家の造りになる。
 リンファは残骸の中に魔力を感じないことを確かめてから、進んで玄関のあった辺りに踏み込んだ。その気遣いに気づきながら、シリスも続く。
「本の一冊も残っていれば儲けものだと思っていたけど、さすがにそれはなさそうね。何もかも燃えてしまったのかしら」
 鞘に入ったままのレイピアを手に、それを隙間に挿し込み、炭化した木の端が積もった奥を探る。黒い粉がそれを待っていたかのように噴き出し、周囲を舞った。
 とっさに息を止め、うっとうしげに扇いで埃を散らす。後ろで咳き込むシリスを気にしながら、木炭の下からレイピアの先を引き出そうとして、リンファは、その先端が何かに引っかかるのを感じた。
「何かしら……?」
 横に滑らせ、感触を確かめる。何かの、溝のようだった。
 異状を察して、シリスが埃を呼び起こさぬようゆっくりと、彼女の横に移動してくる。
「調べてみる価値はありそうだね」
 顔を見合わせてうなずくと、二人は一度、慎重に敷地内から出た。目的さえ決まれば、いちいち手作業で掘り出す必要はない。
 シリスがいつもより苦心して精神を集中し、呪文の助けを借りて、緋の月の力を導く。
「〈ワールウィンド〉」
 力を抑えた小さなつむじ風が、木炭の山と黒い土埃を巻き上げた。それは家から少し離れたところで消え、巻き込んでいたものを地面に落とす。
 黒一色に埋もれていた床が綺麗に掃除され、木目の見える床板が現われた。長方形の板を並べたその床の真ん中に、灰色の、滑らかな石を切り抜いて造ったらしい、四角い蓋がのぞいている。
 地上に見える家の痕跡からは、広さも設備も、とても研究所の用に足るとは思えなかった。しかし、地下室があるというなら、納得できる。錬金術師が地下室に研究所を持っているというのは、考えてみれば、よく聞く話だ。
 リンファがそう考えをめぐらす間に、シリスが蓋に手をやり、引き開けようと力を込めていた。しかし、蓋はびくともしない。
「隙間に炭や埃が溜まって、動きそうもないな。熱で溶けてはいないようだけど」
「手段を選ぶ場合じゃないわ」
 リンファが、シリスの手を引いた。魔法の扱いに長けた高位魔術師は、下位攻撃魔法を、呪文なしで放つこともできる。
「〈ボムフィスト〉」
 身を引いたシリスの前に一瞬魔力の塊が凝り固まると、それは衝撃波となって、石の蓋をえぐった。蓋は半分ほどが粉と化し、残った部分も、幾筋もの亀裂をはしらせる。
 暗い下が見える穴から手を入れて持ち上げると、蓋は簡単に床にめくれ上がった。
「妙な匂いもないし、大丈夫そうね。油断は禁物だけど」
 リンファはレイピアを抜くと、カンテラ代わりの魔法の光球を左手の手のひらの上に生み出し、その動きを操って地下室に投げ込んだ。意外に綺麗な、石の床が照らし出される。
「大丈夫。様子を見てくるから、リンファはここで待ってて。何かあったら、援護を頼むよ」
 先に降りようとしていた女魔術師を制し、シリスは槍を手に、地下室に飛び降りた。

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