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2005年10月12日 (水)

セルフォンの赤い悪夢#02

 夜にならないうちに、夜のような暗さが街並みを包む。一度宿に戻ったシリスは、予定より早く、再び外へ出た。
「リンファ、相手は、雨を嫌がると思うかい?」
 いつもの淡い空色のマントに、竪琴と槍、その上にレインコートという出で立ちで、彼は周囲を見回した。本来まだ夜とはいえない時間だが、昼間と打って変わって、道行く人の姿が少ない。
「どうかしら。暑さに弱く寒さに強いなら……あるいは、狩がしやすい環境が好きなら、歓迎すると思うの」
 シリスが宿の主人に言付けて外に出るのを、当然のように、リンファも追った。彼女は魔術師らしく、魔法で雨風を防いでいる。
「警備隊の巡回とかち合わない経路をとろう。上手く会えるといいけど」
 警備隊の巡回経路は、宿ですべて頭に叩き込んできていた。
 街灯の蒼白い明りがぼうっと並ぶ通りを、槍を手に、シリスはリンファと並んで歩き出す。リンファは武器を手にしていないが、肩にかけた銀の鎖から、突き刺し用の細身の剣、レイピアが吊るされていた。
 ザーッという雨が叩きつける音が、足音もかき消す。視界も確かではなく、充分注意を払いながら、二人は中心街に歩を進めた。
「こりゃ、警備隊も大変だな」
 リンファは温かい空気の膜で身を包んでいるが、レインコート越しに冷たい雨に晒されているシリスは、時折寒そうに、革のグローブで包んだ手をさすった。
「もっと厚着してくるんだったわね」
「温かい地方だからって、油断したかな」
 美しい相棒のことばに苦笑を返して、シリスは深い水溜りをよけ、歩き続けた。そのかたわらで、美女は黒々とした空を軽く見上げる。
「今までの事件も、街中のほうが多いわ。いくら夜でも、郊外から進入したのでは、少しくらい誰かに存在を嗅ぎ取られるはず」
 声が消されぬよう、リンファはシリスに寄り添うようにして声を上げた。
「それじゃあ、地元の者が関わってる可能性が高いな」
「警備兵の目を騙して、ずっと温和な一市民として暮らしてきた誰かか、それとも……」
 不意に、何かが聞こえた気がした。
 うなり声とも、恐怖の叫びともつかない、低い声。耳を澄ますと、それはもう一度、雨音の間隙を縫って二人の耳に届く。
「こっちだ」
 声の主の方向がわかったらしく、シリスはブーツで水しぶきを上げ、駆け出した。右手を軽くレイピアの柄に当てながら、リンファが続く。
 建物の角を曲がり、小路に入る。窓から洩れる明りがた頼りなく、水の膜の上で揺れた。それを踏み越えて、さらに細かい道に入る。
 中心街からだいぶ逸れた、東地区の住宅街の奥で、異質な光景が展開されていた。
 暗く灰色に沈む街並みに目立つ、赤。
 あふれ出たそれは、雨に流され、石畳の上に広がる。
「しっかり!」
 リンファは、シリスの横顔に一瞬後悔の表情が浮かぶのを見た。だが、その感情を振り払うように、吟遊詩人は倒れた警備隊員のそばにかがみ込む。
 もう三人、警備隊員がいた。二人は、闇の向こうを見つめて剣を抜いているが、もう一人はかなり若いらしい。胸に深い傷を負って倒れた同僚を見下ろしたまま、動揺し、立ち尽くす。
「ああ、デルソンさん! しかっりしてください!」
 叫ぶ男と倒れた男のそばで、シリスが首を振った。もうすでに、出血が致死量に達していた。
 リンファがレイピアを手にしてその横を通り過ぎ、唱えていた呪文を完成させる。破壊を司る緋の月の力を導き、解放の句を告げた。
「〈ファイアボール〉」
 赤く燃える球が雨にも消えることなく、怯む警備隊員たちの間を抜け、闇へ飛んだ。それは石畳の上で小さく爆発し、周囲を照らし出す。
 そこにはもう、動くものの気配は無かった。
「しかし、今、確かに……」
 警備隊員たちは、まだ相手が近くにいることを確信している様子で、カンテラを掲げる。
 そのとき、事切れた男のそばで下に視線を向けていたシリスは気づく。
 頼りなく揺れるカンテラに照らされた地面で、淡い影が揺れる。彼自身の影から少し離れたところで、それは動き出した。近くに立ち尽くす、別の影へ向けて。
 一瞬だけ、不思議に思い――次の瞬間には、身体が動いていた。
「おうっ」
 若い警備隊員の唸るような声は、ほとんど雨に消される。シリスに突き飛ばされてバランスを崩し、のけぞるその右腕から、血がしぶいた。
「みんな気をつけて! 影だ!」
 吟遊詩人が、普段から鍛えられた声を張り上げる。
 彼の短いことばで、リンファも警備隊員たちも、その意図を察したらしい。全員が、それぞれの影を確認し、誰のものでもない影に気づく。
 それは、背中を丸めた大きな獣のようにも見えた。顔と思われる場所に角のような突起も見えるが、人間がうずくまっている姿だと思えば、そう見えなくもない。
 それは、滑るように、素早く移動した。目の前に影を見た警備隊員が驚き、思わず剣を突き出すと、彼は手応えを感じたように、わずかに表情を変える。
 影は、驚いたように身を退き、負傷した警備隊員の脇をかすめて逃走した。呪文を唱えていたリンファが火炎球を投げつけるが、素早く移動する影はその明りをギリギリでかわし、深い闇に溶け込んでいった。

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