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2005年10月13日 (木)

セルフォンの赤い悪夢#03

 北方大陸製の柱時計が午後九時を示す頃、ようやく、シリスとリンファは警備隊の詰め所から〈疾風の源〉亭に戻って来た。
 店内は旅人だけでなく、仕事の後に仲間との友好を深めようという常連客もあり、盛り上がってきている時間帯だ。そんな中で、二人の旅人はいつものカウンター近くではなく、隅のテーブルの席に腰を下ろす。
 夜だけ雇われているウェイトレスが注文を取りに来ると、リンファがシリスの分も含め、適当に軽食を頼んだ。
「明日からが、調査の本番ね。これ以上死傷者を出さないためには、明日の昼間のうちが勝負よ」
 ウェイトレスが離れると、リンファはそっとシリスの暗い表情を覗いた。
 蒼白い顔をした青年は、視線を下に向けている。
「相手が血を欲しがってるなら、人数の多いところを襲うのは当たり前なのに……どうして、警備隊とかち合わないように巡回してしまったんだろう」
「血を求めてるかどうかなんて、わからないもの。予想できなかったことよ」
 白い手が、シリスの青ざめた頬に伸びた。その手に冷たさを感じ、絶世の美女は、その類まれな顔をしかめてみせる。
「温かいものを食べたら、早く宿に帰って休みましょう」
 どうして今日に限って上が満室なのかしら、と、無関係な他の客たちまで憎らしく思いながら、彼女は見回した。束の間、忙しさから解放されたらしいマスターの、何か言いたげな目と目が合う。
「ちょっと行って来る」
 依頼主でもあるのだから、報告くらいはしておくべきだろう。面倒に思いながら、彼女は向かいの姿に心配そうな一瞥を残して、カウンターに歩み寄った。
 その姿に見とれる酔っ払いたちも、何やらささやき交わす新顔たちも、彼女にとっては、いつも以上に意識の外にある。
「ずいぶん具合が悪いようだね。怪我でもしたかい?」
「いいえ。風邪をひいたみたい」
「じゃあ、すぐに温かいココアを入れよう。これはわたしからのサービスだよ」
 リンファは、礼を言った。しかし、普段から余り表情の変化がないその面が、少しも良い感情を示すほうには動かない。
「今日、警備隊に殉職者が出たの」
 唐突に切り出すと、警備隊に知り合いが多いマスターも、さすがに陽気な笑顔を凍りつかせる。
「確か……死んだのは、デルソン、という名前の隊員よ。もう一人怪我人が出たけど、シリスが治したの。何とか捕まえられれば良かったんだけど、あの場であれ以上戦うと、さらに犠牲者が増えたでしょうね」
「デルソンは、聞いたことがないな……しかし、ということは、きみたちは敵の姿を見たのかい?」
 温もりを感じさせる木のカップにココアを注ぎながら、マスターは目を丸くした。
「見たと言えば、見たのでしょうけど……結局それが何なのかは、わからなかった。でも、いくつかに可能性は狭められたはず……ひとつは、影に潜む系統の魔物。もうひとつは、姿を透明にする魔物。同じような能力を持つ人間。その両方を魔法として使える魔物や魔術師」
 その、リンファの説明で、元冒険者のマスターは、彼女が見たものが何となく想像できた様子だった。
「実体は見られなかった……もしくは、実体のない相手か。場合によっては、神官連中の手を借りることになるかも知れないね」
 神に仕える神官戦士といえば、再生と保護を司る蒼の月の力を導くような治癒や防御の魔法を得意とする者が多いが、実体の無い相手――特に幽霊や悪魔と呼ばれる類のものを浄化するのにも長けている。
 しかしリンファには、今回の相手が霊や精神生命体とは思えなかった。血を求める、鋭い爪を持つものには、肉体的な本能があるに違いないと思えたのだ。
「詳しいことは、明日調べれば足りることね」
 今日はもう、難しいことは考えたくない。
 彼女はマスターからココア入りのカップを受け取って、テーブルに戻る。組んだ腕の上に伏せていたシリスが、気配を察して顔を上げる。
「思い出したことがあるんだ」
 カップを受け取って礼を言うと、彼は少し気を取り直した様子で、口を開いた。
「昔、何かの文献で、姿を消す魔物の研究をしている錬金術師の話を読んだことがある。この辺りに住んでいたはずだ。あれは、カルヴェラ王国時代だろうけど」
 王国時代、と言っても、そう遠い過去ではない。ほんの十数年前まで、セルフォンはカルヴェラという名の都市国家だった。形骸化した体制に嫌気がさしていた人々が立ち上がり、弾圧で焼かれた東地区のスラム街など、今もほとんどそのままにしてある。
 そういえば、あの影はどこに逃げていっただろう、と、女魔術師は考える。あの影が消えた先、それは、スラム街だったのではないだろうか?
 考えてみる必要がある。しかし、それは明日の話だ。
「可能性の一つではあるけど、頑張るのは、明日にして。今日はもう何も起こらないから」
「だといいけど」
 肩をすくめ、シリスはココアを一口飲む。温かい、ほんのり甘い液体は、身体の芯を温める。少しだけ顔色を取り戻し、彼は、冷えた両手で大事そうにカップを包んだ。
 リンファの、あまり根拠の無いことばの通り、夜はただ、雨足の弱まった天候とともに過ぎていった。この、暗いセルフォンの街並みのどこかに、毎夜血をすすった爪を持つ存在が隠れているのか。
 多くのセルフォンの人々は何も知らず、それでも油断はすることなく、眠りについていた。

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