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2005年10月11日 (火)

セルフォンの赤い悪夢#01

第一章 闇を裂く爪痕

 ナーサラ大陸の玄関と呼ばれる、貿易都市セルフォン。大陸最大の国土を誇るパンジーヒア王国でも、最も人口密度が高く、最も人と物の入れ替わりの激しい都市だろう。
 この街で散歩を趣味にでもしていれば、毎日のように、それまでの一生で見たことのないような姿を目にすることができる。遠くの島々から来た民芸品、科学の進んだ北の大陸から運ばれてきた何かの装置、どこかの遺跡から出土したらしい古文書、そして、顔に紋様を施した少数民族の夫婦や奇怪な小動物を連れた魔術師など。
 だが、市場の露店商たちの中でも、長年商売を続けている者たちは、密かに思うのだ。世の中には、もっと貴重で神秘的な存在があると。
「おじさん、今日は変わった商品が多いね」
 まさに、神話から抜け出てきたような姿の吟遊詩人が、顔見知りの露店商に声をかけた。露店商は愛想笑いではない笑顔で、相手を見上げる。
「シリスにそう言ってもらえるなら嬉しいねえ。うちは、よそで見られない商品が売りだからね」
 満足げな声に、一見して女とも見える詩人が、端正な顔にほほ笑みを浮かべた。
 ラベンダー色の長い髪に、炎のごとく赤い目。一度その姿を見た者は忘れ得ない青年は、しかし、完全にセルフォンの空気に溶け込んでいた。外に出る者、外から来る者、数多い都市だが、ここに住む者の多くは、ここを拠点に旅する彼の存在を自然のものとして受け入れていた。
 もっとも、彼の背後に立つ人物は、今でも少々、特殊な扱いを受けることがある。
 初対面の男は誰もが知りたがるその名をリンファという、絶世の美女。白い袖の無いワン・ピースをまとい、深海のような青い長髪を背に流した姿は、美の女神そのものだ。
「何か買うつもり?」
 リンファは、シリスほど市場に興味がないらしい。それを少し残念に思いながら、露店商は、目の前の布の上に並べた缶詰のうち、一番上等と思えるものを手に取る。
「これは、北方大陸の上流階級で人気の珍味だよ。ダグルとかいう小さな島でしか採れない豆を加工したものだと」
「へえ。北方大陸の味が合うかな?」
「腹痛を起こしたら、文句はラフディウムの工場に言ってくれ。安くしておくよ」
 親指を伸ばして、左手の指を四本立てる。四百ターラン、銀貨四枚という意味だ。手に入りにくい珍味としては、破格の値段である。
「じゃあ、試してみようかな」
 銀貨を手渡し、シリスは受け取った缶詰をポーチに入れた。だが、彼はすぐには店の前を動かない。
「ところで……最近、何か変わったことはないかな?」
 少し周囲を気にするように見回しながら、声をひそめ、問いかける。
「おや……仕事の用事だったのかい? 何かあるといえば、毎日何かあるし、わたしゃ、〈疾風の源〉亭のマスターでも知らないようなことは……」
 それほど期待をかけられているわけではないと自認しながら、露店商は、役に立てないことを残念に思った。
 シリスは、やはり一応聞いてみただけなのだろう、それほど落胆した様子もなく、礼を言って身を引いた。
「それじゃあ、また」
「気をつけてな」
 今までも何度か交わした、型通りの挨拶を最後に、二つの姿が離れていく。表向きには、単なる商人と客の別れだ。
 しかしなぜ、シリスは周囲を気にしていたのだろう――しばらくして、露店商は思い返す。
 冒険者たちの憩いの場である〈疾風の源〉亭で依頼を受けたシリスたちが、密かにセルフォン警備隊に協力して事件を解決したことも、何度かあった。そのどれもが公開され、少なくとも秘密にされることはなく、それを気にする者は気にし、そうでない者は、気にもかけなかった。
 何せ、先ほどシリスに言った通り、この都市では、毎日色々なことが起こるのだ。治安は決して悪くは無いが、毎日どこかでは喧嘩沙汰や詐欺、あるいはもっと凶悪な犯罪が起こることも珍しくない。
 良いものも、悪いものも、様々なものが集まる。それがこの都市の短所であり、面白いところでもある――それを知った上で、人々は暮らしていた。
「ま、あの二人なら、何とかやるさ」
 自分に言い聞かせるようにつぶやき、露店商は、新たな客を呼び込もうと手を叩き始めた。

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